「物語の川々は大海に注ぐ」解説と余談 其の三
全体的にネタバレ注意。
本作は「139年暑熱月(ラマダーン)」17日から20日までの4日間にわたる物語です。紀年法はヒジュラ暦(イスラム暦)で、139年ラマダーン17日はAD757年2月16日(グレゴリウス暦)に当たります。
ところでイブン・ムカッファも『カリーラとディムナ』も知らなくても、「ラマダン=イスラムの断食月」だと知っている人なら割といるでしょうね。でもなまじ知識が「ラマダン=断食月」で固定されていると、「暑熱月」にルビ「ラマダーン」という表記はかえってノイズになって、舞台がイスラム圏だと気づくのを妨げたりするかもなあ。
ヒジュラ暦の第9月である「ラマダーン」は、直訳すると「暑熱月」になります。「酷暑月」とかでもいい。とにかく本来なら真夏、盛夏に当たりますが、ヒジュラ暦が太陰暦でしかも閏月がないので、毎年数日ずつ太陽暦からズレていって「暑熱月」が夏以外に来たりするのです。
このように閏月のない太陰暦は実際の季節とどんどんズレていくので、特に農業関係は非常に不便でした(だからたいてい、太陽暦を併用してた)。イスラムが都市で生まれた宗教だったのが、その辺に無頓着である最大の理由でしょう。ヒジュラ暦はクルアーンで定められているんですが、すでに元年(AD622‐633年)の時点でラマダーンが春だったし。
ただしラマダーンが毎年真夏に固定されてたら、とてもじゃないけどやってられなくて、早々に戒律を緩めでもしない限り、イスラム自体がここまで拡大していないでしょうね。
以下、固有名詞や術語等の表記は日本における一般的なものを使い、本作における用語はなるべく()内に付記していきます。紀年は特記がない限りはADです。
主人公の通り名「イブン・ムカッファ」については、アラビア語をどうカタカナ表記するかという問題に関わってくるので解説は後日できたらします。でもまあ、日本における一般的な表記の一つではあります。
イブン・ムカッファは寓話集『カリーラとディムナ』をペルシア(ファールス)語からアラビア(タージク)語に訳した人物として、イスラム(誠の教え/イーマーン)世界で広く知られてきましたが、彼の事績についての記録は一番古いものがジャフシヤーリー(942年没)が著した『宰相と書記の書』で、イブン・ムカッファが死んだとされる750年代から、まあどんなに早くても170年は経ってる。しかもタイトルからも明らかなように、個人伝記ではなく列伝の一部でしかない。
二番目に古い記録は、イブン・ナディーム(935年頃-995年頃)の書籍目録『フィフリスト』です。これは単なる書名の列挙ではなく、内容や著者等について詳しく解説するもので、イブン・ムカッファ本人や現存していない著書(翻訳書含む)の情報が多く記載されているそうです。ちなみにどちらも邦訳は出ていません。
本作をお読みいただければお解りのとおり、イブン・ムカッファの時代はアラビア語の文字記録がようやく緒に就き始めたばかりなので、同時代の記録がそもそも少ない上に、ほとんどが失われるか断片的にしか残っていません。紙(サマルカンド紙)の普及や識字率の上昇に後押しされて伝記や歴史書の類が増えてくるのは、二世代は後ですね。
それらの書物が依拠しているのは、現存はしていない前時代のテキストおよび言い伝えです。後者については、情報を正確に記憶し伝えるものとされていましたが、捏造や歪曲・誇張が横行していたのは言うまでもありません。しかもイスラム世界において史料批判の概念が確立されるのは14世紀まで待たねばならないので、それ以前においては史料や伝承の信憑性は、「多くの人に信じられているかどうか」で判断されていたと言っていいでしょう。
そういうわけで、この時代に関するすべての記録が多かれ少なかれ曖昧なんですが、考証と作劇の双方の観点から取捨選択して設定を作り上げました。
イブン・ムカッファの生年は、史料により721-722年説と724年説があります。757年時点だと35、6歳か33歳になりますね。本作では正確な年齢を設定する必要がないし、大したブレではないので、どっちでもいいです。
彼の死は、カリフ(ハリーファ)マンスールの叔父で754年に叛乱を起こしたアブドゥッラーフのために書いた赦免状がきっかけなのは、どの史料でも一致しているようです。それがいつなのかは諸説ありますが、叛乱から5年以内なのは共通しています。
本作の時代を757年に設定したのは、イブン・ムカッファ本人の伝記ではなく、彼に赦免状を書かせたバスラ総督(太守)スライマンと彼の後任であるムハッラブ家のスフヤーンについての記録に基づいています。
歴史家タバリー(923年没)の大著『預言者たちと王たちの歴史』(『歴史』のタイトルで邦訳は出ているが、本作の時代の分は未刊行)は、一つの出来事について複数の伝承や記録を併記する体裁を取っていますが、それによるとスライマンが総督職を解任され、スフヤーンが後任に就いたのは、ヒジュラ暦139年(AD756‐757年)または140年(757‐758年)のラマダーン半ばの水曜日だそうです。
そういうわけで間を取ってAD757年にしました。グレゴリウス暦757年のラマダーンはヒジュラ暦139年で、そうすると半ばの水曜日は14日に当たります。当時の都ハーシミーヤはイラク(イラーク)中部にあって南部のバスラと数百キロ離れてるんで、タイムラグはあるだろうな、とイブン・ムカッファおよびスライマンの拘禁は17日に設定しました。集団礼拝のある金曜日を入れるとプロットの進行に支障を来すので、避けたかったのもある。
ちなみに「ガーヤト・アルハキーム」(『ナイトランド・クォータリー』vol.18 Amazonリンク)の時代は本作の12年前、745年です。主人公のイスマイールの生年は719年もしくは721年、後に錬金術師として著名になるジャービル・イブン・ハイヤーンの生年は721年とされており、つまりはイブン・ムカッファと同年代です。
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