著作(エッセイなど)、インタビューほか 2020~
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エッセイなど
『SFマガジン』2021年8月号(6月25日発売) Amazonのページへのリンク
1500番台到達記念特集「ハヤカワ文庫JA総解説」PART1で《SFマガジン・セレクション》(全10巻)を担当いたしました。
1981年から1990年までの『SFマガジン』に掲載された、日本人作家による中短篇からのセレクションです。1973年生まれで、85年から『SFマガジン』を読み始め、遡ってこのセレクションの1981年版と83年版も読んでいたので、ただただノスタルジーから解説担当を希望しました。しかし結果として「SF冬の時代」と向き合うこととなり、個人的にも貴重な経験となりました。
錚々たる執筆者陣(私を除く、とかそういうことは言わない)による錚々たる作品群の解説です。是非どうぞ。
『現代思想』2021年5月号 特集「陰謀論の時代」(2021年4月27日発売予定)
「文字が構築する壮大なプロット(筋書き/陰謀)」を寄稿いたしました。
今回、参加させていただいたのは、担当者の方が『ミーチャ・ベリャーエフの子狐たち』を読んでくださったことがきっかけでした。この連作の、特に表題作は2014年の刊行当時から、「陰謀論」を扱っていることに一部の方々が着目してくださっていましたが、昨年『2010年代SF傑作選1』に収録されたことで、改めてより多くの方々が「時事問題としての陰謀論」に注目してくださっているようです。
拙作に注目していただけるのは純粋に喜ばしい反面、陰謀論がここまで大きな問題となってしまっていること自体には頭が痛いですね。というわけで陰謀論について、物語論、認知科学、歴史の3つの観点から論じております。
物語論といっても、同時期発売の『トーキングヘッズ叢書』掲載「『火の鳥』からヒーラ細胞へ」のように自作についてではなく、もっと一般的な事柄についてですが、まあ実作者ならではの見解を述べられたのではないかと。
陰謀論の基盤となる認知の歪みは、SF作家としてずっと関心を持ってきた問題です。「サイエンス・フィクション」としては科学(サイエンス)の基盤であるべき客観性や合理性と対立するものであり、「スペキュラティブ・フィクション」としては思弁(スペキュレイション)の支えである認知は多かれ少なかれ歪んでいることを大前提としていますから(少なくともそれが私個人の考えです)。ちょうど10年前に短編「ミーチャ・ベリャーエフの子狐たち」(発表は2012年4月発売の『SFマガジン』)を取り上げたのは、陰謀論を認知の歪みの集大成と捉えたからでした。
陰謀論がここまで広く深く浸透し、かつ力を持ったのは確かに歴史上、珍しい現象ではありますが、Qアノンの主張自体は過去の陰謀論の拡大再生産でしかない。関心の重点が進行中の現象そのものよりも起源や過程にあるのは、元歴史研究者の習性です。
『トーキングヘッズ叢書』№86「不死者たちの憂鬱」(2021年4月28日発売予定)
「乱反射する悪魔崇拝(サタニズム)」を寄稿いたしました。
エッセイ「『火の鳥』からヒーラ細胞へ~不老不死小考としての〈HISTORIA〉シリーズ」を寄稿いたしました。
タイトルどおり、珍しく自作解説をやっております(このブログでは散々やってきましたけどね。それ以外だと、インタビューやイベントくらいです)。
手塚治虫の『火の鳥』シリーズに関しては、幼少期の思い出も語っております。この「思い出」は、これまで数人の知り合いに語ったことがありましたが、いずれも「ふーん?」くらいな反応しか得られなかったので、語る価値もない体験なのかなと思ってたんですが、今回エッセイに書いて、数人の方に読んでいただいたところ、いずれもなかなか好評だったのでした。私の話は喋るより書いたほうがおもしろいんでしょうかね。いや、逆だったら困りますが。
『SFが読みたい! 2021年版』(2020年2月10日) (Amazonへのリンク)
「2021年の私」にコメントを書かせていただきました。
……そこでも書きましたとおり、コロナで直接被った物理的な打撃は図書館の長期休館くらいしかなかったんですが、精神的な打撃はかなり大きく、メンタルをやられる→体調を崩す→さらにメンタルをやられる→さらに体調を崩す→さらに……といういつもの負のスパイラルに陥って、ちょうど1年になります。まあ下記のとおり、エッセイのお仕事は続けられたお陰で、どうにか持ち直しつつあります。
というわけで4月15日現在、もうすでにネットには告知も上がっておりますエッセイのお仕事2つ、数日中にここでも告知いたします。
『トーキングヘッズ叢書』№84「悪の方程式~善を疑え!!」(2020年10月28日発売予定)
エッセイ「乱反射する悪魔崇拝(サタニズム)」を寄稿いたしました。
いつもより多めに書かせていただきましたが、それでも入りきらなくて已む無く没にしたネタを記事にして先日上げました。『TH』掲載分のネタのほうがもちろんおもしろいですが、没にしたネタも充分変です。
没ネタ①:「ヴードゥー教、ワルド派、そしてスタージョン」
没ネタ②:「テンプル騎士団とフリーメイソンの謎」
没ネタ②のおまけ:「ダンテとテンプル騎士団」
②で未解明だった謎を解こうとしたら変なモノを見つけてしまった話。
掲載エッセイについての補足記事はこちら。
『トーキングヘッズ叢書』№83「音楽、なんてストレンジな!」(2020年7月29日発売)
もう3ヵ月も前になりますが、エッセイ「禁断の快楽、あるいは悪魔の技――イスラムにおける音楽」を寄稿しております。
3ヵ月も告知が遅れた理由と、内容の補足(こぼれ話的なもの)はこちら。
『トーキングヘッズ叢書』№82「ものやみのヴィジョン」
2020年4月30日発売
エッセイ「アポローの贈り物――梅毒をめぐる幾つかの逸話と謎」を寄稿させていただきました。
梅毒については、いつかSFのネタにしたくていろいろ調べていたので。
告知が半年も遅れた言い訳と、内容の補足(こぼれ話的なもの)はこちら。
『SFが読みたい! 2020年版』(2020年2月6日) (Amazonへのリンク)
「2020年の私」にコメントを書かせていただきました。
後ろ向きのコメントが続いていた「20××年の私」、ようやく前向きなコメントが書けましたよ。
『TH(トーキングヘッズ叢書)』№81「野生のミラクル」
2020年1月29日㈬発売
エッセイ「密林のパラダイスーー管理された野生」を寄稿させていただきました。
今回のテーマの「野生」はレヴィ・ストロースの『野生の思考』から、ということなので、そのレヴィ・ストロースが文化人類学の道へと進んだ最初の一歩が『悲しき熱帯』、というわけで『伊藤計劃トリビュート』(Amazonへのリンク)収録の拙作「にんげんのくに」で描いたアマゾナス先住民についていろいろ書きました。
「にんげんのくに」の「人間」族のモデルはヤノマミ族ですが、他のアマゾナス先住民についてもたくさん調べたので、これを機会に総浚い。「にんげんのくに」後記で述べた「アマゾナス先住民の伝統文化と言われるものは、実は大して伝統がない」説を、より詳しく論じました。具体的には『アギーレ 神の怒り』とか『アナバシス』とか「異国風景」とか「我々はどこから来たのか、我々は何者か、我々はどこへ行くのか」とか。
「にんげんのくに」をお読みになった方も、そうでない方も、御興味を持たれましたら是非。「野生」はもちろんアマゾナスに限ったことではないので、他の執筆者の方々が論じる多彩な「野生」を、私も一読者として楽しみにしています。
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