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著作(エッセイなど)、インタビューほか 2020~

一番上が最新です(下に行くほど古い)。

エッセイなど

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『トーキングヘッズ叢書』№84「悪の方程式~善を疑え!!」(2020年10月28日発売予定)

 エッセイ「乱反射する悪魔崇拝(サタニズム)」を寄稿いたしました。

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 いつもより多めに書かせていただきましたが、それでも入りきらなくて已む無く没にしたネタを記事にして先日上げました。『TH』掲載分のネタのほうがもちろんおもしろいですが、没にしたネタも充分変です。

没ネタ①:「ヴードゥー教、ワルド派、そしてスタージョン」
没ネタ②:「テンプル騎士団とフリーメイソンの謎」

没ネタ②のおまけ:「ダンテとテンプル騎士団」
 ②で未解明だった謎を解こうとしたら変なモノを見つけてしまった話。

 掲載エッセイについての補足記事はこちら

 

 

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『トーキングヘッズ叢書』№83「音楽、なんてストレンジな!」(2020年7月29日発売)

 もう3ヵ月も前になりますが、エッセイ「禁断の快楽、あるいは悪魔の技――イスラムにおける音楽」を寄稿しております。

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 3ヵ月も告知が遅れた理由と、内容の補足(こぼれ話的なもの)はこちら

 

 

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『トーキングヘッズ叢書』№82「ものやみのヴィジョン」
2020年4月30日発売

 エッセイ「アポローの贈り物――梅毒をめぐる幾つかの逸話と謎」を寄稿させていただきました。
 梅毒については、いつかSFのネタにしたくていろいろ調べていたので。

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 告知が半年も遅れた言い訳と、内容の補足(こぼれ話的なもの)はこちら

 

 

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『SFが読みたい! 2020年版』(2020年2月6日) (Amazonへのリンク)

「2020年の私」にコメントを書かせていただきました。
後ろ向きのコメントが続いていた「20××年の私」、ようやく前向きなコメントが書けましたよ。

 

 

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『TH(トーキングヘッズ叢書)』№81「野生のミラクル」
2020年1月29日㈬発売

 エッセイ「密林のパラダイスーー管理された野生」を寄稿させていただきました。
 今回のテーマの「野生」はレヴィ・ストロースの『野生の思考』から、ということなので、そのレヴィ・ストロースが文化人類学の道へと進んだ最初の一歩が『悲しき熱帯』、というわけで『伊藤計劃トリビュート』(Amazonへのリンク)収録の拙作「にんげんのくに」で描いたアマゾナス先住民についていろいろ書きました。
「にんげんのくに」の「人間」族のモデルはヤノマミ族ですが、他のアマゾナス先住民についてもたくさん調べたので、これを機会に総浚い。「にんげんのくに」後記で述べた「アマゾナス先住民の伝統文化と言われるものは、実は大して伝統がない」説を、より詳しく論じました。具体的には『アギーレ 神の怒り』とか『アナバシス』とか「異国風景」とか「我々はどこから来たのか、我々は何者か、我々はどこへ行くのか」とか。
「にんげんのくに」をお読みになった方も、そうでない方も、御興味を持たれましたら是非。「野生」はもちろんアマゾナスに限ったことではないので、他の執筆者の方々が論じる多彩な「野生」を、私も一読者として楽しみにしています。

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「乱反射するサタニズム」補足 Ⅰ

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「トーキングヘッズ叢書」№84「悪の方程式~善を疑え!」(2020年10月28日発売)

 エッセイ「乱反射する悪魔主義(サタニズム)」を寄稿させていただきました。「悪魔崇拝」を宗教・信仰ではなく「妄想」と定義し、そのような妄想がどのように成立し発展したかを考察しました。

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 今回は少々多めに書かせていただきました。3部構成で、第1・2部では「悪魔崇拝という妄想」について、第3部では欧米キリスト教徒によるこの妄想が、クルディスタンのヤズィーディーにもたらした惨禍について書きました。

 ISによる迫害で知られることになってしまったヤズィーディーについては、一昨年刊行の『トーキングヘッズ叢書』№76「天使/堕天使~閉塞したこの世界の救済者」に寄稿させていただいたエッセイ「イスラムの堕天使たち」で取り上げております。

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 この企画でヤズィーディーを取り上げたのは、彼らが崇拝対象が、イスラムの堕天使イブリースが悔悛して神に赦されて再び天使となった「孔雀天使」だからです。
 その後、ヤズィーディーの信仰についてのより詳しい解説を、このブログに上げました。

「ヤズィーディーの信仰について」(全2回)

 またヤズィーディーの信仰とイスラム神秘主義の関係についても記事を書きました。
「ハッラージュとヤズィーディー」(全2回)

 さらに、イスラムは伝統的にキリスト教におけるような「悪魔崇拝」の概念を持たないのに、なぜヤズィーディーは「悪魔崇拝者」として迫害を受けることになったのか? という疑問についても記事を書きました。
「なぜ彼らは悪魔崇拝者と呼ばれるのか」(全2回)

 この考察の結論は、「ISが持つ悪魔崇拝という概念は、欧米キリスト教徒から移植されたものなのかもしれない」という「憶測」でした。「憶測」止まりだったのは、ヤズィーディーを悪魔崇拝者として描く欧米キリスト教圏の初期(20世紀初め)のフィクションのうち、現在でもかろうじて知られているのは、上の記事「なぜ彼らは悪魔崇拝者と呼ばれるのか」で取り上げた3点のみらしいということ。2009年刊行の『ジェネシス・シークレット』は世界的ベストセラーとなったものの、最近すぎる上に、この1作品からの影響だけでISがあれだけの蛮行を引き起こすとは考えにくいからです。

 その後さらに調べた結果、「憶測」ではなく「推測」と言っていいくらいの傍証が得られたので、今回の『TH』で形にさせていただいた次第です。
 というわけで、『TH』拙稿でも控えめに「憶測」としましたが、ほんとは「推測」くらいは根拠があるんだよ、という補足です。

 まず、①イスラムでは悪魔崇拝という概念は発達しなかった、②1840年以来、欧米人はヤズィーディーを悪魔崇拝者と決めつけてきた、③クルディスタンのムスリムとヤズィーディーは長年にわたり共存してきた。
 ヤズィーディーと隣人のムスリムたちは、同じ職場で働き、休日には一緒にピクニックに出掛けていたそうです。「悪魔崇拝者」と見做す相手とそんなことをするムスリムがいるでしょうか。
 ジェラード・ラッセルの『失われた宗教を生きる人々』(原著は2014)によると、著者が取材で出会ったクルディスタンのムスリムは、こう言ったそうです。
「俺はヤズィード教徒の食べ物は食べません。昔はムスリムも彼らの食べ物を食べていたそうですがね。今は違います。だって、彼らの崇拝するマラク・ターウースは悪魔ですから」

