「物語の川々は大海に注ぐ」解説と余談 其の二十二
今回は特にネタバレはありません。 紀年は特記がない限りはADです。
前回述べたように、クルアーンでは美術品としての人・鳥獣の像も音楽も禁じられていません。一方、口伝されてきたムハンマドの言行をまとめた、いわば「第二の聖典」であるハディース集では、前者は明確に否定され、後者はムハンマドには肯定され、彼の義父には否定されています。
ハディースというのは、それが編纂された9世紀後半から10世紀初頭の社会状況や価値観を反映したものです。クルアーン編纂はムハンマドの死から20年後の7世紀半ばですが、実はムハンマドが約20年かけて授かってきた「預言」として書き留められたり口伝されてきたものを、そっくりそのまま1冊の書物にしたわけではなく、それなりに取捨選択が行われました。だからクルアーンも、ムハンマドの生前というよりは、7世紀半ばの社会状況や価値観を反映したものだと言えます。
其の二十で見たように、クルアーンでは崇拝対象としての「偶像」(自然物を含めた、あらゆる被造物)と人が作った美術品である「偶像」は明確に区別されていました。しかし前イスラム期のアラブは、この二種の「偶像」を区別しませんでした。どうやら彼らは異民族、特にギリシア・ローマ系の人々が作る「偶像」(神像および美術品)の作成を、アラブすなわち「人間」には不可能な、ジン(前イスラム期においては「神々」とほぼ同義)にだけ可能な文字どおりの「神業」だと信じていたようです。
イスラムに改宗したからといって、アラブの多くは二種の「偶像」の区別が出来ないままだったようです。そのため区別が出来るアラブたちも、征服した異民族に作らせた人・鳥獣の美術品を自宅などプライベートな空間だけに飾り、公衆の目に触れないよう気を配りました。例えば現存するイスラム初期の建築物のうち、カリフ一族の宮殿は人・鳥獣の像(立体および平面)などで、モスクのような公共施設は植物文様や写実的な家々の絵などで装飾されています。
ムハンマドが人・鳥獣像を否定するハディースは幾つもありますが、その一つによれば、彼は妻のアーイシャが部屋のカーテンに鳥獣モチーフのものを選んだのを厳しく叱っておきながら、彼女がそのカーテンでクッションカバーを作ると、非常に満足したそうです。これは同じ自宅用ファブリックでも、他人に見られる可能性が高いカーテンは駄目だが、見られる可能性の低いクッションカバーなら問題ない、と解釈することができます。
つまりイスラムという宗教にとっては、初期において信徒の大半を占めていたアラブが、出来のいい人・鳥獣像を目にすると拝まずにはいられない人々だったため、それらは競合相手として深刻な脅威だったということです。クルアーン編纂から250年ほども経ったハディース編纂の時点で、美術品の人・鳥獣像を見ると拝んでしまうようなアラブ・ムスリムは、さすがにもういなかったと思いますが、危険性の認識はまだ残っていた、といったところでしょう。
もう一つ、美術品としての人・鳥獣像が禁忌とされた原因と考えられるのは、アラブ至上主義です。
前イスラム期から、アラブにとってこうした像は音楽と同様、外来のものであり、贅沢品でした。イスラムが拡大すると、支配者となったアラブ・ムスリムは奴隷や二級市民の異民族に人・鳥獣像を作らせ、歌舞音曲(当然ながら舞踏も非アラブ文化)を行わせました。
ほかにもいろいろと贅沢をし、アラブ社会全体が享楽的になってきました。そうした風潮を批判したのが、7世紀末頃から登場する「禁欲家たち」です。本作でも言及しています。純血のアラブもいれば非アラブもいましたが、彼らはムハンマドが存命だった時代のイスラム共同体を理想化したので、造形美術も歌舞音曲も「理想化された素朴なアラブの暮らし」に反するものとされたのです。
特に歌舞音曲は前イスラム期以来、女奴隷(および少年奴隷)によって行われ、酒の席で鑑賞されることが多かったため、偶像崇拝と結び付きやすい造形美術とは別の意味で不信仰と見做されがちでした。
こうした位置づけであったところに加えて、ハディース集編纂が始まった9世紀後半は、カリフ主導で外来文化の導入が大促進された時代でした。これら外来文化、特に古代ギリシアの哲学・科学の影響により、新しい「合理的な神学」が誕生したのですが、カリフはこれを保護したばかりか、従来の「合理的でない」神学を弾圧しました。
当然、反発が起こり、それは外来文化にまで及びました。その後の経済的衰退や社会の不安定化から、外来文化はなんであれ忌避する風潮が広まったのです。その流れで造形美術と音楽も「イスラムらしくない」と見做され、現在の原理主義に至るのでした。
長々と解説してきましたが、造形美術および音楽の忌避という問題で、本作と関係があるのは「イスラムの競合相手」としての側面です。音楽も「競合相手」になります。まあそれについては後日解説の予定で、次回は小ネタの解説です。
其の一 と其の二十三
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