「ガーヤト・アルハキーム」解説 その五十六
『ナイトランド・クォータリー』vol.18「想像界の生物相」掲載の短篇「ガーヤト・アルハキーム」の解説です。
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ヒルミス主義およびジャービル錬成術からの……(続)
クラウス(前回参照)の見解に従えば、イスマイールの父ジャアファル・サーディクがジャービルの師であり、サーディク自身も錬成術(錬金術)師だったという伝承も、イスマイール派の捏造だということになる。
解説その四十二の「彼にとっての学問とは……」の項で述べたとおり、サーディクが錬成術師だった可能性はほぼない。しかしサーディクが多くの弟子を持つ学者だったという伝承は信憑性が高いので、錬成術以外の分野でジャービルが師事した可能性は否定できない。
ところで、サーディクがジャービルの師だったという伝承がイスマイール派の捏造ならば、その息子のイスマイールこそ、ジャービルと関連付けた伝承が量産されそうなものである。年齢も近いし。
そのような伝承が現存していない理由は、イスマイール自身に関する伝承そのものが少ないことと同じだろう。すなわち、8世紀後半から9世紀にかけて水面下で起きていたと推測される、「イスマイールを重視するイスマイール派」と「イスマイールを重視しないイスマイール派」の対立で、後者が勝利した結果、イスマイールに関する伝承の多くが失われてしまったと考えられるのである(前々回の「イスマイール派」の項参照)。
失われたといっても、別に「イスマイールを重視しないイスマイール派」が積極的に抹消して回ったといったような陰謀論じみた話ではなく、「イスマイールを重視するイスマイール派」が途絶してしまえば、その伝承も途絶してしまうし、文献があったとしても、すでに獣皮紙ではなく紙の時代なので、写本が作られることもなく朽ちてしまったのだろう。
ジャービルがハッラーン出身、またはハッラーンで錬成術を学んだ、という伝承もある。イスマイール派の教義にはヒルミス(ヘルメス)主義も取り込まれているので、彼らがジャービルとハッラーンを関連付けるために伝承を捏造した可能性が高い。
とはいえ、ジャービルの生年が720年頃という伝承が正しければ、彼が錬成術を学べた場所は非常に限られてくる。そして当時のハッラーンは、錬成術をはじめとするユーナーンの学問の中東最大の中心地だった。
一方、ジャービルの父ハイヤーンがアッバース家のダーイー(宣教員)だったという伝承(解説その五十一参照)は、たとえ捏造だったとしても、アッバース家を宿敵と見做すイスマイール派、あるいはアリー派によるものでないのは確実である。ではアッバース朝側の人物あるいは集団によるものかというと、それでなんらかのメリットが得られたとは考えられない。となると、史実である可能性が高い。
その五十一で述べたように、アッバース家当主の真の目的(自分がハリーファになること)を知っている、あるいはそれに賛同している者はごくわずかだった。ハイヤーンは末端の工作員でしかなく、しかもクーファ出身である。
同じくその五十一で述べたように、クーファは熱烈なアリー派の巣窟だったが、口先だけで行動が伴わない者が多いため、アッバース家から信用されていなかった。となると、ハイヤーンはアッバース家の真の目的を知らない、純粋なアリー派だったのではあるまいか(しかしクーファ市民にしては珍しい行動派だったため、思想に殉ずることとなったのであった)。
しかし別にイスラム世界に限ったことではないが、中世人の歴史認識はかなり杜撰である。前回の「暗殺者教団」の項で挙げた『統治の書』がいい例だ。もし「ジャービルの父ハイヤーンはアッバース家の宣教員だった」という伝承が捏造だったとしたら、その捏造を行った人物が「ハイヤーンはアッバース家の宣教員だったが、アッバース家の真の目的は知らなかった」というところまで頭が回っていたとはまず考えられない。すなわち捏造者の目的は、ジャービルをアッバース朝支持者だとすることにある、ということになる。しかしアッバース朝は(ユーナーンの学問全般を保護したとはいえ)、ことさら錬成術を奨励したわけでもない。
ジャービルに纏わる伝承には彼とイスマイール派(およびその母体のアリー派)とを関連付けるものが多いが、それらとは無関係なものとして、彼とスーフィズム(イスラム神秘主義)を結び付けるものがある。詳しくは後述するが、スーフィズムも初期にはアッバース朝からの弾圧を被っている。それゆえ私は「ジャービルの父はアッバース家の宣教員だった」という伝承は事実である可能性が高い、と判断した次第である。
ジャービルの父ハイヤーンが本当にアッバース家の宣伝員であったなら、それが伝承として残ったということは、ジャービルもそのことを知っていたはずである。そしてハイヤーンの目的はアッバース家ではなくアリー一族をハリーファにすることであっただろうし、ジャービルもアッバース家ではなくアリー一族の支持者だったろう。そうであれば、アリー一族の当主であるサーディクを崇敬していただろうし、彼に師事するためにイラクのクーファからはるばるタージク(アラビア)半島のマディーナまで赴いたことだってあり得るわけだ。
もう最後なので書きたいことを書きたいだけ書こう、というわけで、次回、余談で締めです。この「解説」自体、余談以外の何ものでもないんだけどねー。
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