 この発言はISが攻めてくる前のものですが、「悪魔崇拝者ヤズィーディー」像は「比較的最近」「外部から」もたらされたものだという印象を受けます。

 イスラム原理主義者によるヤズィーディーへの最初のテロは2007年ですが、これはヤズィーディーからイスラムへ改宗してムスリムと結婚した少女が元のコミュニティから殺されたへの報復です。「悪魔崇拝者」と認識されていたかは不明。そもそも異教徒というだけで、原理主義者のテロの対象になるには充分なのです。
 拙稿でも取り上げている小説『ジェネシス・シークレット』(原著は2009)は、彼らが「ムスリムから悪魔崇拝者として長年迫害されてきた」としています。著者のノックスはジャーナリストだそうで、同書に登場する場所は2か所を除いてすべて現地取材し、また宗教、歴史、考古学に関する記述は「ほとんどが事実だ」と豪語しているそうです。

 つまり「一部はフィクション」ということで、ヤズィーディーが「ムスリムから悪魔崇拝者として長年迫害されてきた」という記述がフィクションなのか事実なのかは不明です。しかしこの「宗教、歴史、考古学に関する記述」全般が事実だとか事実じゃないとかいう以前に、何を言ってるんだか理解できない、というレベルだったりするんですが。
 まあそれについては以前の記事でいろいろ突っ込みましたが、一つだけ、その後明らかになったことを付け加えると。 
 昨年、「ガーヤト・アルハキーム」を書いた際、ノックスが取材に行ったという某遺跡についての別の人物によるレポート(英語)を読む機会がありました。で、ふと思い立って『ジェネシス・シークレット』におけるその遺跡の場面を読み返してみたら、遺跡までの道程や周囲の風景の描写がスカスカで、あ、これは……
 皮肉なことに、このレポートの記者は『ジェネシス・シークレット』の愛読者だそうです。

 しかしいくら『ジェネシス・シークレット』が二十数ヵ国で翻訳されたベストセラーだとはいえ、欧米人および世界中のイスラム原理主義者が「ムスリムから長年迫害されてきた悪魔崇拝者ヤズィーディー」という謬説を信じてしまうほど影響力があったとは思えない。(著者がでっち上げたのではなく)すでに同書の執筆時にはこの謬説が出来上がっていて、著者はそれを利用しただけでしょう。

 というわけで、yazidi(ヤズィーディー) devil worshipper(悪魔崇拝者)で検索。
 英語による検索は、似た意味の別の語句も引っ掛かるので、devil worshipper(デヴィル・ワーシッパー)でdevil worship(デヴィル・ワーシップ「悪魔崇拝」)もdemon(デーモン)/satan(サタン) worship(崇拝)/worshipper(崇拝者)もsatanism(サタニズム「サタン崇拝」)もsatanist(サタニスト「サタン崇拝者」)も全部引っ掛かります。
 またyazidiの表記揺れであるyezidi(イェズィーディー)もヒットします。

 まず1999年12月31日以前の記事を検索します。すでに消されてしまった記事も多いはずですし、わずかとはいえ指定期間外(この場合は2000年以降)の記事も交じってるし、何よりネット使用人口が少ないですが、指標にはなります。ヒット数はたったの数十件で、すべての記事をチェックしたわけではなく主に検索結果に表示される記事タイトルとキーワード前後の文章からの判断ですが、ほとんどは両者の関係を否定する記事のようです。
 次に2000年1月1日から同年12月31日まで。なぜか引っ掛かっているヤズィーディーとは無関係な記事を除くと、わずか数件。

 ところが翌2001年1月の1ヶ月間で、いきなり80件以上増えます。1999年以前の記事全部より多いです。残りの11ヶ月間では30件ほどしか増えませんが、翌年から2006年まで毎年数十件ずつ増えていきます。そして最初のテロがあった2007年以降は毎年100件以上の増加となります。
 2001年1月に画期となる何かがあったことになりますが、それを突き止めるのは私の能力(英語力)を越えているので御容赦ください。

 20世紀末においても英語圏でヤズィーディーが少しは知られていたのは、おそらく「サタン教会」のアントン・ラヴェイの責任でしょう(敢えて「責任」と言います)。
 今回の拙稿で論じていますが、「悪魔崇拝(サタニズム)」という概念はキリスト教の枠組みの中だけで有効な妄想です。そもそも「悪魔」という概念自体、キリスト教内部にしか存在しません。西洋中世の人々は、自分の気に入らない相手を「悪魔崇拝者」と呼びました。実際には「悪魔崇拝」というものを信じているのは彼ら自身であり、その「妄想」を気に入らない相手=「他者」に投射したのです。真の悪魔崇拝者は彼ら自身だと言えるでしょう。
 近代以降、「悪」に憧れるロマン主義的(言い換えれば中二病的)な人々が「悪魔崇拝者」を自称するようになりましたが、どのみち「宗教」としての「悪魔崇拝」の実態がないことには変わりありません。

 アントン・ラヴェイが1966年に設立した「サタン教会」が掲げる「悪魔崇拝(サタニズム)」は、こうした「近代的悪魔崇拝」に分類されます。60年代70年代にはカウンターカルチャーとして持て囃されましたが、80年代になると米国社会が保守化し、上記の「中世的悪魔崇拝」が復活します。
 現代の「中世的悪魔崇拝者」にとってカウンターカルチャーは悪魔崇拝者の所業であり、「サタン教会」の存在はその動かぬ証拠でした。「悪魔崇拝者たちが子供たちを生贄に捧げ、社会を転覆させようと暗躍している」というフェイクニュースが全米に広まってパニックが起き、サタン教会も攻撃に晒されます。

 アントン・ラヴェイが掲げた「哲学」がどれほど高邁なものであろうと、「悪魔」という概念自体がキリスト教内部のものでしかないことを無視していることに変わりはありません。ヤズィーディーを「古来の悪魔崇拝の伝統の担い手」として繰り返し紹介したのは、彼らを評価しているつもりだったのでしょうが、その評価の基盤が誤っているので見当違いで滑稽かつ無責任なものでしかありません。
 そうしてアントン・ラヴェイとその著作が60-70年代には「近代的悪魔崇拝者」たちに、80-90年代には「中世的悪魔崇拝者」たちに知れ渡ったお蔭で、「悪魔崇拝者ヤズィーディー」の名も人々の記憶に残ることになってしまったのでしょう。
 それでも20世紀の最末期の時点では、かろうじて忘れられていないという程度だったのが、2001年1月に何かがきっかけで大いに知れ渡ってしまった。そして2007年のテロを経て、『ジェネシス・シークレット』(2009)の執筆時までには「ムスリムに長年迫害されてきた悪魔崇拝者ヤズィーディー」という謬説が出来上がっており、そして『失われた宗教を生きる人々』(2014)の取材時までには、隣人たちのうち原理主義傾向を持つ者からは悪魔崇拝者と呼ばれるようになっていた……

 というわけで、「憶測」ではなく「推測」と言っていいくらいの確実性はあるのではないかと。

 ちなみにサタン教会は現在も活動していますが、ヤズィーディーについての公式発言(かもしれないもの)は、ツイッターの公式アカウント(本物だとしたら)での「サタン教会は、自分たちは悪魔崇拝者ではないというヤズィーディーの主張を尊重します」というツイートしか見つかりませんでしたよ。

