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「物語の川々は大海に注ぐ」解説と余談 其の九

其の一其の八
掲載誌:『SFマガジン』2024年6月号

 全体的にネタバレ注意。本作では中世イスラムの固有名詞や術語の多くを、独自の用語に置き換えています。以下、日本における一般的な表記に、本作独自の用語を()で付記するかたちで記述していきます。紀年は特記がない限りはADです。

 本作のテーマは「物語」ですが、「声の文化と文字の文化」の対立というか対比にも重点を置いています。当然ながらオングの『声の文化と文字の文化』(Amazonリンク)に大きく依拠していますが、彼の理論を絶対的真理か何かのように奉じるものではありません。
 批判は結構多いみたいですしね。とはいえ
反証になり得る、少なくとも私がそう納得できるような調査・研究は行われていないようです。もちろんオングも批判者たちもどこまで正しいのか私には測りようがありませんが、オングの理論は彼が根拠としている「声の文化」の事例以外の、私が知っている「声の文化」の事例にも充分適用できますし。
 まあオングが言うほど劇的ではないだろうけど、やっぱり識字は認知能力の変化をもたらすんじゃないですか?くらいの認識ですね、私は。

『声の文化と文字の文化』に依拠したSFは、テッド・チャン「偽りのない事実、偽りのない気持ち」(『息吹』所収 Amazonリンク)がありますね。オングの理論が参照されているだけでなく、『声の文化と文字の文化』第三章にあるナイジェリアのティヴ人のエピソードが、そのまま使われている。もちろん、そのままと言っても、集団に対する調査報告か何かが典拠だと思われるオングの記述を、個人の物語に落とし込んでいるわけですが。
『声の文化と文字の文化』がとても好きなので、それをSFに昇華させているこの短篇もとても好きですし、本作を書けて嬉しい。

 本作における一般的な識字能力については、同時代史料が残っていないため、もう少し後の時代の史料や、さらに時代が下った、サドリディン・アイニー(1878‐1954)の『ブハラ ある革命芸術家の回想』(米内武雄・訳 未来社)を参考に設定しています。

 アラビア語圏に限らず、前近代イスラム(誠の教え/イーマーン)の伝統的な学習は、テキストの音読が基本でした。師がテキストを一文ずつ音読して、生徒もテキストを見ながら一文ずつ音読する。それを何回も繰り返して、生徒がすらすら音読できるようになったら、ようやく内容の講釈が始まる。講釈が全部終わったら、また別のテキストで同じことを最初から行う。
 この学習法は、クルアーン(聖典/アル・キターブ)読誦の学習が基盤となっています。読誦、すなわち音読・朗読ですね。
イスラム世界の最初期の教育機関は、このようにしてクルアーンの読誦を教えるだけの寺子屋のようなもので、クッターブと呼ばれました。
 イスラムの聖典は、日本では「コーラン」の名前で知られていますが、アラビア(タージク)語原音に近い表記では「クルアーン」。「読む(カラー)」の派生語で「読まれるもの」という意味です。この場合の「読む」は、黙読ではなく音読のことです。クルアーンの別名が「アル・キターブ」。「定冠詞+本」で、英語で聖書のことをthe bookというのと同じですね。
 で、「本」すなわち「キターブ」は「書かれたもの」の意。上記のクルアーン読み方教室「クッターブ」はキターブと同じく「書く(カタバ)」の派生語です。
 694~714年にイラク(イラーク)総督(太守)だったハッジャージュは、本作の主人公イブン・ムカッファの父の腕を拷問で潰した人物ですが、若い頃はこのクッターブの教師だったと伝えられています。この伝承が史実なのかどうかはともかく、この頃までにクッターブは都市部ではかなり広まっていたようです。
 貴族をはじめ裕福な階層の子弟は、家庭教師に学んでいました。

 初期のクッターブは、上記のようなクルアーン読誦法を教えるだけの施設でしたが、時代が下ると初等教育機関として、もっと一般化した識字教育や、算数の基礎教育も行われるようになりました。ただ、クルアーン読誦法しか教えないクッターブも残り、要するに教師次第でした。クルアーン読誦以外の識字教育にしても、クルアーンから抜き出した文章を書き写すのが基本だったそうです。
 初期のクッターブ教師(ハッジャージュもその1人になりますね)は尊敬されていましたが、高等教育が充実するにつれて社会的地位は下がっていきました。『千夜一夜』には、クッターブ教師の無教養と愚かさを嘲笑う話が幾つか収録されています(バートン版では第402夜から)。

 で、本作の時代より何百年か後の学問が発達した時代でも、上記の学習法が根幹とされてきました。10世紀頃からは、学習に使われた書籍には、その書籍の持ち主である生徒が学び終えたことを教師が保証する「証明」と呼ばれる書き込みが為されるようになりました。つまりそのテキストを、すらすら音読できて内容を他人に講釈することができるようになった、という一種の免状です。

 このような学習法が衰退し形骸化するとどうなるかは、上記のアイニーの回想録を読むとよく解ります。彼の故郷である現タジキスタンのブハラは、かつてはペルシア(ファールス)語圏における学問の中心地として遠方からも留学生が多数訪れていたのですが、国と共に学問も衰退していきました。
 すなわち
上記の方法で音読できるようになった時点で終了して講釈が行われなくなっており、しかもそれ以外のことを学ぶシステムが存在しないという有様です。それ以外のこと、ごく初歩的な読み書き計算でも、偶々それができる人に伝手があって教えてもらえる幸運に恵まれない限り、1冊の本を流暢に音読できるようになっても内容はまったく理解できず、初見の文章も読めない、自分の頭で文章を考え出して書くこともできない「知識人」たちが量産されていたのでした。

 アイニーは具体的に説明していませんが、これはつまり、文章を読むどころか文字の識別(アラビア語もペルシア語もアラビア文字を使い、英語の筆記体のように繋げて書く)もできないまま丸暗記して、自分が所持する写本の文字の配列とか挿絵とかを想起の手掛かりにして暗誦するだけ、ということでしょう。だからそうやって丸暗記していないテキストは「読む」ことができないし、同じ書物でも文字の配列が異なる写本も読めない可能性は高い。
 まあその、個人の体験で非常に申し訳ないのですが、3歳の時の私がそうでした。お気に入りの絵本は、繰り返し読み聞かせをしてもらううちに暗記して、絵を想起の手掛かりにして暗誦していました。読み聞かせしてもらうのは好きだけど自分でも読めるようになりたかったので、自分から母親に「これはなんて読むの?」と一文字ずつ指さして尋ねるようになったので、あいうえおから教えてもらうことになりましたが、アラビア文字は繋げて書くから、その分めんどうだろうなあ。

 アイニーは後にソ連の「御用作家」になるので、回想録に描かれる伝統的知識人たちの愚劣さは割り引いて読むべきでしょう。それでもこの学問の都ブハラの惨状は、イスラムの伝統的教育の「成れの果て」として十二分に説得力があります。
 なお、アイニー自身が高い識字能力を身に着けられたのは、幼い頃から詩が好きで、詩集を手に入れては独力で読破し、自ら詩作もしていたお蔭のようです。

其の一其の十

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