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「物語の川々は大海に注ぐ」解説と余談 其の十九

其の一其の十八
掲載誌:『SFマガジン』2024年6月号

 今回、ネタバレは特にありません。 紀年は特記がない限りはADです。

   イスラム原理主義が人や鳥獣を象った像(絵画でも立体でも)および音楽を禁忌としているのは、わりと有名だと思います。しかしどちらの禁忌も、彼らが絶対とするクルアーンに根拠はありません。
  クルアーンはユダヤ・キリスト教の聖書と違い、唯一神の言葉をそのまま書き留めたものとされています(だから翻訳すると神の言葉そのままではなくなってしまうので、翻訳版はクルアーンではなく解釈書の類と見做される)。クルアーンで禁止されているのは偶像崇拝で、美術品としての(崇拝対象ではない)人や獣の像は許容されており、音楽(舞踏なども含む)には言及すらしていません。
 なぜ唯一神が禁止していないのに禁忌とされるに至ったのか、研究者も決定的な説明はしていません。あくまで私個人の推測ですが、そもそもイスラム誕生前からアラブ独自の造形美術も音楽も事実上存在しなった、という事実と関係がありそうです。

 前イスラム期(7世紀前半以前)のアラブ独自の芸術はただ一つ、詩(韻文)だけでした(もちろんアラビア語です)。ではその他の芸術分野はどうっだったのか? というわけで、今回は音楽の話をします。
『トーキング・ヘッズ叢書』№.83(Amazonリンク)所収の「禁断の快楽、あるいは悪魔の技」に詳しく書きましたが、アラビア語の歌と詩は元来、境界が不明瞭だったようです。実際、
韻文および押韻散文は、抑揚をつけて朗唱すると、それだけで音楽的になります。韻文は厳格な韻律(押韻、音数などの形式)を持つ文章のことで、韻文詩もこれに含まれます。押韻散文については、とりあえずここでは散文すなわち韻律のない普通の話し言葉だが韻を踏む(押韻の規則性は緩い)と定義します(本来は、アラビア語において韻文・散文と並ぶもう一つの文章形式「サジュウ」に当てられた訳語です)。
 日本語には韻文がないのでイメージし難いかもしれませんが、前者はオペラのレチタティーヴォ、後者はラップ(ただし、どちらも無伴奏)だと考えれば、解り易いかと思います。
 したがって異民族の文化が大量に流入してくるヘレニズム期(前4~前1世紀)より前のアラブ本来の歌は、おそらく単調な単声で無伴奏か単純な打楽器で拍子を取る程度だったと推測されます。
 器楽曲も全然発達しなかったようで、実際、アラブの古典楽器とされるものの多くが、明確に異民族起源です。

 音楽は脳の報酬を活性化しドーパミンの分泌を促すことで、感動や快さをもたらします。それは器楽曲でも歌でも同じですが、歌の場合はそれに加えて、歌詞による感動があります。もちろんこの場合の歌詞は、母語やそれに準ずるくらい充分に理解できる言語のものです。
 そして発声された韻文および押韻散文も、音楽性(押韻のリズムと抑揚)だけでなく「言葉」にも感動できるのだそうですね。詩を「読む」(黙読する)のではなく、「うたわれている」(朗唱する)のを聴くことで生まれる感動です。
 しかし私自身はというと、どうにかヒアリングできる唯一の外国語である英語(だいぶギリギリ)の、それも予め意味を調べておいた韻文詩の朗読を聞いても、全然感動できない(心拍数増加など、ドーパミン分泌による身体反応がない)んですが、日本文化で育って、かつ外国語に堪能な人なら、その言語の韻文に感動できるものなんでしょうかね?