 拙稿第1・2章についての補足は次回

 今回寄稿したエッセイの没ネタはこちら↓

「ヴードゥー教、ワルド派、そしてスタージョン」
 今回の拙稿で述べている「ヤズィーディーが悪魔崇拝者であることを否定する英語記事の多さは、ヤズィーディーが悪魔崇拝者だと信じる人がそれだけ多い証左」という見解の裏付けとして、「ヴードゥー教の起源は中世異端のワルド派」という昔の俗説が現在では誰も信じておらず、英語やフランス語で「ヴードゥー、ワルド派」と検索しても「昔そう信じられていた」と言及する記事くらいしか出てこないことが挙げられます。
「テンプル騎士団とフリーメイソンの謎」

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著作(エッセイなど)、インタビューほか 2018~

一番上が最新です(下に行くほど古い)。

エッセイなど

 

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TH(トーキングヘッズ叢書) 』№79「人形たちの哀歌」
2019年7月31日発売予定

「幕屋の偶像(アイドル)――物そのもの(フェティッシュ)への眼差し」というエッセイを書かせていただきました。
 まず「人形愛」を定義したうえで、サーデグ・ヘダーヤトの短篇「幕屋の人形」を取り上げ、人を含む動物の具象表現が禁止されている(とされる)ムスリムであるヘダーヤトが、なぜかくも「正しく」人形愛を描くことができたのか。その謎を解くべく、イスラムにおける偶像観を考察します。
  ヘダーヤトの別の短篇「最後の微笑」も取り上げます。
 ヘダーヤトの評論は、これで二度目になります。前回は『早稲田文学』2015年秋号(Amazonへのリンク)のアンナ・カヴァン特集で、まあつまりカヴァンとヘダーヤトを一緒に論じたわけで、ごく一部で「空気読まない」と好評(笑)をいただきましたが、今回は原稿の段階で何人かの方々に読んでいただいたところ、「イスラムについて知らなくても解りやすい/おもしろい」と好評(笑、でない)をいただいております。
 自分が興味を持っていることが、どう興味深いのか他人に伝えることができるのは、物書き冥利につきます。
『TH』№76と77では、規定枚数に収めるのに少々苦労したので、今回は「できれば少し増やしていただきたいのですが」とお願いしたところ、なんと2頁も増量していただけました(3頁→5頁)。書きたいことを書きたいだけ書けて、たいへん楽しかったです。
 もう一つ、今回は是非とも「イランの対“バービーとケン”人形、“サラとダラ”」の画像を使いたかったのですが、あいにく自分では実物も画像も所持しておらず、編集の方々に無理を言って画像を探していただきました。この場を借りて、改めてお礼申し上げます。ありがとうございました。
 バービーを「欧米からの文化侵略」と見做すイラン政府が2002年に製造販売を開始した、「イスラム的に正しいお人形」サラ(宗教指導者のお墨付き)。なかなか味のあるデザインですので、是非周知させたいと。

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内容に関する補足の記事はこちら

 

 

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『SFが読みたい! 2019年版』(2019/2) (Amazonへのリンク)

 今年も特別企画「2019年のわたし」に書かせていただきました。
 毎年、「201○年のわたし」の原稿を書く時期に当たる1月上旬は、寒さによる不調で思考も後ろ向きになります。精一杯前向きなことを書いたつもりでも、後日、『SFが読みたい!』で読み返すと、「ああ、なんて後ろ向きな……!」と頭を抱える羽目になるので、今年は開き直りました。どうもすみません。

 

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『TH(トーキングヘッズ叢書)』№77「夢魔~闇の世界からの呼び声」
2019年1月30日発売

「ノイズから物語を紡ぐ~脳科学の見地から夢を解く」というエッセイを寄稿させていただきました。

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「ノイズから物語を紡ぐ」こぼれ話的なもの(今回は1回だけです)

 

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『TH(トーキングヘッズ叢書)№76「天使/堕天使~閉塞したこの世界の救済者」』
2018年10月30日発売

「イスラムの堕天使たち」というエッセイを寄稿させていただきました。

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補足あれこれ
「ヤズィーディーの信仰について Ⅰ」(長いので何回かに分けました)

 

 

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『SFが読みたい! 2018年版』(2018年2月10日発売)
 SF作家たちによるエッセイ「2018年のわたし」に書かせていただいております。
 体調が悪い時に書いたので、少々気弱な内容です。すみません。補足と近況報告はこちら

 

 

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ダンテとテンプル騎士団

 先日、テンプル騎士団とフリーメイソンの関係が創作だという記事を書きました。そしたら岡和田君がエーコの『フーコーの振り子』がテンプル騎士団ネタだったことに言及してくれたので、同書をもう20年近くも前に途中で放り出したままだったことを思い出したのでした。

 映画しか知らなかった『薔薇の名前』原作がおもしろかったんで、続けて『振り子』も読み始めたんですが。上巻63頁(単行本)の「恐れ入り谷の鬼子母神」でずっこけて、瀬田貞二訳『ナルニア国物語』で育った人間でもこれはきついわー、とパラパラめくってたら「鬼に金棒」に遭遇して心が折れました。テンプル騎士団の話題が出てくる前に挫折したわけです。
 その後、エーコの小説はだいたい読んで、特に『バウドリーノ』と『プラハの墓地』はとても好きですが、2016年に亡くなられた後も『フーコーの振り子』に再挑戦しようという気は起きなかったんですね。しかしテンプル騎士団ネタだったことを思い出したお蔭で、テンプル騎士団についての未解明の謎を解く手掛かりが得られるんじゃないか、と思い至ったのでした。

「未解明の謎」というのは、私にとっての、という意味で、テンプル騎士団とフリーメイソンの関係については解明できましたが、テンプル騎士団の「名誉回復」はいつから始まったのか、という謎は未解明なままだったのですよ。
 衒学者の代名詞たるエーコなら、テンプル騎士団に関する怒涛の蘊蓄を詰め込んでいるはず。というわけで「恐れ入り谷の鬼子母神」やそれ以上の訳に出くわしても挫けない覚悟を決めて、上下巻に再挑戦。

 幸いにして、「恐れ入り谷の鬼子母神」を上回る、あるいは匹敵する「超訳」はなく、「鬼に金棒」級も数えるほどでした。別に数えてませんが。
 しかし、ある意味「恐れ入り谷の鬼子母神」以上に動揺させられたのは、前回気づかなかった「珪素峡谷」という訳語。
 コンピュータについての会話場面なので、「シリコンバレー」のことで間違いない……この邦訳が出た1993年て、まだ日本じゃ周知されてなかったっけ?

