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「アポローの贈り物」補足 Ⅱ

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『トーキングヘッズ叢書』№82「もの闇のヴィジョン」(2020年4月30日発売)

 もう半年近くも経ってしまいましたが、エッセイ「アポローの贈り物――梅毒をめぐる幾つかの逸話と謎」を寄稿しております。

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 拙稿の補足(こぼれ話的なもの)Ⅰおよび半年も告知が遅れた言い訳はこちら

 さて、補足の続きです(今回で終わります)。
「天才が破滅的に生きるなら、自分も破滅的に生きれば天才になれる」と勘違いした人は大勢いたかもしれませんが、「あの天才やあの天才(ニーチェ、ベートーヴェンその他)が梅毒なら、自分も梅毒に罹れば天才になれる」と勘違いした人は、史上一人もいなかったと思います。これを想像上で実行したのがトーマス・マンの『ファウストス博士』(岩波文庫)とトーマス・M・ディッシュの『キャンプ・コンセントレーション』(サンリオSF文庫)です。
 私が知る限り、「梅毒性天才」という幻想を題材にしたフィクションはこの2作品だけですが、「梅毒幻想」という切り口で両作品が並べて論じられることは少ないようですね。『キャンプ・コンセントレーション』はトーマス・マンに献辞を捧げていますが、『ファウストス博士』よりも『魔の山』との関連で論じられているっぽいです。

 私は『キャンプ』も『ファウストス博士』も「梅毒幻想」小説として読んだのもあって、『キャンプ』が『魔の山』のオマージュだとか言われても、あまりピンと来ないんですが、何より大きいのは『魔の山』を「モラトリアム小説」として読んだからでしょうね。
『魔の山』を読んだのは、デビュー作『グアルディア』の執筆を始めた頃かその直前の2002年夏で、パワハラで退職に追い込まれた挙句に感情が完全にフラットになってしまった私を見かねたのか、父が「まあしばらく好きなことをしてろ」と猶予をくれた、紛うかたなきモラトリアム状態にあった時でしたから、あれこれ言い訳を重ねて下界に降りない主人公の心情・言動がいちいち刺さり、それだけに彼の最期は衝撃的だったんですが(と反応できるまでには回復できていたわけです)、『キャンプ』のほうはまったくモラトリアムではありませんからね。それでも前半はまだ主人公は傍観者でしたが、後半はその余地すらなくなる。

「梅毒幻想」小説として括ったとはいえ、『キャンプ・コンセントレーション』を読んだのは『ファウストス博士』の数年後でしたから、今回(半年以上も前ですが)続けて再読して、両作品の刊行が21年しか隔たっていないことに、改めて驚かされました。今から21年前だと1999年ですよ。文学史的には全然最近だ。いくら『ファウストス博士』が意図的に古めかしいスタイルで書かれたのに対して『キャンプ』は前衛中の前衛だったとはいえ、この落差はちょっとすごい。

 拙稿でも触れましたが、『キャンプ・コンセントレーション』が刊行された1968年は、タスキギー大学による史上最悪の梅毒実験が進行中でした(あくまで「最悪」であって、規模は劣るものの梅毒の人体実験は過去にも行われていた)。この事件の最もおぞましい点は、40年にもわたって数百人の被験者を対象に公然と行われていた(医学雑誌に論文が掲載されていた)にもかかわらず、止めようとする人がほぼ皆無だったことです。まあ皆無ではなかったお蔭で、1972年に中止されるのですが。
 ディッシュが執筆時に実験について知っていたかどうかは不明です。しかし日本語で「タスキギー梅毒実験」「キャンプ・コンセントレーション」でググっても1件もヒットせず、英語でも数件。それらの記事でも単に同時代性を指摘するか、「想像だけど、知っていたのではないか」「実験が明るみに出たのは1972年だから、知らなかったはず」(実際には情報は公開されていたわけだが)等の憶測だけで、たとえばディッシュが実験について言及した記録がある/ない、といった確実性のあるデータはないようです。

 個人的には、ディッシュが何かしら知っていた可能性はあるとはいえ、せいぜいが「過去にそういう実験が行われていたらしい」程度だったろうと思います。『キャンプ・コンセントレーション』では梅毒実験の犠牲者たちの中心的人物に黒人が据えられており、あたかもタスキギーの実験を告発しているかのようですが、進行中の実験だと知っていたら、もっと明確に告発しているでしょう。

 ディッシュが知っていた/知らなかった、よりも重要なのは、そしてほぼ確実に知らなかったであろう実験を告発するかのような小説を書いたことよりも重要なのは、作中の、つまり虚構の「犠牲者たち」が世界に死と破壊と混沌をもたらす結末です。現実ではその4年後にタスキギー実験は中止されたけれど、数百人に及ぶ犠牲者たちが救済されたとは到底言えない。ディッシュはあたかもその「現実」を予見して、犠牲者たちに代わって虚構の中で世界に「復讐」を果たしたかのようです。
 拙稿では紙幅が限られていることもあって、充分な説明なしに「復讐」とか「報復」といった強い言葉を使うと誤解を招きかねなかったので「救済」と表現しましたが、誰かが代わって報復してくれるのは、ある種の救済ではあります。
 もちろん虚構は虚構でしかないのですが、その現実も含めて、それがディッシュという作家の本質ではないかと思います。

 最後に、拙稿の締めでも触れた梅毒の起源をめぐる論争について。
 新大陸起源説に、オリエンタリズム(この場合はすべての「非西洋」への蔑視)がないか問うのは意義のあることですが、最近の資料で梅毒の起源に言及したものがいずれも(といっても2、3点読んだだけですが)、新大陸起源説を偏見と断じ、コロンブス以前から存在していた可能性が高い非梅毒のトレポネーマ感染症や、90年代に発見された新大陸の古人骨に見られる梅毒の痕跡といった事実を無視しているのが気になります。政治が科学を抑圧するのは、政治が科学を悪用するのと同じくらい有害ですよ。

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