 日本語でラップを作るのが難しいのは、単に日本語が洋楽のリズムに合わせ難いのが大きいのだと思いますが、そもそも韻文どころか和歌の掛詞以上に押韻が発達せず、駄洒落に至っては忌み嫌われている。
 まあ江戸時代までは駄洒落はそんなに嫌われていなかったようなので、日本語の特性というよりは「声の文化」の衰退がもあるでしょう。日本でもかつては五と七の音節から成る(すなわち音数律を持つ)定型詩が、多言語における韻文と同じ効果を持っていたはずですが、現代日本人でその感性を保持している人がどれだけいるのでしょうか。五・七のリズムの言葉の並びを聴くだけで、涙を流すとまでは行かずとも、ドーパミン分泌を増加させ心拍数を上げることのできる感性を保持している人が。
多くの人にとっては、五・七の組み合わせが快い、という程度でしかないでしょう。

 日本語で書かれた文章は絵本やシナリオなどを例外として、ほぼすべて黙読を前提としています。詩集の類も、音読するものとして買う人がどれくらいいるのか。一方、欧米では詩だけでなく小説の朗読会が盛んで、オーディオブックもよく売れています。
 つまり欧米のほうが日本よりは「声の文化」が色濃いと言えますが、欧米人(のアラブ文化研究者)にとっても、アラビア語古典文学で多用される掛詞は駄洒落に感じられてしまうそうです。

 音楽に必要な知覚能力は、リズムの認識とメロディの認識に大別できるそうです。リズムの認識は大脳左半球および大脳基底核、小脳その他広範囲の領域が担っていますが、メロディの認識は右半球に神経基盤があります。で、言語の使用には知覚能力(音それ自体に加え、リズムやメロディの認識)や運動制御に加え、何よりも抽象化能力が必要ですが、これは左半球に依存します。
 左半球に先天的または後天的な障害があると言語能力が阻害される代わりに高い音楽能力を発現する例が多く、また定型発達においても幼児期の高い音楽能力が左半球の発達に伴って失われる例が見らるそうです。このことから、左半球が右半球の音楽能力を抑制していると考えられます。
 またネアンデルタール人の抽象化能力は低かったらしいことからも、音楽能力は言語能力より先に進化したと見ていいでしょう。そんでもって、最初の「音楽」は声を楽器としたハミングやスキャットの類でしょうね。手拍子や足拍子、その辺の物を叩いてリズムを取るのも早かったのではないでしょうか。

 言語能力と音楽能力が別々に進化したものとはいえ、発話にはリズムや抑揚の認識も必要なので、音楽能力がまったく無関係なのではない。しかしメロディに言葉を巧く乗せるには、共に高度な言語能力と音楽能力が必要です。だから詩と「歌詞のある歌」は、共に「抑揚を付けた語り」を起源とすると思われます。
 そして詩がリズムを重視して韻律(あるいは韻のみ、律のみ)を発達させ、歌はメロディを重視して複雑化した上に伴奏をつけたりするようになった。その結果、歌詞が聞き取りづらい歌が多くなった。

 古代のアラブが詩を発達させた代わりに歌および器楽曲を発達させなかったのは、「言葉の聞き取りやすさ」を重視した結果だと思われます。この「言葉(アラビア語)による情動喚起」を何より重視したために、彼らは音楽のみならず造形美術も発達させず、絵や彫刻よりもカリグラフィーを好みました。
 本作でイブン・ムカッファは、書物の一冊も持たないほどアラブの文字文化は未発達だったのに、長大な聖典(クルアーン)を書き起こせるだけの表記体系がすでに存在していたことに改めて驚嘆しています。どうやら古代のアラブは、岩などに碑文を刻むために美しい形のアラビア文字を発達させたようです。とはいえイスラム誕生以前は、独自の芸術と呼べるほどには発展していませんでしたが。

 なぜ彼らはここまでアラビア語にこだわったのか。誰も明確な説明はできていません。また彼らが音楽全般を嫌いだったのかというと、まったくそんなことはありませんでした。流入してきた異民族の音楽に、彼らは夢中になるのです。しかし異民族の音楽家(主に奴隷)に演奏させたり歌わせたりするばかりで、アラブ自身が演奏したり歌ったりするのはもちろん、独自の音楽を作り出す動きは、ないわけではなかったものの、ごく鈍いものでした。
 これらの問題について、またそれほど音楽好きのアラブの人々がそれを禁忌とするに至ったかについては、後日解説の予定です。とりあえず次回は、造形美術について。

其の一其の二十

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