 4半世紀以上も昔のこととて思い出せず、国会図書館の図書検索で1993年以前刊行のキーワード「シリコンバレー」の書籍を探したところ、15件ありました。一番古いのは1981年の『米国半導体産業:シリコンバレーの光と影』(瀬見洋・著 日本経済新聞社)で、Nikkei neo booksという叢書の体裁からして、まあまあ一般向けのようです。少なくとも産業界の報告書とかほど専門的ではない。翌82年にはさらに一般向けと思われる『シリコン・バレー:リアル・タイム小説』(マイケル・ロジャース著 祥伝社)なる本が、83年には『シリコン・バレー逆おとり作戦』(落合信彦・著 集英社)が出ています。
 仮に訳者の藤村昌昭氏がシリコンバレーを知らなかったとしても、編集や校正の人がチェック入れたでしょ……? いや、そう言えばこの2年ほどで、「三銃士」の「銃士」を「マスケット銃兵」と訳してる本に2度も遭遇してるよな……(それぞれ「三人のマスケット銃兵」「アレクサンドル・デュマのマスケット銃兵」でした)
 イタリア語でもシリコンバレーはsilicon valleyですが、エーコが執筆中だった1980年代後半ではイタリア語訳(la valle del silicioとか)も使われてて原書でもこの語句だったとか、だからわざわざ「珪素峡谷」と訳したとか……?

 とグルグル考えてしまったので、その数行後に再会した「恐れ入り谷の鬼子母神」にも動揺しなかったどころか、著しく集中を欠いたまま読み進んでいると、今度は「猟奇魔」という訳語に遭遇。
 文脈からすると、どうやらただのオカルトマニアのことらしい。原文ではどんな語なのか見当もつきませんが、「オカルト」は普通に使ってるのに、なんで「猟奇魔」? しかも1回だけだった「珪素峡谷」と違って何度も出てくるし。

 こうなると「珪素峡谷」も「猟奇魔」もなんらかの意図があって、わざわざこんな訳語を当てたように思え、しかもその「意図」がどんなものかまったく見当がつかず、不可解さに恐怖すら覚える。
 たとえるなら、衒学的で難解な用語だらけだけど内容は興味深い講演を聞いていたら、突然「珪素峡谷」とか「猟奇魔」とか、普通に「シリコンバレー」「オカルトマニア」と言えばいいものを、なんの説明もなしにそんな奇怪な造語(?)が飛び出し、そのまま講演が進んでいくような。まったく理解不能な話よりも、理解できる話の中に所々そういう理解不能の「穴」が黒々と開いてるほうが、かえって不気味じゃないですか?

 そういうわけで結局、『フーコーの振り子』上下巻合わせて1000頁余りの印象はすべて、この不気味さに塗り潰されてしまった感がありますが、当初の目的であるテンプル騎士団の謎についてはどうだったかと言いますと。
 まず上巻130頁で、テンプル騎士団の「生き残り」についての伝説に言及されています。フランス王フィリップ4世による捕縛(1307年)を逃れてスコットランドに渡った騎士たちがいた、という伝説で、史実では壊滅させられたのはテンプル騎士団フランス支部だけで、他の国々のテンプル騎士たちは後日、別の騎士団に受け入れられたので「生き残り」は大勢いるんですが、伝説ではスコットランドに落ち延びたという騎士たちだけが注目されている。
 で、この場面では、騎士たちの逮捕時に伝説が生まれた、と述べるだけで、この伝説についての最も古い記録は誰某によるもの、等の役に立つ情報は無し。ぐぬぬ。
 この伝説の成立は、テンプル騎士団の「名誉回復」問題と関わりがあります。聖杯等のキリストの遺物と結びつけられているんで、彼らが「殺人と食人と男色(当時の価値観です)に耽る悪魔崇拝者」と信じられていたとしたら、そんな連中を聖杯と結びつけるはずがない。

 続いて同じく上巻167頁。「それから多くの人間がモレー(1314年に火刑に処されたテンプル騎士団総長)のことを殉教者として回顧することになり、ダンテはテンプル騎士団の迫害に義憤を感じていた大衆の声を反響させることになるのである」
 ダンテの生没年は1265-1321だから同時代人です。『神曲』が完成したのは1320年頃。

 結局、得られた情報はこれだけでしたが、とにもかくにも「ダンテ」「テンプル騎士」のキーワードでまず日本語検索。「ダンテは『神曲』でテンプル騎士団に言及している」「ダンテはテンプル騎士団を壊滅させたフィリップ4世を非難している」程度の情報しか出てこない。使える情報、つまり『神曲』のどの箇所(○○篇の第○歌)かといった情報は見つからない。「神曲」「テンプル騎士」の組合せでも同じ結果。
『神曲』の邦訳を全巻(複数の版がありますが、どれも全3巻)再読して探す気はないので、英語に切り替えて検索。すると、煉獄篇第20歌の「(フィリップ4世は)無法にもその強欲の帆を掲げ、かの神殿に乗り込みすらした」(英訳からの意訳)の箇所が、テンプル(神殿)騎士団壊滅の件で彼を非難している、と解釈されているらしい、ということが判りました。

 どうもダンテがテンプル騎士団に言及しているのは、この間接的な表現一ヵ所のみのようです。地獄篇第19歌でも言及している、という記事もありましたが(引用はなし)、確認したところ、フィリップ4世には言及しているもののテンプル騎士団の名前は挙げていないし、間接的な言及をしているようにも読めない。
 なんだか曖昧ですが、この検索で、上記の「それから多くの人間がモレーのことを殉教者として回顧することになり」についても、少なくとも1人はそういう人がいたことが判明しました。ジョヴァンニ・ヴィッラーニという人物で、日本でもかなり有名らしくWikiに記事があります。それによると、ダンテの元同僚で銀行家、政治家にして『新年代記』(邦訳なし)の作者。ただしこのWiki記事も含め、ヴィッラーニとテンプル騎士団との関わりに言及した日本語記事はないようです。
 複数の英語記事によると、この『新年代記』の中で、火刑に処されたテンプル騎士たちに同情して「殉教者」と呼んでいるそうです。

 ここまで判れば、当初の目的は充分果たせました。逮捕・処刑当時からテンプル騎士団に同情的な意見が少なくなかったのであれば、「名誉回復」はすでに始まっていたことになる。動揺しながらも1000頁読破した甲斐があったというものです。

 ところで、この話にはおまけがあります。『神曲』におけるテンプル騎士団への言及が、本当に上記の曖昧な表現だけなのか、英語検索だけでは判らなかったので、イタリア語検索もしてみたわけです。
 イタリア語はねー……英語・フランス語・ドイツ語・スペイン語はラテン語(あるいはラテン語経由のギリシア語)由来の単語が多く、つまり仏語・独語・仏語をちょっと齧っただけの私でも、英語に綴りが似た単語を手掛かりに、文章をざっと流し読みすれば、何について書いてあるかくらいは推測できる場合が多かったりするのです(単語の組合せ次第では全然推測できなかったりもするけど)。イタリア語も英単語と語源を同じくする単語が多いんですが、仏・独・西語に比べて英語のそれと綴りの違いが大きいものが少なくない。
 たとえばsecretはラテン語secretusが語源で、仏語secret、独語sekret、西語secretoなのに、イタリア語はsegreto。英語でカ行発音のcはドイツ語の綴りではほぼ必ずkなので解りやすいですが、イタリア語では必ずgになるわけではないのでややこしい。ロシア語はキリル文字ですが、ラテン文字に置き換えれば綴りが近い単語は、むしろイタリア語より多いかもしれません。secretだったらсекρет(sekret)だし。
 仏・独・西語もちゃんと読むなら辞書と文法書に首っ引きになるとはいえ、初見の流し読みで内容がおぼろげにでも推測できるかできないかは大きい。

