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「ガーヤト・アルハキーム」解説 その四十六

『ナイトランド・クォータリー』vol.18「想像界の生物相」掲載の短篇「ガーヤト・アルハキーム」の解説です。連日更新中。

目次

頁数は『ナイトランド・クォータリー』本体のものです。
p.65
下段16行 
弱腰のお父上
 イスマイールの父でアリー一族当主ジャアファル・サーディクは、人格者にして当代屈指の学者だったと伝えられるが(解説その三十六の「ジャアファル・サーディク」の項参照)、不満分子集団アリー派には政府転覆を期待され、幾人もの親族が反乱の首謀者に担ぎ上げられるという状況で一族郎党を守り続けたのだから、実は政治手腕は相当なものである。
 解説その三十五の「幾度となく政府転覆を試みたが」の項で、AD740年(本作の5年前)に起きた「ザイドの乱」について述べた。首謀者ザイドはサーディクの父方の叔父で、息子の1人は3年後に政府に捕らわれ処刑されたが、生き残ったもう1人の息子はサーディクの庇護下に置かれた。さらにサーディクは、ザイドに従って戦死した250人に対しても、その遺族に金銭を支給している。
 しかし当時は前イスラーム時代の美徳であった猛々しさ、荒々しさといった「男らしさ」が、いっそう美化され強調される傾向にあった。サーディクの穏健、慎重、賢明といった特質は評価され難かっただろう。
 後代になると、預言者ムハンマドの血統への崇敬が高まり、アリー派を忌み嫌う者でさえ、アリー一族を謗ることは決してなかった。たとえばイスマイールの子孫を開祖とするファーティマ朝(後述)は主流派(スンニ派)から憎悪されたが、あれはイスマイールの子孫を詐称してるのだとして、アリー一族に罪はないとされていた。
 しかしウマイヤ朝は、その成立からしてアリーに対する反乱だし、2代目はアリーの息子フサインを惨殺している。ウマイヤ朝に忠実な者ほど、アリー一族への崇敬は希薄だっただろう。

p.66
ハサン家
 アリーの長男にして第2代アリー一族当主ハサンの子孫。自主的に隠遁したため、アリー一族当主の地位はハサンの弟フサインの子孫に受け継がれることとなった。
 しかし反ウマイヤ朝の旗頭としてアリー一族への期待がますます高まる中、フサインの息子(第4代)以降の当主たちは穏健路線を取り続けた。そのためアリー派の期待はハサン家に集まることとなった。
 アリー一族の第5代当主にしてフサイン家当主のムハンマド・バーキル(フサインの孫でイスマイールの祖父)の時代、彼と同世代であるハサン家第3代当主(ハサンの孫)はウマイヤ朝転覆の準備を密かに進め、着々と支持者を増やしていった。さらにハサン家はアリー一族当主の座への復帰も望み、フサイン家と争うこととなった。
 ムハンマド・バーキルはAD733年に没し、息子のジャアファル・サーディク(イスマイールの父)が跡を継いだが、両家の争いは続いた。7年後、ムハンマド・バーキルの弟(すなわちサーディクの叔父)ザイドが、一部のアリー派の口車に乗せられて蜂起した(ザイドの乱。解説その三十五の「幾度となく政府転覆を試みたが」の項参照)。その背景には、ハサン家への危機感があったと考えられる。
 ザイドの乱に先立つ737年、ハサン家当主の息子(ハサンの曾孫)で「純粋な魂」と呼ばれる19歳の若者に、「マフディ」(「救世主」。解説その三十七参照)を称して反政府活動を行った廉で官憲の手が伸びた。「純粋な魂」という二つ名は、その敬虔さに因む。イスマイールより世代は1つ上だが、718年生まれなので同年代である。結局、彼の側近だった人物が逮捕・処刑され、「純粋な魂」自身は辛くも逃れて潜伏した。本作の時点(745年)でも潜伏中である。この頃には「純粋な魂」の父であるハサン家当主は、自身ではなく息子をイマーム位に就けるべく画策していたようである。
 この場面での警官(シュルタ)の言葉は、一つには「男らしさ」の価値観(前項)に基づくものである。ウマイヤ家に盾突く不逞の輩だが、それはそれとして、ひたすら忍従するフサイン家当主たちよりも「男らしい」、というわけだ。
 またタージク(アラブ)人の異民族差別にも基づいている。解説その七の「混血を厭いません」の項で述べたように、フサインは異民族の女性を娶ったため、彼の子孫はイスマイールに至るまでその血が流れている。
 一方、ハサン家は「純血」を誇る。同項で紹介したハサン家の人物とは、上記の「純粋な魂」のことである。また「純粋な魂」の父親は、上記のザイドがシンド(インド)人との混血であることから(兄とは腹違い)、「魔女の息子」と罵ったという。

 続きます。

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