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「乱反射するサタニズム」補足 Ⅲ

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「トーキングヘッズ叢書」№84「悪の方程式~善を疑え!」(2020年10月28日発売)

 エッセイ「乱反射する悪魔主義(サタニズム)」を寄稿させていただきました。「悪魔崇拝」を宗教・信仰ではなく「妄想」と定義し、そのような妄想がどのように成立し発展したかを考察しました。

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 今回は少々多めに書かせていただきました。3部構成で、第1・2部では「悪魔崇拝という妄想」について、第3部では欧米キリスト教徒によるこの妄想が、クルディスタンのヤズィーディーにもたらした惨禍について書きました。

補足記事Ⅰ
補足記事Ⅱ

 というわけで続きです。
 西洋キリスト教(カトリックとプロテスタント)における「悪魔」像がどのように形成されたかについては、ジェフリー・バートン・ラッセルの『悪魔の系譜』(青土社 原書は1988年刊)とジョルジュ・ミノワの『悪魔の文化史』(白水社 原書は2000年刊)を参照しました。
 ただし両書の見解に依拠したというよりは、それらを基にいろいろ調べた結果といいますか。

 ミノワの『悪魔の文化史』は、実体のある宗教・信仰としての「悪魔崇拝(サタニズム)」は存在しなかった、という立場を取っています。ラッセルは初期の著作(未読)では、少なくとも古代においては実体があったと論じているらしいですが、『悪魔の系譜』においてはそのような見解は見られませんでした。
『悪魔の文化史』には参考文献としてラッセルの「5部作」が挙げられています。悪魔についての5冊の論考で、すべて邦訳が出ています。でもなぜか最初の4冊は邦訳があることが邦題とともに付記されてるのに、最後の『悪魔の系譜』については『悪魔の文化史』の邦訳が出た2002年より12年も前に邦訳が出てるのに未邦訳扱いになってます。

 ラッセルの著作は『悪魔の系譜』しか読んでいないのですが、ミノワがだいぶ依拠しているのが判ります。依拠を通り越して、そのまま引き写してるような部分も散見されます……たとえば、プラトンが「悪の非在」論なるものを唱えたとした上で「チーズの穴」に喩えた「非在」の説明など、まんま『悪魔の系譜』の引き写しですが、この箇所でラッセルの名やその著書は挙げられていません。まあ「チーズの穴」の喩えはラッセルのオリジナルじゃないかもしれませんけどね。
 ほかにも『悪魔の文化史』が非キリスト教の神話に見られる「対立する善と悪」の例として、「エジプト神話の兄弟神セトとホルスの闘い」を挙げているのも『悪魔の系譜』に拠っていますね。
 ホルスはセトの甥だとしか私は知らなかったし、訳者の平野隆文氏もわざわざ註を設けて、ミノワの勘違いだろうと述べちゃってますが、ググってみたところ、初期には確かに兄弟神だとされていたそうです。後にオシリス神話に組み込まれたことで、セトがオシリスを殺し、オシリスの息子ホルスが仇討ちをしたことになったと。セトと兄弟だった古いヴァージョンのホルスは、「大ホルス」(英語はHorus the elder)と呼んで区別するそうです。
 いずれにせよ英語圏でもマイナーな神話なのは変わらないようですが、ラッセルが『悪魔の系譜』でメジャーな神話であるかのように述べているんで、たぶんミノワもそのまま……

 そうかと思えば、ミノワは西洋では9世紀までは悪魔を醜く描くことはなかったと主張しているんですが、これだけ依拠している『悪魔の系譜』にはそれよりも古い時代に描かれた醜い悪魔の絵が2点掲載されている。
 ただしうち1点は、同書のキャプチャには世紀初頭のシュトゥットガルドの福音書」の挿絵とありますが、英語とドイツ語でググった限りでは、シュトゥットガルトには確かにその挿絵が描かれた9世紀初頭の聖書写本があるものの、福音書ではなく「詩編」だそうです……どっちもどっちと言いましょうか。

 両書とも最初から最後まで、そういう「ん?」と引っ掛かる箇所がボロボロ出てくるんで、興味を惹かれた「西洋キリスト教における悪魔像の形成過程」論も、どこまで信用していいんだか判らない。
 幸いにして両書とも、典拠とする聖書(ユダヤ教およびキリスト教)の記述については、「創世記」とか「マタイによる福音書」といった書名、章、節までおおむね付記してくれているので、原文が確認できました。ユダヤ教聖書(いわゆる「旧約聖書」)古典ヘブライ語原文と七十人訳(古典ギリシア語)原文とウルガタ訳(ラテン語)原文と、ついでに英語の欽定訳(1611年版)と近現代の訳いろいろが。

 それらの原文を無料公開している英語の聖書研究サイトが幾つもあるんですよ。書名と第○章第○節とを英語で検索すると、その箇所の英訳が欽定訳から近現代版までまとめて出てくるし、「ヘブライ語」/「七十人訳 ギリシア語」/「ウルガタ訳 ラテン語」と付け加えれば各ヴァージョンが出てくる。『悪魔の系譜』や『悪魔の文化史』に書名等が明記されていない聖書の記述でも、適切なキーワード(英語)さえ選択できれば、割と簡単に見つかる。
 古典ヘブライ語、古典ギリシア語、ラテン語は初歩を独学で齧っただけですが、正典のヘブライ語版とギリシア語版は英語の注釈付きで、そうでないものも英訳が見つけられたのでだいぶ参考になり、後は辞書と文法書でなんとかなりました(各言語の辞書も手持ちの初級者向けよりも、英語のオンライン辞書が遥かに詳しくて役に立ちました)。
 いや、すごいですね。居ながらにしてこれだけのことが調べられるって。それだけ欧米では聖書研究が盛ん、かつこうした情報への需要が大きいということでしょう。その割には、キリスト教文化で育ったのに日本のオタクより聖書の知識がない欧米人は多いようですが。

 その結果、やはり両書とも細かい「ん?」が幾つも見つかりました。特に正典はともかく、外典・偽典については「いや、それは違うだろう」という記述が多い。なお偽典は英訳か英語による要約しか見つけられませんでした。まあどのみちゲエズ語やアラム語だったら、まったく解りませんが。
 そういうのはとりあえずさて措き、最も大きな問題は「デーモン/悪霊」でした。

『悪魔の系譜』でも、それに大いに依拠している『悪魔の文化史』でも、「西洋キリスト教における悪魔像の形成過程」を論ずるのに、「デーモン/悪霊」というものを全然重視していません。しかし両書とも全体を通して、この語を多用している。にもかかわらず、そもそも「デーモン」「悪霊」(と邦訳されている語)の定義を行っていない。
「悪霊」と訳されている語は原文(『悪魔の系譜』なら英語、『悪魔の文化史』なら仏語)ではどう書かれているか解りませんが、両書ともまともに使い分けていない。
 そういうわけで聖書原典ではどうなんだろうと気になって調べた結果が、拙稿の第1部なのでした。「西洋キリスト教における悪魔像の形成過程」の調査として、「デーモン」「悪霊」「神の使い(天使)」「神の息子たち」「サタン」といった用語が、古典ヘブライ語、古典ギリシア語、ラテン語、英語(欽定訳および近現代版)の各聖書の原文ではどうなっているかを片っ端から調べるという方法に行き着くことができたのは、『悪魔の系譜』と『悪魔の文化史』のお蔭ですけどね。資料として他人様にお勧めは、まあできませんね。

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