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「物語の川々は大海に注ぐ」解説と余談 其の十一

其の一其の十
掲載誌:『SFマガジン』2024年6月号

 全体的にネタバレ注意。今回はタイトル「物語の川々は大海に注ぐ」について解説していきます。紀年は特記がない限りはADです。

 まずは史実から。本作ではインドの実在する(した)3つの物語集に言及しています。主人公イブン・ムカッファが翻訳・加筆修正した寓話集『カリーラとディムナ』の原典『パンチャタントラ』、そして『ブリハット・カター』と『カター・サリット・サーガラ』です。
『カター・サリット・サーガラ』以外の2つは、成立年代が不明です。インドでは記念碑の類を別にすれば、年代を明確にした歴史記述の伝統が存在しなかったんで、古い時代の年代特定が非常に困難なんですね。私は大学と院でシルクロード文化史が専門で、インドもシルクロードに含まれるわけですが、この年代特定問題があるので極力触れないようにしてましたよ、めんどくさいから。

 年代不明といっても、一応は『パンチャタントラ』が3世紀以前、『ブリハット・カター』が6世紀以前だとされています。『パンチャタントラ』は西北インドのカシミールで成立したとされ、サンスクリット語で書かれました。「パンチャ」が「5」、「タントラ」はいろんな意味がありますが、この場合は「章」で、本来は5章から成ります。賢者が王子の教育のために語った、という体裁を取っています。枠物語の内枠の物語として収められている寓話は、古くからの説話でしょう。
 その後、時間の経過とともにどんどん寓話が付け加えられ、翻訳の際にもさらに増量され、『カリーラとディムナ』は序章+本編14章+終章になっています。

「ブリハット・カター」はサンスクリット語で「大いなる(ブリハット)」「物語(カター)」の意。原典はすでに散逸しており、現存しているのは改作の多い翻訳版だけだそうです。
 原典はパイシャーチー語というインド・アーリア語派の一種で書かれていますが、この言語は現存する文献がほとんどなく(しかもその一部は『ブリハット・カター』原典からの引用らしい)、同書成立推定年代の下限である6世紀からそれほど経っていない8世紀の時点でも、すでに相当なマイナー言語だったようです。パイシャーチー語原典のタイトルは『バッダ・カター』で、同じく「大いなる物語」の意だそうです。

『ブリハット・カター』原典は散逸してしまって、内容については推測するしかないので、先に『カター・サリット・サーガラ』を解説していきます。
「カター・サリット・サーガラ」は、本作では「物語の川々は大海に注ぐ」の意だとしています。これは、このタイトルのサンスクリット語物語集の部分訳『屍鬼二十五話 インド伝奇集』(上村勝彦・訳 平凡社東洋文庫)の訳者による「物語の諸川は大海に流れ込む」を参考にしたものです。あ、「川々」あるいは「河々」は私の造語ではなく、ちゃんと用例がありますよ。現代語というよりは古語ですが。
 実際のところは、「物語の諸川は大海に流れ込む」はだいぶ意訳のようです。英語訳だとthe ocean of streams of storiesが最も一般的らしい(ヴァリエーションとしてはstreamsがriversだったり、storiesがstoryだったりします)。この系統以外の訳だと、the ocean of story(物語の大海)になります。

 サンスクリット語を含めインド・アーリア諸語は全然勉強してないんですが、日本語および英語による解説を参照した限りでは、名詞は性別あり(男性・女性・中性)、数と格が変化する、数は単数・双数・複数があり、格変化は8種類て……うげっ、全部盛りかいな。
 見たとこ、「カター(物語)」も「サリット(川)」も「サーガラ(海/大海)」も、すべて単数形・主格のようですね。ただしこの場合の「サリット」は文学的メタファーとして「(物語の)川(複数)」の意らしいです。どのみち「流れ込む」「注ぐ」に当たる語はどこにもない。英語のspeechのように名詞と動詞が同形の語を有する言語もありますが、「サリット(川)」は動詞を兼ねてはいないようです。
 あと、格変化のある他の言語は複数の種類の格で同形の場合が多いので(英語ならyou your you、she her herとか)、「カター・サリット・サーガラ」は「物語の川々は大海に」の意である可能性もありますが、私が格変化を調べても間違うのがオチなので、これ以上はやめておきます。

