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「アポローの贈り物」補足 Ⅰ

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『トーキングヘッズ叢書』№82「もの闇のヴィジョン」(2020年4月30日発売)

 もう半年近くも経ってしまいましたが、エッセイ「アポローの贈り物――梅毒をめぐる幾つかの逸話と謎」を寄稿しております。

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 発売当時は告知する気力がなかったんですが、やっと諸々回復してまいりましたので。「先の予測がつかない」という状態が続くのは、拷問のマニュアルにもあるくらい人間にストレスを与えるものだそうで、まあとにかく半年前は、自分の活動を宣伝する気力が湧かないくらい気持ちが内向きになっておったのですよ。

『TH』の企画テーマは毎回、何ヵ月も前に決められるものであり、コロナ禍と重なってしまったのはまったくの偶然です。というわけで、内容もセンセーションを狙ったものではありません。
 私が選んだ「梅毒」は、いつかSFのネタにしようと思って調べていたものです。「アポローの贈り物」というタイトルは、梅毒の洋語名「シフィリス syphilis」の由来である16世紀のラテン語の長詩「シフィリスあるいはフランス病」から。

 この詩は邦訳されておらず、内容についてはスティーヴン・ジェイ・グールドの『ぼくは上陸している』(早川書房)の第11章を参照いたしました。詩の作者はジロラーモ・フラカストロというイタリア人医師です。この人については、資料によって「梅毒の新大陸起源説を否定した」「新大陸起源説を支持した」、「梅毒の治療薬として水銀を推奨した」「グアイヤック(西インド諸島産の木)を推奨した」とまちまちなんですが、『ぼくは上陸している』によると、「シフィリスあるいはフランス病」の第1部と第2部では梅毒の新大陸起源説を否定して水銀療法を推奨し、第3部では新大陸起源説を支持してグアイヤック療法を推奨しているそうです。

 どういうことかといいますと、フラカストロは1510年代初めに「シフィリス」の第1部と第2部を書き上げたのですが、出版前にグアイヤックという「特効薬」が登場した。そこで10年以上をかけて第3部を書き上げ、第1・2部と第3部の内容の食い違いはそのままに1530年に出版したのでした。
 では、なぜ食い違いをそのままにしたのか。実はこのグアイヤックの販売と施療には、フラカストロが支持する神聖ローマ帝国カール5世の利権が絡んでおり、なぜカール5世を支持したのかというとフランス王シャルル8世のライバルだからで、フラカストロは1494年にイタリアに侵攻したシャルル8世とフランスを憎悪していたのでした。
 そもそもヨーロッパにおける梅毒の最初の大流行は1495年にナポリにいたシャルル8世の陣中で発生したとされていて、フラカストロをはじめとするイタリア人は梅毒はフランス人が原因だと信じていたのでした(だから「シフィリスあるいはフランス病」)。

 つまりフラカストロが第3部を書いたのは、まったくの政治的な動機からで、医師としてはおそらくグアイヤックよりも水銀のほうを支持していたし、フランス憎しとしては梅毒の起源は新大陸ではなくフランスだと信じていたけれど、グアイヤックは西インド諸島でしか採れないので新大陸起源説を支持せざるを得なかった、といったところでしょう。でも本音では水銀推奨、新大陸起源説否定派なので、第1・2部もそのまま出版したのではないかと。
 ちなみにフラカストロの詩「シフィリスあるいはフランス病」で西インド諸島の住民が「アトランティスの末裔」とされているのは、スペインの歴史家フランシスコ・ロペス・デ・ゴマラ(1566?没)が提唱した説に基づいています。

 恐ろしい疫病(梅毒)をもたらしたのが第2部でも第3部でもアポロー(ラテン語なので「アポロン」ではない)なのは、彼が太陽だけでなく病も司るから。ギリシア・ローマ神話に限らず、古代の医神は疫神でもありました。病を癒す力を持つ者は病をもたらす力も持つと信じられていたのです。たとえば黒死病がユダヤ人のせいにされたの原因の一つは、彼らの罹患率が低かったことにあります(実際にはキリスト教徒より清潔だったからですが)。
「アポローの贈り物」という拙稿のタイトルは、「梅毒が創造性を高める」という俗説とアポローが芸術神でもあることに因みます。「アポロン(アポロー)的」芸術といえば、「ディオニュソス的」芸術と対立する理知的なもの、ということになり、一方、梅毒がもたらすとされた創造性は退廃、狂気、死と結びついたディオニュソス的芸術のほうが相応しい、ということになるんでしょうが、まあ古代ギリシアでも理性が重んじられたのはかなり後の時代で、アポロンも古い神話ではデーモニッシュな側面が強いですからね(疫神であることからも明らかなように)。ギリシアで理性が重んじられるようになり、かつアポロンが「理想のギリシア人」の典型とされた結果、外来の神であるディオニュソスが狂気を担うようになったと言える。まあそもそも「アポロン的」「ディオニュソス的」という対立概念自体、近代のものですけど。

 梅毒によってもたらされる創造性、という俗説の成立過程は、C・ケテルの『梅毒の歴史』(藤原書店)を参照しています。しかしこの本、いろいろ参考にはなったんですが、凝った言い回し、婉曲表現、反語が多く、何より読者が知識を有しているという前提でまともに解説してない事柄が少なくない。たとえば「遺伝梅毒」という謬説についてかなりの紙幅を割いてるんですが、大前提となる「梅毒は遺伝しない」という事実について本文中で一切言及していない。口絵のキャプションに「遺伝梅毒という神話」という表現があるのが唯一の言及。いや、わりと専門的な本なんで、梅毒が遺伝しないことを知らずにこの本を読もうという気を起こす人はいないかもしれないにしても。
 これだからフランス人の書く文章は苦手というか、これでも相当マシなほうというか。

