「物語の川々は大海に注ぐ」解説と余談 其の二十一
全体的にネタバレ注意。 紀年は特記がない限りはADです。
前回述べたように、クルアーンにおける唯一神は、美術品としての人や鳥獣の像を禁止しているどころか、お墨付きを与えているとすら解釈可能です。それなのにイスラムの長い歴史(1400年近く)の中で、美術品としての人や鳥獣の像はしばしば禁忌とされてきました。根拠とされるのは、預言者ムハンマドや最初期の信者たちの言行に関する伝承(ハディース)です。
ムスリムたちは、ある行為や考えが信仰にもとるかもとらないかを、クルアーンを典拠に判断します。しかしクルアーンだけでは判断しきれないことは、いくらでもあります。そこで第二の「聖なる典拠」とされたのが、ハディースです。
ここからしばらく、造形美術とも音楽とも関係ない話になりますが、本作の内容とは関係ありますよ。
オングの『声の文化と文字の文化』によれば、無文字文化から文字文化への移行に時間がかかる大きな理由の一つは、無文字文化の人々の「書かれた言葉」に対する不信感です。何が書かれていようと、自分たちは読めないので。
アラブは古くから独自の文字を持っていたにもかかわらず、長い間、非常に低い識字率のままでした。ムハンマドはおそらく文盲でしたが「書かれた言葉」に偏見がなく、何人もの書記を身辺に置き、預言を記録させていました。それらの記録が一冊の本(クルアーン)にまとめられたのは、ムハンマドの死(632年)から20年後、彼の後継者(カリフ)の一人、ウスマーンによってです。
ウスマーン自身は識字能力が高かったと伝えられるので、文字記録の重要性はよく理解していたでしょう。この編纂事業に反対者がいたという記録はありません。そもそも同時代記録がほぼ皆無なんですが、「反対者がいたと伝えられている」という記録も存在しません。
本作でも言及しましたが、天界には唯一神自らが執筆した、この世の始まりから終わりに至る全被造物の記録があり、クルアーン(およびユダヤ・キリスト教の聖書)はこの「天の書」とか「書物の母」と呼ばれる書物からの抜粋だとされています。「原典」が書籍の形になっているので、クルアーンも書籍の形に編纂することに、それほど抵抗がなかったのでしょう。また当時は、アラブ自身に「アラブは声の文化」という意識が薄かったのではないかと思われます。
しかし、いったん「クルアーン」というアラビア語の唯一の書物が出来上がってしまうと、それを神聖視するあまり、「クルアーン以外のどんなアラビア語の文章も書き留められるべきではない」と言い出す者が出てきます。領土の拡大とともに必要となってくる行政文書が、7世紀末になるまで異民族の書記たちによって異国語で書かれていたのは、アラビア語で作文できる者が少なかったのが第一の原因ですが、第二の原因は、このクルアーンとアラビア文字の神聖視です。
各地の現地語で書かれていた行政文書をアラビア語に変えたのが、本作の主人公イブン・ムカッファ(「手萎えの息子」)の父親を拷問で「ムカッファ(手萎え)」にした、イラク太守ハッジャージュです。クルアーン編纂の時と同じく、同時代史料が皆無に近いので、この改革への抵抗があったかなかったのかすら伝わっていません。しかしハッジャージュは非常に有能であるという以上に、凄まじく苛烈だったというエピソードが数多く伝えられているので、反対者がいたとしても容赦なく潰したでしょうね。
この改革が8世紀初頭に完了してしばらくすると、本作でも言及しているとおり、前イスラム期以から口承されてきた古詩を書き留めたり、ギリシア語の「アレクサンドロス宛てアリストテレスの手紙」(もちろん偽書)をアラビア語訳したり、といった文学方面での動きも出てきました。
しかしおよそ100年もの間、口承されてきたハディース(ムハンマドの言行)が書き留められることはありませんでした。知識を口承するには、それらを記憶し、繰り返し暗唱する必要があります。暗記すべき知識が増えれば増えるほど、必要とされる労力も増えていきます。
ハディースは他者の批判や自己正当化の根拠として便利なので、早い時期から捏造が盛んに行われていました。真贋を確かめるにはどうしたらいいか。例えばハディースには、ムハンマドが奇跡を行ったエピソードが幾つもあります。しかしクルアーンで唯一神は、クルアーンそのものが奇蹟なのでムハンマドに他の奇蹟を行わせたりしない、と明言している。じゃあ、これらのハディースは贋物だ、と当時のムスリムたちは考えませんでした。このエピソードは〇〇〇〇〇〇〇 (ムハンマドの親戚の一人)が△△△△△△△(初期信徒の一人)に伝え、彼から◇◇◇◇◇◇◇◇(別の初期信徒)から×××××××(◇◇◇◇◇◇◇◇の息子)へ、彼から……という「伝承経路」が明確かどうかで判断しました。絶対にあり得ない内容でも気にしない。