「物語の川」というメタファーは、川の女神にして学問・芸術をも司るサラスヴァティと関連があるようです。で、現存する『カター・サリット・サーガラ』は多数ある『ブリハット・カター』の抄訳・改作の一つで、11世紀成立とされています。
 つまり8世紀半ばの『カリーラとディムナ』の作者イブン・ムカッファがこれを知ってるはずがないんですが、『カター・サリット・サーガラ』は原典『ブリハット・カター』を直接抄訳・改作したものではなく、間に別の(現存しない)翻訳・改作が入っているのはほぼ確実、しかも複数の翻訳・改作を経ている可能性がある。
 で、上記のように「物語の川々」および「その川々が流れ込む大海」というメタファーは古くからあるようなので、「カター・サリット・サーガラ」という成語も、このタイトルの書物が書かれた時に考え出されたものではなく、もっと古くからある表現だったかもしれない。『ブリハット・カター』の現存しない翻訳・改作の中にも、「カター・サリット・サーガラ」のタイトルを持つものがあったかもしれない。
 とまあ、いくらでもこじつけは可能ですが、要は「物語の川々」と「物語の大海」という概念を出したかったがための敢えてのアナクロニズムです。
この辺りについては後日改めて解説する予定です。

『ブリハット・カター』原典は、『カター・サリット・サーガラ』をはじめとする抄訳群からすると、当時知られていたありったけの説話を枠物語のかたちで総集したものだったようです。現存する『カター・サリット・サーガラ』には『カリーラとディムナ』原典の『パンチャタントラ』も収録されています。『ブリハット・カター』原典にも収録されていたのであれば、少なくとも『パンチャタントラ』よりは後に書かれたことになりますね。
 本作では『ブリハット・カター』を「すべての物語の原典」に位置付けていますが、これは『ブリハット・カター』の抄訳・改作群のうちカシミールに伝わる2点『カター・サリット・サーガラ』と『ブリハット・カター・マンジャリー』の冒頭に置かれている「カターピータ・ラムバカ」と名付けられた物語に基づいています。「カターピータ」とは「物語の土台」を意味し、つまりは枠物語の一番外枠に当たる物語のことです。
 この「カターピータ・ラムバカ」は結構ややこしいので、すごく要約すると以下のようになります。
『ブリハット・カター』は元はシヴァ神が妃パールヴァティに語り聞かせた物語で、シヴァ神の怒りを買って人間界に落とされた1匹の悪鬼(ピシャーチャ)が、恩赦を得る条件として、この物語を世に広めなければならなくなる。グナーディヤという名の人間として転生した悪鬼は、パイシャーチー語で『ブリハット・カター』を書き記して王に献呈するが、受け取ってもらえなかったのでこれを火にくべる。なんだかんだあって7分の1だけが焼き捨てられずに残り、これが物語集『ブリハット・カター』である。

 この物語を無駄にややこしくしている原因の一つが、原典の言語「パイシャーチー語」の「パイシャーチー」と、音が似ている「ピシャーチャ(悪鬼)」とのこじつけです。この「カターピータ・ラムバカ」を収録している『カター・サリット・サーガラ』と『ブリハット・カター・マンジャリー』は、ほかにもさまざまな共通点があることから、現存しない『ブリハット・カター』抄訳・改作版のうち同じものを原典としているようですが、この「原典」の時点で、パイシャーチー語は完全に忘れ去られた言語となっていて、「ピシャーチャ(悪鬼)の言語」と見做されていたようです。
 しかし「パイシャーチー語=悪鬼の言語」というこじつけを除いた、「『ブリハット・カター』は最高神シヴァが語った物語の一部」という「カターピター(物語の土台)」は、原典『ブリハット・カター』まで遡る可能性はあります。

 以上を踏まえて、「カター・サリット・サーガラ(物語の川々は大海に注ぐ)」の「サーガラ(大海)」の名は「ブリハット・カター(大いなる物語)」だということにしたのでした。

『ブリハット・カター』および『カター・サリット・サーガラ』について、一番参考にしたのは『大説話 ブリハットカター』(土田龍太郎 中公選書)ですが、まあその、あんまり解りやすい内容ではないです。それ以前に、著者は1947年生まれなのになぜか全文旧かな使いで、しかし旧字体ではなく新字体で、内容的にも旧かなにこだわる理由がまったく読み取れず、まあその、なんか怖い。

其の一 と其の十二

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