 そういうわけで、より難易度の高いイタリア語検索もやってみたんですが、判ったのはやはり『神曲』におけるテンプル騎士団への言及は煉獄篇第20歌の曖昧な表現だけらしい、ということだけでした。それもキーワードが「ダンテ」「テンプル騎士」の組合せでは情報がまったく出てこず、「神曲」「テンプル騎士」の組合せでもようやく5番目に出てくる。
 じゃあ「テンプル騎士」と「ダンテ」あるいは「神曲」の組合せで出てくる情報はどんなものかというと、「ダンテはテンプル騎士だった」「隠れテンプル騎士、ダンテ」みたいなタイトルの記事ばっか。それも大量に。なんだこれ。

 実は日本語で「ダンテ」「テンプル騎士」で検索すると一番上に出てくる記事に、その答えがありました(最初に日本語検索した時点では、探してる情報とは無関係だからとスルーしてた)。
 2012年で更新が止まっている個人のブログなのでリンクは張らないでおきますが、この記事および同ブログ中の関連記事によりますと、ウジェーヌ・アルーEugène Aroux(1793-1859)という人が、ダンテはFrater templarinus(ラテン語「テンプル騎士団の兄弟」)というテンプル騎士団の在俗会(在俗のまま特定の修道会規則に準じた信仰生活を送る人々の会)の長だったとか(テンプル騎士団は修道会でもある)、『神曲』天国篇第31歌で導き手として聖ベルナルドゥスを登場させたのは彼がテンプル騎士団の規則を作った人だからだとか、ダンテの思想はフリーメイソンのそれに通ずる、といった説を提唱したんだそうです。

 アルーについてはWikiではフランス語記事しかなく、そこでは思想家とかではなく政治家とされていて、ダンテ研究についても言及されていませんが、Wiki以外の記事(主にフランス語)では、ダンテとテンプル騎士団の関係を論じた著書の作者として紹介されています(政治家のEugène Arouxと著述家のEugène Arouxは生没年が同じなので同一人物です)。
 で、イタリアの「ダンテ=テンプル騎士」説は、明らかにアルーが挙げた「テンプル騎士団の兄弟」会や天国篇第31歌の聖ベルナルドゥスのネタを根拠としています。しかし大半の記事がアルーの名は挙げていない。上記の日本語ブログによれば、アルーはダンテが「テンプル騎士だった」「フリーメイソンだった」とは言ってませんからね。ダンテがメイソンだったとするイタリア語記事もそれなりにあるようですが、アルーに依拠しているかは不明。まあテンプル騎士団だったということであれば、オカルト・陰謀論好きは自動的にメイソンに結び付けるでしょう。
 それに天国篇第30歌のベアトリーチェが「白いストール(肩掛け)の修道士たちに囲まれ、守られている」とある「白いストールの修道士たち」とは実はテンプル騎士団のことだ、なぜなら「白いストール」とはテンプル騎士団の制服である背中に赤い十字架が描かれた白マントのことだからだ、という強引すぎるこじつけは、さすがにアルーとは無関係なんじゃないかと。

 ダンテの『神曲』といえばルネサンスの嚆矢であり、名前くらいなら日本の中学生でも知っている、文字どおりの世界的偉人の世界的文学遺産です。それが「ダンテ」(あるいは「神曲」)と「テンプル騎士」の組合せでイタリア語検索すると、「ダンテはフィリップ4世がテンプル騎士団を壊滅させたことを『神曲』煉獄篇第20歌で非難している」という学術的な記事ではなく、「ダンテはテンプル騎士だった」「隠れテンプル騎士、ダンテ」ネタがわんさか出てくるって……ええんかイタリア人。

 このネタは『フーコーの振り子』では取り上げられていません。エーコの博覧強記がサブカルチャーにも及んでいることは、『フーコーの振り子』という作品自体が証明しているので、1980年代後半当時のイタリアでは、このネタは全然知られていなかったか、無視されるほどマイナーだったのでしょう。
 何がきっかけで、この現状に至ったのか。ダン・ブラウンの『インフェルノ』(未読)が『神曲』を小道具にしてるそうで、ダンテ=テンプル騎士団/フリーメイソン説は出てこないようだけど、きっかけにはなったかもしれない。というわけで『インフェルノ』の原書とイタリア語訳の出た2013年より前に、「ダンテ」(あるいは「神曲」)と「テンプル騎士」に関するイタリア語記事がどれくらいあったか、ググってみました。
 2012年以前ですでに結構な数があるんで、『インフェルノ』がきっかけではないですね。明らかに2013年以降、さらに増えてますが。

 これ以上調べるのは私の語学力では無理ですが、ひょっとしたら『フーコーの振り子』がダンテのテンプル騎士団擁護に言及したことがきっかけで、イタリアのオカルトマニアによるウジェーヌ・アルーの「発見」に至ったのかもしれない。実際にそうだったとしても巡り巡っての結果でしょうけど、「嘘(フィクション)から出た真(現実)」という『フーコーの振り子』そのままの展開だったことになりますね。

先日の記事「テンプル騎士団とフリーメイソンの謎」

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「禁断の快楽、あるいは悪魔の技」補足

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『トーキングヘッズ叢書』№83「音楽、なんてストレンジな!」(2020年7月29日発売)

 もう3ヵ月も前になりますが、エッセイ「禁断の快楽、あるいは悪魔の技――イスラムにおける音楽」を寄稿しております。

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『TH』№82の発売直前の4月下旬からストレスで心身の不調に陥り、それでも何もしないとさらにストレスが溜まるので、№83にも参加させていただき、お蔭でだいぶ持ち直すことができました。ただ、気分は内向きのままでブログで告知をするには至らず(単に気分が乗らなかっただけ)。
 そうこうする内に9月に入ってすぐ、今度は夏バテで体調崩してしまいました。自律神経がやられてるんでメンタルへのダメージが直にフィジカルにも来るんですが、この時は完全にフィジカルのみの不調です。以前は夏が来るたびにゾンビになってたのが、細心の注意で健康維持に努めるようになった甲斐あって、一昨年と昨年は無事に夏を乗り切れていたのですが、今年はなんぼなんでも暑すぎました。何しろ3年前からベランダで育てていたミントが死滅してしまったくらいです。毎年夏は元気がなくなっても秋には回復してたのに。除草剤でも枯れないと言われる、あのミントが。エスニック料理(本格的なのじゃなくて、なんちゃってですが)に使えて便利なので、また種を買います。

「イスラムにおける音楽」ということで、割と多くの人が「イスラムは音楽を禁忌とする」という言説を聞いたり読んだりしたことがあると思います。しかし一方で、ベリーダンスの伴奏などの「アラブ風の音楽」をイメージすることのできる人も多いと思います。まあベリーダンスは元来、イスラム世界における異教徒やムスリムでも被差別階級だった芸人が踊るものでしたが、とにかくベリーダンスの伴奏に限らずイスラム世界には音楽の伝統がちゃんとある。
 あるいはタリバンが音楽を禁止したというニュースを憶えている人もいるでしょう。ではイスラムで音楽を禁止するのは原理主義者なのかといえば、もっと最近ではISの処刑動画のBGM、「ナシード」が有名になりました。このように一見矛盾した状況は、どう説明できるのか?