当然ながら、時代を経るにつれて「伝承経路」も長くなっていきます。上の例で「AからBへ」といった簡潔な記述にしなかったのは、アラブは姓が無いので父称(「〇〇の息子」という意味で「イブン〇〇」)を付けますが、そもそも名前の種類が少ないので「個人名+父称」だけでは区別がつかない。それで「通名」を付けます。本作でも主人公は「アブドゥッラーフ・イブン・ムバーラク」ではなく、通名「イブン・ムカッファ」で呼ばれます。しかし一般的な通名は出身地や氏族名なので、それだけでは区別がつかないことも多い。そこでさらに職業名を足したり、父称ならぬ子称「△△の父」の意で「アブー△△」を足したり、「イブン〇〇・イブン◇◇・イブン××……」と祖父、曽祖父の名前を足していったりする。
ハディース自体はどれもごく短いエピソードなんですが、この際限なく長くなっていく「伝承経路」もセットで憶えなくてはならない。しかも伝承経路しか信憑性を保証するものがないので、膨大な数の伝承者たちがどんな人物かも憶えておかなければならない。嘘吐きとされる伝承者によるハディースだったら、当然ながら信用できないということになるからです。
『声の文化と文字の文化』で指摘されていますが、文字記録はこのような暗記の労力をすべて「無駄」にしてしまいます。文字の使用が浸透していくにつれて、ハディースの口伝者も自分たちの努力が無に帰す可能性に気づきます。だから殊更に文字記録を見下し、口伝情報こそ尊い、という価値観を形成する。
イブン・ムカッファ(720年頃-757年頃)が生きたのは、そういう時代でした。
彼の死から100年以上経った9世紀後半から、ようやくハディース集の編纂が始まります。それはクルアーンの時と違って国家事業ではなく、何人ものハディース学者がそれぞれ個人で行ったもので、何種類ものハディース集が編纂されました。そのうち9世紀末までに編纂されたもの5つ、10世紀初めに編纂されたもの1つが、最も信頼性が高いものとして「六大ハディース集」と称され、現在に至っています。
六大ハディース集で最初に完成したのは、ブハーリー(870年没)という人物が編纂したものです。彼は編纂作業の第一段階として集められるだけのハディースを集めたのですが、その数は数十万、一説によると百万近かったそうです。
こういう数字は誇張がつきものですが、イスラム史は中国史に比べればだいぶ誇張が少ない。多少の異同(内容および伝承経路)があるだけの、ほぼ同じ内容のハディースも別々にカウントしているでしょうし、後述する六大ハディース集の総収録数からしても、百万近くは大袈裟にしても、六桁行ってたのは確実でしょう。
ブハーリーはそれらの真贋を「精査」し、数千(数え方によって数が変わる)を「厳選」したと伝わっています。
で、後に続く5人もそれぞれ真贋を「精査」し、数千を「厳選」しています。六大ハディース集に収められたハディースの数は、数え方にもよりますが、だいたい3万8千だそうです。
6人全員が同じ基準で選んだのなら、6冊とも多少の異同があっても、ほぼ被るはずですが、重複は多いものの、そうでないもののほうが多い。
要するに真贋の見分け方は、ちゃんとした伝承経路が付いてるかどうかが第一条件なのは間違いないですが、それ以外は編纂者各自の基準でしかないということです。そしてその基準に、史料批判の観点は入っていない。互いに矛盾した内容のハディースは少なくありません。例えば、音楽に肯定的なハディースと肯定的なハディースがそれぞれ複数ある。それもハディース集同士の間ではなく、同じハディース集の中に互いに矛盾したハディースが収められていたりします。6人の編纂者たちの誰一人として、そんなことを気にしなかったということです。
では伝承経路以外の、どんな基準で選んだのかというと、当時(9世紀後半~10世紀初頭)のムスリムたちに広く受け入れられていたか否か、と考えるのが妥当でしょう。もちろん編纂者個々人が受け入れていたか否か、も重要だったでしょうが。
現在に至るまで、クルアーンに次いで全ムスリムの行動指針とされてきた数万のハディースのうち、実際にムハンマドの時代からほぼ変わらない内容で語り継がれてきたものは、たぶん皆無ではないでしょう。しかしそれらも含め、すべてのハディースは六大ハディース集編纂当時の価値観を反映したものなのです。
そして美術品としての人・鳥獣の像と音楽に話を戻すと、前者についてはムハンマドがはっきりと否定しているハディースが、六大ハディース集すべてに収録されています。一方、後者については音楽に言及しているハディースのほとんどは否定も肯定もしておらず、ムハンマドが肯定するハディースが一つ、ムハンマドの妻の父で、後に彼の後継者(カリフ)となったアブー・バクルが否定するハディースが一つあるだけです。
長くなったので、続きは次回。
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