 拙稿で言及している、遺伝梅毒説と優生学の結びつきは『比較「優生学」史』(現代書館)で指摘されています。この本はドイツ、フランス、ブラジル、ロシアの優生学について、それぞれ別の著者が論じているわけですが、遺伝梅毒説がフランス優生学の土壌から生まれた、という指摘があるのは、同書のフランス篇ではなくブラジル篇のほうです。ブラジルの優生学はフランスから導入したものだそうで。

 で、『梅毒の歴史』によると「梅毒性天才」(便宜上、こう呼びます)という概念を「創作」したのは、フランスの作家レオン・ドーデ(1867-1942)。「最後の授業」で知られるアルフォンス・ドーデ(1897没)の息子です。拙稿に引用したレオンの「梅毒讃歌」は『梅毒の歴史』から。
『梅毒の歴史』の訳者である寺田光徳氏は著書『梅毒の文学史』(平凡社)の中で、レオンがこの概念を創作したのは、父アルフォンスの死を不名誉なものとしたくなかったからだろうと推測しています。まあそれも確かに動機の一つではあるでしょうけれど、それ以上に大きかったのは、レオン自身の「遺伝梅毒」への恐怖だったのではないでしょうか。
 梅毒は潜伏期間が長いせいもあって最終段階が狂気(進行性麻痺)であることは長いこと認識されておらず、19世紀後半にアルフレッド・フルニエによって初めて明らかにされます。そこまではよかったんだけど、このフルニエ、「遺伝梅毒」説(提唱されたのは18世紀末)を優生学と結びつけた張本人でもある。優生学の言うところの「人類の退化」の一因が遺伝梅毒かもしれない、と。

 この見解を普及させたのが息子のエドモン・フルニエで、お蔭で遺伝梅毒は人類の退化の一因「かもしれない」ではなく、一因に確定されます。で、エドモンの友人だったのがレオン・ドーデというわけです。レオンは元は医者志望で、エドモンと知り合ったのも医大在学中。正規の医学教育を受けているので、当時の「正統科学」だった優生学を把握しているし、その優生学に沿った遺伝梅毒説も同様。
 父親の梅毒感染後に生まれたレオンは、遺伝梅毒だということになる。遺伝梅毒患者は、知的・精神的・肉体的に劣っているとされていました。遺伝梅毒説そのものを否定する代わりに、レオンは「梅毒性天才」という概念を創造することで実に鮮やかにパラダイムシフトを起こしたわけです。自分を天才だと宣言したのも同然で、しかも世間に認められたわけだから、鮮やかと言うほかない。

 もちろんレオンとしては、自分が惨めな劣等者である可能性を否定したかったのでしょうけれど、それとはまた別に、大作家の息子として自分の才能の「裏付け」が欲しかったのではないでしょうか。たとえその裏付けが梅毒という忌まわしい病気であっても。
 そして自らの才能の保証を梅毒に求める以上は、父親の「天才」も梅毒によるものだとせざるを得なかった。実の父親であろうとなかろうと、他人の才能の源泉を外挿的なもの、それも梅毒(現代よりさらにイメージが悪かった)だとするのは、その人の擁護どころか侮辱以外の何ものでもない、と私は思いますけどね。「フランス、アルザス、フランス、アルザス」が「天才」か? という疑問はさておき。

 何はともあれ、晩年のアルフォンス・ドーデが自らの闘病生活を書き綴った日記やメモが、死後30年余りして未亡人によって編集され、刊行されたのは、「梅毒性天才」論が普及したお蔭でしょう。出版を意図したものではないこともああってか、なかなかの傑作だそうで、ジュリアン・バーンズ(『イングランド・イングランド』とか)が自ら英訳して『In the Land of Pain』のタイトルで出版しています。

 レオン・ドーデが「梅毒性天才」論を捻り出すにあたって、ロンブローゾ(1835-1907)の天才論、俗に言う「天才と狂人は紙一重」を念頭に置いていたのは間違いないでしょう。そして一時はロンブローゾの天才論と同じくらい人口に膾炙します。
「天才と狂人は紙一重」論の天才は、ロマン主義的な破滅型天才、「ディオニュソス的」天才になりますが、この考えが受けたのは、「天才が破滅的に生きるなら、自分も破滅的に生きれば天才になれる(に違いない)」という勘違いを生む余地があったからですが、世の中、そんな人ばかりではない。より広範で根源的で潜在的な理由としては、天才を「狂人と紙一重」と貶めることができるから、じゃないですかね。

 そして「梅毒性天才」論は、「天才と狂人は紙一重」論以上に天才を貶めるものです。梅毒治療法が確立された現代ではこの俗説/謬説も忘れられつつありますが、完全に過去のものとなるのはまだ先でしょう。
『性病の世界史』という本があって、原書はドイツ語で2001年刊、2003年に草思社から邦訳が出て、16年に文庫化されています。拙稿を書くに当たって、参考になるかと梅毒についての記述(大半を占める)だけ読んだんですが、いや、これがひどい。著者のビルギット・アダムは医学や科学を学んだことはなく、梅毒の蔓延でドイツの温泉文化が廃れた等、そこそこ専門的なネタもありますが、まあこれも諸説ありますし、ドイツ人だから他国の人よりはハードルの高いネタではないだろうし。全体的にはミソもクソも一緒というか、現在は(おそらく刊行当時も)はっきり否定されているか極めて疑わしいとされている著名な学者や芸術家たちの梅毒説(後天性あるいは先天性)を「事実」として列挙している。
「梅毒性天才」論がどれだけ人気があったかを知るには役に立つ本ですが、まだ売れてるわけですからね。鵜呑みにする読者もいるのでしょう。

 長くなったので続きます。

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