 あまりテーマを広げると散漫になってしまうので、拙稿ではイスラムにおける音楽を「音文化」の観点に絞って論じました。
 アラブの人々は伝統的に、言葉(アラビア語)を非常に重視してきました。アラビア語が押韻しやすい構造なのもあって、詩とその朗詠が非常に好まれました。そのため歌もシンプルな旋律と伴奏のものが好まれ、歌詞の聴き取りを妨げる凝った旋律や伴奏は発達しませんでした。歌詞のない器楽曲は言うまでもありません。
 一方でアラブにとって「意味のある言葉」が中心でない音楽、つまり歌詞よりも旋律を重視した音楽、歌詞のない器楽曲、異国語の歌は危険なものでした。それらは人を熱狂させ、時には死に至らしめさえするものでした。つまりアラブの人々はかつて、「言葉」に対しても「音楽」そのものに対しても、非常に感受性が強かったと言えるでしょう。神の言葉であるクルアーンも韻を踏んだリズミカルな文体であり、詩と同じく朗詠されました。

 しかしイスラム世界の拡大とともに異国の音楽が大量に流入し、それらはアラブの人々を熱狂させると同時に恐れさせました。あまりにも魅力的で、到底理性を保てない。それは「神から心が逸れている」ことではないか、と。またクルアーンを、言葉が聞き取れないほどメロディアスに「歌う」ことも流行し、これもまた信心深い人々を危惧させました。

 というのが、「音文化」の観点から見た「イスラムにおける音楽」です。前イスラム時代と初期イスラム時代におけるアラビア語と音楽に対するアラブの人々の感性が、イスラムにおける音楽の位置付けを決定したのは間違いないでしょう。しかしそれ以降の、9世紀後半頃からの音楽の位置付けには、イデオロギーも大きく関わっています。
 つまりイスラムの多様化に不安を覚えた保守的な人々が、「本来のイスラム」に回帰しようとし、その一環として音楽を「非アラブ」「非イスラム」として排除しようとしたということです。そうした人々の多くは、かつてのアラブのようなアラビア語や音楽への鋭い感受性はもはや持っておらず、ただただ「異質なもの」を憎んだのでしょう。

 具象芸術の排斥が強まるのも同じ時期・同じ理由からです。前イスラム時代から初期イスラム時代のアラブの人々は、音楽の場合と同じく、自分たちの手で具象芸術を作ろうとはしないのに、異国人の手による絵画や彫像は非常に好みました。クルアーンは偶像崇拝は禁じていますが、装飾品としての偶像は禁じておらず、むしろ推奨するような下りすらあります。にもかかわらず後世のムスリムは、具象芸術はすべて非アラブ/非イスラムだとして排除しようとしたわけです。

 ところで初期イスラム時代以前のアラブの嗜好について、音楽の場合はアラビア語と音楽に対する感受性で説明がつきますが、具象芸術の場合は説明がつきません。確かにかつてのアラブの人々は自分で作る場合は絵画や彫刻よりカリグラフィーを好みましたが、「アラビア語の偏重」を理由にするには当時の識字率が低すぎる。
 ただ、無文字ではないが識字率の低い社会では往々にして、文字そのもの、書かれた言葉、書物といったものが魔力を持つという信仰が生じるので、識字率が低くてもカリグラフィーが好まれる説明にはなる。だから当時はおそらくアラビア語の書物は1冊も存在せず、ムハンマド自身もおそらく文盲であったにもかかわらず、神の言葉はクルアーン(アラビア語で「読誦されるもの」)というかたちで下されたわけです。天にはクルアーンの「原型」である1冊の書物があるんだそうで。
 しかしそれでも、アラブが自ら具象芸術を作らなかった理由は不明のままになる……まあここまでくると、補足ではなく余談ですが。

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「アポローの贈り物」補足 Ⅱ

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『トーキングヘッズ叢書』№82「もの闇のヴィジョン」(2020年4月30日発売)

 もう半年近くも経ってしまいましたが、エッセイ「アポローの贈り物――梅毒をめぐる幾つかの逸話と謎」を寄稿しております。

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 拙稿の補足(こぼれ話的なもの)Ⅰおよび半年も告知が遅れた言い訳はこちら

 さて、補足の続きです(今回で終わります)。
「天才が破滅的に生きるなら、自分も破滅的に生きれば天才になれる」と勘違いした人は大勢いたかもしれませんが、「あの天才やあの天才(ニーチェ、ベートーヴェンその他)が梅毒なら、自分も梅毒に罹れば天才になれる」と勘違いした人は、史上一人もいなかったと思います。これを想像上で実行したのがトーマス・マンの『ファウストス博士』(岩波文庫)とトーマス・M・ディッシュの『キャンプ・コンセントレーション』(サンリオSF文庫)です。
 私が知る限り、「梅毒性天才」という幻想を題材にしたフィクションはこの2作品だけですが、「梅毒幻想」という切り口で両作品が並べて論じられることは少ないようですね。『キャンプ・コンセントレーション』はトーマス・マンに献辞を捧げていますが、『ファウストス博士』よりも『魔の山』との関連で論じられているっぽいです。

 私は『キャンプ』も『ファウストス博士』も「梅毒幻想」小説として読んだのもあって、『キャンプ』が『魔の山』のオマージュだとか言われても、あまりピンと来ないんですが、何より大きいのは『魔の山』を「モラトリアム小説」として読んだからでしょうね。
『魔の山』を読んだのは、デビュー作『グアルディア』の執筆を始めた頃かその直前の2002年夏で、パワハラで退職に追い込まれた挙句に感情が完全にフラットになってしまった私を見かねたのか、父が「まあしばらく好きなことをしてろ」と猶予をくれた、紛うかたなきモラトリアム状態にあった時でしたから、あれこれ言い訳を重ねて下界に降りない主人公の心情・言動がいちいち刺さり、それだけに彼の最期は衝撃的だったんですが(と反応できるまでには回復できていたわけです)、『キャンプ』のほうはまったくモラトリアムではありませんからね。それでも前半はまだ主人公は傍観者でしたが、後半はその余地すらなくなる。

「梅毒幻想」小説として括ったとはいえ、『キャンプ・コンセントレーション』を読んだのは『ファウストス博士』の数年後でしたから、今回(半年以上も前ですが)続けて再読して、両作品の刊行が21年しか隔たっていないことに、改めて驚かされました。今から21年前だと1999年ですよ。文学史的には全然最近だ。いくら『ファウストス博士』が意図的に古めかしいスタイルで書かれたのに対して『キャンプ』は前衛中の前衛だったとはいえ、この落差はちょっとすごい。

