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「ガーヤト・アルハキーム」解説 その五十二

『ナイトランド・クォータリー』vol.18「想像界の生物相」掲載の短篇「ガーヤト・アルハキーム」の解説です。連日更新中。

目次

頁数は『ナイトランド・クォータリー』本体のものです。
p.69
上段11行
日出づる処(ホラーサン)
 ウマイヤ朝に対する最初の反乱以来、イラクのクーファはアリー派の中心地だった(解説その三十五参照)。しかし史書に記されるクーファのアリー派は、常に口ばかりで無計画で、アリー一族の適当な人物を担ぎ上げては、いざ蜂起となると逃げ出す信用ならない連中である。その結果、担ぎ上げられたアリー一族の者は、ほとんど手勢がいない状態で政府軍に蹴散らされる、ということが繰り返された。
 いずれも同時代史料ではないので、誇張やステレオタイプ化の可能性が考えられるが、火種が常にクーファにあったことと、反乱がことごとく失敗しているのは確かな事実である。
 アッバース家はウマイヤ朝打倒を企てた当初から、クーファに重きを置かなかった。彼らの本拠地はクーファから遠く離れた現パレスチナ南部だったが、反ウマイヤ朝活動を展開したのは、クーファよりさらに東のファールス(ペルシア)東部のホラーサン地方とその東のソグディアナ(現在のタジキスタンおよびウズベキスタン辺り)だった。
 ホラーサンではAD7世紀末以来、この地ではウマイヤ朝への反乱が頻発していた。氏族同士の反目を背景としたタージク(アラブ)人と、強制改宗や重税に反発する現地民の双方で、時に両者に呼応することもあった。アッバース家は彼らの心を捉えるべく、「全信徒の平等」と「異教徒の保護」を謳ったのである。

信徒の父にして信徒の息子(アブー・ムスリム・イブン・ムスリム)
 伝えられるフルネームは、「アブー・ムスリム・アブドゥルラフマーン・イブン・ムスリム・アル・ホラーサーニー」。「アブドゥルラフマーン」は「慈悲深きもの(唯一神の美称の一つ)のしもべ」で、個人名(固有名詞)としても使われるが、この場合は文字どおりの意味で、匿名的な名乗り。「アル・ホラーサーニー」は「ホラーサーンの人」だが、この場合は「ホラーサン出身」ではなく、「ホラーサンに縁がある」という意味。
 そして「アブー・ムスリム」は「信徒の父」、「イブン・ムスリム」は「信徒の息子」なので、「匿名希望」と称しているようなものである。
 出自についてはファールス(ペルシア)系で元奴隷だと伝えられる以外は一切不明。事績については追々説明。

アッバース家当主
 アッバース家は反ウマイヤ朝運動を展開するに当たって、作中でも述べているように、誰をイマーム(大導師)とするかを敢えて明確にしなかった。「預言者ムハンマドの血を引くイマーム」がウマイヤ家に代わってハリーファ(名代)となる、とだけ約束することで、千々に分裂したアリー派は、アリー一族のうち自らが支持する人物をイマーム/ハリーファとすべく、結束してアッバース家に与したのである。
 非常に賢明な戦略である。が、もちろんアッバース家はウマイヤ家を倒した後、政権をアリー一族に譲るつもりは毛頭なかった。ウマイヤ朝滅亡直後の混乱の中、「ムハンマドの叔父の子孫だから、ムハンマドとは血の繋がりがある」と強弁し、まんまと即位したのであった。汚い! 実に汚い!
 解説その三十七で、アリーの息子の一人イブン・ハナフィーヤ(イスマイールの曽々祖父フサインの異母兄弟)が685年、クーファ市民が起こした反乱に「マフディ」として祭り上げられたが、反乱には関わらなかったとして赦免されたことを述べた。
 イブン・ハナフィーヤは716年に没したが、アッバース家は彼がウマイヤ家に毒を盛られ、死に際にアッバース家当主にイマーム位を譲った、と主張した。もちろん作り話であり、これを信じてアッバース家を支持する者もいたが、まとまりのないアリー派の中でも少数派に過ぎなかった。
 アッバース家の反ウマイヤ朝革命運動で、重要な役割を担ったのが、前項のアブー・ムスリムともう一人、アブー・サラマという人物である。アブー・ムスリムは後述するようにホラーサンで革命軍を組織し、アブー・サラマはクーファにおいて革命を指導した。
 しかしアブー・ムスリムがアッバース家当主に忠誠を誓い、ハリーファ位に就けるべく心血を注いでいたのに対し、アブー・サラマの望みはアリー一族をハリーファにすることだった。革命のどさくさでアッバース家当主が殺され、ほかのアッバース家の成人男性たちとも連絡が取れなくなったのを幸い、アブー・サラマはアリー一族の主要な人物をハリーファにするべく画策した。彼が交渉した相手は、アリー一族当主ジャアファル・サーディク(イスマイールの父)のほか、ハサン家当主とその息子で潜伏中だった「純粋な魂」(解説その四十六の「ハサン家」の項参照)もいたが、サーディクは頑なに拒絶し、「純粋な魂」父子はあれこれ条件を付けて交渉が進まず、そうこうしているうちにアッバース家当主の弟が出てきて即位したのだった。
 この行動が原因で、後にアブー・サラマは粛清されるのだが、このように革命の双璧の一人と言うべき人物でさえ、アッバース家をイマームとして認めていなかったのだった。
 解説その五十一の「革命の志士」の項で述べたように、ジャービルの父ハイヤーンはおそらくアッバース家の最初期の「ダーイー」(宣教員)の一人だが、アリー派の本拠地であるクーファ出身であることから、アッバース家の真の目的は知らなかった可能性が高い。本作では、少なくともジャービルはそれを知らず、アッバース家はアリー一族のために働いていると信じている。


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