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「ガーヤト・アルハキーム」解説 その四十二

『ナイトランド・クォータリー』vol.18「想像界の生物相」掲載の短篇「ガーヤト・アルハキーム」の解説です。連日更新中。

目次

頁数は『ナイトランド・クォータリー』本体のものです。
p.64
下段19行
文机
 この時代(AD8世紀半ば)のタージク(アラブ)人がどんな筆記用家具を使っていたのかは、実物はもちろん、同時代の文献も絵画等も残っていないので、数百年後に作成された写本の挿絵(もっと古い時代の絵を写した可能性はある)を参照。
 ちなみに現代タージク語で「机」は「マクタブ」だが、これは字義どおりには「書きものをする所」という意味で、「事務所」を指す語でもある。

書物
 ハッラーン(現トルコ南西部)なので、パピルスではなく獣皮紙製だろう。前イスラム時代(AD7世紀前半以前)のルーム(東ローマ)ではすでに巻物ではなく冊子体(現在の書物と同じ形)が普及し、ハッラーンはルーム文化の影響下にあった。

異国語を学んでその書を渉猟する……
 次項以降で解説するように、タージク(アラブ)人の学問伝統からは逸脱した行為である。

p.65
異民族にも異教徒にも寛容なサーディクだが
 解説その二の「第六代大導師の下で共に学んでいた少年時代」の項で述べたように、イスマイールの父サーディクは「外来の学問」(異民族・異教徒の学問)と「固有の学問」(神学や法学などイスラムに関わる学問)とを分け隔てしなかったと伝えられ、また解説その七の「混血を厭いません」の項で見たように自身が異民族の血を引くので、当時のタージク(アラブ)人にしては珍しく異民族・異教徒を差別しなかったと見ていいだろう。

彼にとっての学問とは……
 AD8世紀半ば当時のタージク(アラブ)人の学問は、暗誦が中心だった。暗記できているかどうか確かめるのは筆記ではなく口頭だから、暗誦できなくてはならないのだ。暗誦できなければならなかったのは、聖典、預言者ムハンマドに関する伝承、ムハンマドやさらにそれ以前の時代から伝えられてきた詩などである。
 聖典は口伝されてきた「啓示」が、本作の時代より100年ほど前に書き記され、1冊の書物にまとめられたが、伝承と詩は、本作の時代の少し前くらいからようやく書き留められ始めたばかりで、おそらくはほとんど出回っていなかった(写本が作成・販売されていなかった)はずだ。
 解説その三十二では、その理由を「聖典以外の(タージク語の)書物は書かれるべきではない」と考えるムスリムが多かったからだとした。それだけではなく、もっと根本的に、識字率が低い社会の人々(イスラム世界に限らない)が共通して抱く、「文字で書かれた言葉」への不信感がある。
 弟子のプラトンが記すところによると、ソクラテス(BC5世紀)はテクスト(文字で書かれた言葉)への不信を、次のように表現している。すなわち、テクストは反応しない。生きている人間なら、聞き手はその場で質問したり反論したりできる。テクスト相手ではそれができない。
 即座に反応してくれる生きた人間が発する言葉と違って、無反応な文字で表わされた言葉は信頼できない、信頼できるかどうかの判断ができない、ということであろう。解説その三十二で紹介した、2年半前に書いた自分の手書きの文章が信頼できなかった1980年代の米国の学生と同じである。
「唯一の書物」だった聖典も、そこに記されている啓示(唯一神の言葉)は暗誦すべきものであり、書物としての聖典はそれを補助するためのものだった。このことについては、後ほど改めて解説する。
 ムハンマド関連の伝承は、聖典には記されていない行為や事物が反イスラムでないかを判断する根拠とされる、いわば第二の聖典だが、早くから偽造や改竄が問題になっていた。そのため、そのムハンマドの言行を実際に目撃した人物A、Aから伝え聞いたB、Bから伝え聞いたC、という「伝承経路」も暗誦できなければならず、さらにはこの「経路」の正しさを証明する情報もまた暗誦できなければならない。具体的には、たとえばAが生まれたのがムハンマドの死後だったりしたら、この「経路」は間違っていることになる。あるいはAの性格に問題があったりすれば、彼が伝えた情報の信頼性は落ちる。
 そうして記憶した内容の「解釈」も、ノートを取ることはないのだから、一言一句レベルでの正確さは求められないにせよ、やはり記憶するしかない。
 このように、学問とは「耳で聞いて暗記する(暗誦できるようにする)もの」である、という認識は、当時のタージク人社会に限ったことではなく、古今東西、識字率の低い社会に共通している。

自ら異国語を学ぶ必要性を……
 当時のタージク(アラブ)人知識人としては、ごく常識的なスタンス。タージク人は征服者であり支配者だから、非征服民の言葉をわざわざ学ぶ必要はない。イスラムに改宗した異民族はもちろん聖典を学ばねばならない。翻訳は禁じられていないが、タージク人が異国語を理解しない以上、異民族の信徒が聖典の内容を知っているかどうかタージク人に示すには、タージク語も学ばねばならない。
 サーディクが異民族や異教徒に寛容だった、という記録が史実どおりだったとしても、その異民族や異教徒の大多数がタージク語を多少なりとも知っているのだから、彼自身は異国語を学ぶ必要性を感じなかったであろう。

異国語の書物を……
 上述したように、当時のタージク(アラブ)人にとって学問とは「耳で聞いて学ぶ」ものであり、「書物から学ぶ」ものではなかった。

 続きます。

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