 拙稿でも触れましたが、『キャンプ・コンセントレーション』が刊行された1968年は、タスキギー大学による史上最悪の梅毒実験が進行中でした(あくまで「最悪」であって、規模は劣るものの梅毒の人体実験は過去にも行われていた)。この事件の最もおぞましい点は、40年にもわたって数百人の被験者を対象に公然と行われていた(医学雑誌に論文が掲載されていた)にもかかわらず、止めようとする人がほぼ皆無だったことです。まあ皆無ではなかったお蔭で、1972年に中止されるのですが。
 ディッシュが執筆時に実験について知っていたかどうかは不明です。しかし日本語で「タスキギー梅毒実験」「キャンプ・コンセントレーション」でググっても1件もヒットせず、英語でも数件。それらの記事でも単に同時代性を指摘するか、「想像だけど、知っていたのではないか」「実験が明るみに出たのは1972年だから、知らなかったはず」(実際には情報は公開されていたわけだが)等の憶測だけで、たとえばディッシュが実験について言及した記録がある/ない、といった確実性のあるデータはないようです。

 個人的には、ディッシュが何かしら知っていた可能性はあるとはいえ、せいぜいが「過去にそういう実験が行われていたらしい」程度だったろうと思います。『キャンプ・コンセントレーション』では梅毒実験の犠牲者たちの中心的人物に黒人が据えられており、あたかもタスキギーの実験を告発しているかのようですが、進行中の実験だと知っていたら、もっと明確に告発しているでしょう。

 ディッシュが知っていた/知らなかった、よりも重要なのは、そしてほぼ確実に知らなかったであろう実験を告発するかのような小説を書いたことよりも重要なのは、作中の、つまり虚構の「犠牲者たち」が世界に死と破壊と混沌をもたらす結末です。現実ではその4年後にタスキギー実験は中止されたけれど、数百人に及ぶ犠牲者たちが救済されたとは到底言えない。ディッシュはあたかもその「現実」を予見して、犠牲者たちに代わって虚構の中で世界に「復讐」を果たしたかのようです。
 拙稿では紙幅が限られていることもあって、充分な説明なしに「復讐」とか「報復」といった強い言葉を使うと誤解を招きかねなかったので「救済」と表現しましたが、誰かが代わって報復してくれるのは、ある種の救済ではあります。
 もちろん虚構は虚構でしかないのですが、その現実も含めて、それがディッシュという作家の本質ではないかと思います。

 最後に、拙稿の締めでも触れた梅毒の起源をめぐる論争について。
 新大陸起源説に、オリエンタリズム(この場合はすべての「非西洋」への蔑視)がないか問うのは意義のあることですが、最近の資料で梅毒の起源に言及したものがいずれも(といっても2、3点読んだだけですが)、新大陸起源説を偏見と断じ、コロンブス以前から存在していた可能性が高い非梅毒のトレポネーマ感染症や、90年代に発見された新大陸の古人骨に見られる梅毒の痕跡といった事実を無視しているのが気になります。政治が科学を抑圧するのは、政治が科学を悪用するのと同じくらい有害ですよ。

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「アポローの贈り物」補足 Ⅰ

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『トーキングヘッズ叢書』№82「もの闇のヴィジョン」(2020年4月30日発売)

 もう半年近くも経ってしまいましたが、エッセイ「アポローの贈り物――梅毒をめぐる幾つかの逸話と謎」を寄稿しております。

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 発売当時は告知する気力がなかったんですが、やっと諸々回復してまいりましたので。「先の予測がつかない」という状態が続くのは、拷問のマニュアルにもあるくらい人間にストレスを与えるものだそうで、まあとにかく半年前は、自分の活動を宣伝する気力が湧かないくらい気持ちが内向きになっておったのですよ。

『TH』の企画テーマは毎回、何ヵ月も前に決められるものであり、コロナ禍と重なってしまったのはまったくの偶然です。というわけで、内容もセンセーションを狙ったものではありません。
 私が選んだ「梅毒」は、いつかSFのネタにしようと思って調べていたものです。「アポローの贈り物」というタイトルは、梅毒の洋語名「シフィリス syphilis」の由来である16世紀のラテン語の長詩「シフィリスあるいはフランス病」から。

 この詩は邦訳されておらず、内容についてはスティーヴン・ジェイ・グールドの『ぼくは上陸している』(早川書房)の第11章を参照いたしました。詩の作者はジロラーモ・フラカストロというイタリア人医師です。この人については、資料によって「梅毒の新大陸起源説を否定した」「新大陸起源説を支持した」、「梅毒の治療薬として水銀を推奨した」「グアイヤック(西インド諸島産の木)を推奨した」とまちまちなんですが、『ぼくは上陸している』によると、「シフィリスあるいはフランス病」の第1部と第2部では梅毒の新大陸起源説を否定して水銀療法を推奨し、第3部では新大陸起源説を支持してグアイヤック療法を推奨しているそうです。

 どういうことかといいますと、フラカストロは1510年代初めに「シフィリス」の第1部と第2部を書き上げたのですが、出版前にグアイヤックという「特効薬」が登場した。そこで10年以上をかけて第3部を書き上げ、第1・2部と第3部の内容の食い違いはそのままに1530年に出版したのでした。
 では、なぜ食い違いをそのままにしたのか。実はこのグアイヤックの販売と施療には、フラカストロが支持する神聖ローマ帝国カール5世の利権が絡んでおり、なぜカール5世を支持したのかというとフランス王シャルル8世のライバルだからで、フラカストロは1494年にイタリアに侵攻したシャルル8世とフランスを憎悪していたのでした。
 そもそもヨーロッパにおける梅毒の最初の大流行は1495年にナポリにいたシャルル8世の陣中で発生したとされていて、フラカストロをはじめとするイタリア人は梅毒はフランス人が原因だと信じていたのでした(だから「シフィリスあるいはフランス病」)。

 つまりフラカストロが第3部を書いたのは、まったくの政治的な動機からで、医師としてはおそらくグアイヤックよりも水銀のほうを支持していたし、フランス憎しとしては梅毒の起源は新大陸ではなくフランスだと信じていたけれど、グアイヤックは西インド諸島でしか採れないので新大陸起源説を支持せざるを得なかった、といったところでしょう。でも本音では水銀推奨、新大陸起源説否定派なので、第1・2部もそのまま出版したのではないかと。
 ちなみにフラカストロの詩「シフィリスあるいはフランス病」で西インド諸島の住民が「アトランティスの末裔」とされているのは、スペインの歴史家フランシスコ・ロペス・デ・ゴマラ(1566?没)が提唱した説に基づいています。

 恐ろしい疫病(梅毒)をもたらしたのが第2部でも第3部でもアポロー(ラテン語なので「アポロン」ではない)なのは、彼が太陽だけでなく病も司るから。ギリシア・ローマ神話に限らず、古代の医神は疫神でもありました。病を癒す力を持つ者は病をもたらす力も持つと信じられていたのです。たとえば黒死病がユダヤ人のせいにされたの原因の一つは、彼らの罹患率が低かったことにあります(実際にはキリスト教徒より清潔だったからですが)。
「アポローの贈り物」という拙稿のタイトルは、「梅毒が創造性を高める」という俗説とアポローが芸術神でもあることに因みます。「アポロン(アポロー)的」芸術といえば、「ディオニュソス的」芸術と対立する理知的なもの、ということになり、一方、梅毒がもたらすとされた創造性は退廃、狂気、死と結びついたディオニュソス的芸術のほうが相応しい、ということになるんでしょうが、まあ古代ギリシアでも理性が重んじられたのはかなり後の時代で、アポロンも古い神話ではデーモニッシュな側面が強いですからね(疫神であることからも明らかなように)。ギリシアで理性が重んじられるようになり、かつアポロンが「理想のギリシア人」の典型とされた結果、外来の神であるディオニュソスが狂気を担うようになったと言える。まあそもそも「アポロン的」「ディオニュソス的」という対立概念自体、近代のものですけど。

 梅毒によってもたらされる創造性、という俗説の成立過程は、C・ケテルの『梅毒の歴史』(藤原書店)を参照しています。しかしこの本、いろいろ参考にはなったんですが、凝った言い回し、婉曲表現、反語が多く、何より読者が知識を有しているという前提でまともに解説してない事柄が少なくない。たとえば「遺伝梅毒」という謬説についてかなりの紙幅を割いてるんですが、大前提となる「梅毒は遺伝しない」という事実について本文中で一切言及していない。口絵のキャプションに「遺伝梅毒という神話」という表現があるのが唯一の言及。いや、わりと専門的な本なんで、梅毒が遺伝しないことを知らずにこの本を読もうという気を起こす人はいないかもしれないにしても。
 これだからフランス人の書く文章は苦手というか、これでも相当マシなほうというか。

 拙稿で言及している、遺伝梅毒説と優生学の結びつきは『比較「優生学」史』(現代書館)で指摘されています。この本はドイツ、フランス、ブラジル、ロシアの優生学について、それぞれ別の著者が論じているわけですが、遺伝梅毒説がフランス優生学の土壌から生まれた、という指摘があるのは、同書のフランス篇ではなくブラジル篇のほうです。ブラジルの優生学はフランスから導入したものだそうで。

 で、『梅毒の歴史』によると「梅毒性天才」(便宜上、こう呼びます)という概念を「創作」したのは、フランスの作家レオン・ドーデ(1867-1942)。「最後の授業」で知られるアルフォンス・ドーデ(1897没)の息子です。拙稿に引用したレオンの「梅毒讃歌」は『梅毒の歴史』から。
『梅毒の歴史』の訳者である寺田光徳氏は著書『梅毒の文学史』(平凡社)の中で、レオンがこの概念を創作したのは、父アルフォンスの死を不名誉なものとしたくなかったからだろうと推測しています。まあそれも確かに動機の一つではあるでしょうけれど、それ以上に大きかったのは、レオン自身の「遺伝梅毒」への恐怖だったのではないでしょうか。
 梅毒は潜伏期間が長いせいもあって最終段階が狂気(進行性麻痺)であることは長いこと認識されておらず、19世紀後半にアルフレッド・フルニエによって初めて明らかにされます。そこまではよかったんだけど、このフルニエ、「遺伝梅毒」説(提唱されたのは18世紀末)を優生学と結びつけた張本人でもある。優生学の言うところの「人類の退化」の一因が遺伝梅毒かもしれない、と。

 この見解を普及させたのが息子のエドモン・フルニエで、お蔭で遺伝梅毒は人類の退化の一因「かもしれない」ではなく、一因に確定されます。で、エドモンの友人だったのがレオン・ドーデというわけです。レオンは元は医者志望で、エドモンと知り合ったのも医大在学中。正規の医学教育を受けているので、当時の「正統科学」だった優生学を把握しているし、その優生学に沿った遺伝梅毒説も同様。
 父親の梅毒感染後に生まれたレオンは、遺伝梅毒だということになる。遺伝梅毒患者は、知的・精神的・肉体的に劣っているとされていました。遺伝梅毒説そのものを否定する代わりに、レオンは「梅毒性天才」という概念を創造することで実に鮮やかにパラダイムシフトを起こしたわけです。自分を天才だと宣言したのも同然で、しかも世間に認められたわけだから、鮮やかと言うほかない。

 もちろんレオンとしては、自分が惨めな劣等者である可能性を否定したかったのでしょうけれど、それとはまた別に、大作家の息子として自分の才能の「裏付け」が欲しかったのではないでしょうか。たとえその裏付けが梅毒という忌まわしい病気であっても。
 そして自らの才能の保証を梅毒に求める以上は、父親の「天才」も梅毒によるものだとせざるを得なかった。実の父親であろうとなかろうと、他人の才能の源泉を外挿的なもの、それも梅毒(現代よりさらにイメージが悪かった)だとするのは、その人の擁護どころか侮辱以外の何ものでもない、と私は思いますけどね。「フランス、アルザス、フランス、アルザス」が「天才」か? という疑問はさておき。

 何はともあれ、晩年のアルフォンス・ドーデが自らの闘病生活を書き綴った日記やメモが、死後30年余りして未亡人によって編集され、刊行されたのは、「梅毒性天才」論が普及したお蔭でしょう。出版を意図したものではないこともああってか、なかなかの傑作だそうで、ジュリアン・バーンズ(『イングランド・イングランド』とか)が自ら英訳して『In the Land of Pain』のタイトルで出版しています。

 レオン・ドーデが「梅毒性天才」論を捻り出すにあたって、ロンブローゾ(1835-1907)の天才論、俗に言う「天才と狂人は紙一重」を念頭に置いていたのは間違いないでしょう。そして一時はロンブローゾの天才論と同じくらい人口に膾炙します。
「天才と狂人は紙一重」論の天才は、ロマン主義的な破滅型天才、「ディオニュソス的」天才になりますが、この考えが受けたのは、「天才が破滅的に生きるなら、自分も破滅的に生きれば天才になれる(に違いない)」という勘違いを生む余地があったからですが、世の中、そんな人ばかりではない。より広範で根源的で潜在的な理由としては、天才を「狂人と紙一重」と貶めることができるから、じゃないですかね。

 そして「梅毒性天才」論は、「天才と狂人は紙一重」論以上に天才を貶めるものです。梅毒治療法が確立された現代ではこの俗説/謬説も忘れられつつありますが、完全に過去のものとなるのはまだ先でしょう。
『性病の世界史』という本があって、原書はドイツ語で2001年刊、2003年に草思社から邦訳が出て、16年に文庫化されています。拙稿を書くに当たって、参考になるかと梅毒についての記述(大半を占める)だけ読んだんですが、いや、これがひどい。著者のビルギット・アダムは医学や科学を学んだことはなく、梅毒の蔓延でドイツの温泉文化が廃れた等、そこそこ専門的なネタもありますが、まあこれも諸説ありますし、ドイツ人だから他国の人よりはハードルの高いネタではないだろうし。全体的にはミソもクソも一緒というか、現在は(おそらく刊行当時も)はっきり否定されているか極めて疑わしいとされている著名な学者や芸術家たちの梅毒説(後天性あるいは先天性)を「事実」として列挙している。
「梅毒性天才」論がどれだけ人気があったかを知るには役に立つ本ですが、まだ売れてるわけですからね。鵜呑みにする読者もいるのでしょう。

 長くなったので続きます。

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