« 2025年9月 | トップページ | 2025年11月 »

聖なる鹿殺し

 2017年公開。ヨルゴス・ラモンティス監督作を観るのは、『ロブスター』(2015)に続いて2作目。ネタバレ注意。

 不安、不快感、緊張を高めるBGMが多用されてるのが嫌。演出や映像までそうだったら、途中で切ってる。
 世界は公正ではないのに、「先生は僕の家族を一人殺したんだから、先生の家族も一人死ぬ」という「公正」がぶっこまれる、という「一点だけの超自然」がいいのに、丁寧に現実的な描写を続けてきておいて、ラストであんな高級住宅地で猟銃何発もぶっ放して通報されないとか、死体はどうしたんだとか、いきなり雑になったので興ざめ。あの結末とBGMだけなんとかしてくれれば、設定からして雑な『ロブスター』よりはずっとよかった。

 合わなさそうな予感がしてたのに敢えて観たのは、『ロブスター』のコリン・ファレルがよかったから。期待を超えたヘタレで満足。やっぱりタフガイを気取らなければ、いい役者なんだ。ニコール・キッドマンは肌の弛みや筋の張りがさすがに老いを感じさせるが、角度やライティングによっては相変わらず美しい。昔より演技は巧くなったとはいえ、やっぱり『Lion』のような普通の主婦より、冷血なセレブ妻のほうが似合う。
 しかし強烈だったのはマーティン役のバリー・コーガン。ダブリン出身か。うん、そういう顔してんな。92年生まれだから撮影時には24にはなってただろうけど、「子供の時は老け顔で、年取ったらかえって若く見える」顔だな。若い時のポール・ダノみたいに、毛穴から皮脂みたいに不快感が滲み出てきてるような役者だ。でも『ダンケルク』の時は朴訥な青年役で違和感なかったから、ダノと違って出し入れ可能なんだな。

 エウリピデスの『アウリスのイピゲネイア』を下敷きにしてるそうだが、どの辺かわからん。「聖なる鹿」はイピゲネイアの身代わりにされた鹿(後世の加筆とされる)というよりキリストのことだろうけど、まあ犠牲にされた男の子のことなんだろうなあ。ほかの家族は3人とも身勝手だし。監督はギリシア人だが、精神的基盤に占める割合はギリシア悲劇よりギリシア正教のほうが遙かに大きいだろうしな。
 まだ2作しか観てないが、私の中でこの監督はラース・フォン・トリアーと同じ枠になっている。露悪的なとことか、キャラクター(およびそのキャスト)をサディスティックに扱うとことか……単に表面的に似てるんじゃなくて、本質的にな(次作の『ロブスター』に比べると、本作は技法など表面的にはドグマ95っぽさは少なかった)。
 ただしフォン・トリアー作品は『奇跡の海』『フリークス』『ダンサー・イン・ザ・ダーク』でもうお腹いっぱい、これ以上観なくていい、となったが(『奇跡の海』以外は観てよかったし、今後作風が変わったら観てもいいけど)、ランティモス監督作品はとりあえず『哀れなるものたち』と『女王陛下のお気に入り』は観てみたい。

『ロブスター』感想
『LION/ライオン 25年目のただいま』感想
『ダンケルク』感想(バリー・コーガンには言及していません)

映画感想INDEX

|

君の名前で僕を呼んで

 役者も含めて、映像が素晴らしく美しい。少年と青年のひと夏の恋という平凡な物語は、美しい映像を撮るための方便としては非常によく機能している。しかしラスト、主人公のアップになった顔の周りを飛び回るコバエがすごく気に障ったんだが、まさかあれも敢えてなのか?
 ルカ・グァダニーノ監督の作品は初めてだが、ああいうねっとりしたフェティシズムは、イタリア特有のものなんだろうか。トルナトーレとかヴィスコンティとかフェリーニとか。他所では見ない。

 エリオ役のティモシー・シャラメは、すごくヨーロッパ(大陸)的な雰囲気だが、フランス系とはいえアメリカ人なのか。いかにも思春期らしい、ひょろひょろの体型だが21歳。エリオというキャラクターも、ルーツがよくわからんな。ユダヤ系なのはともかく、パールマン姓の起源はドイツだけど、父親は英語が母語っぽい。母親は、あの屋敷を相続したって言ってたから地元出身。Annellaって名前も一応、イタリア系。エリオも父親も英語、伊語、仏語を流暢に話してたが、母親はそれに加えてドイツ語の本まで読んでたし。演じてた人はロシアとクルドのハーフか。
 オリヴァー役のアーミー・ハマーは『ノクターナル・アニマルズ』のエイミー・アダムスの旦那役か。記憶に残らないタイプのイケメンだが、本作にはぴったりだな。吹き替えはツダケンなのか。すげーねっとりしてそう。

ジュゼッペ・トルナトーレ監督の『マレーナ』感想 
ベルナルド・ベルトルッチ監督の『暗殺の森』感想(上に挙げたイタリア人監督たちに比べると、それほど濃厚ではないが)

『ノクターナル・アニマルズ』感想(アーミー・ハマーには言及してません)

映画感想INDEX

|

LION/ライオン 25年目のただいま

 2016年公開。監督のガース・デイヴィスはオーストラリア人で、日本では今のところ本作しか知られていないようだ。主演のデーヴ・パテールは『スラムドッグ$ミリオネア』の主役。原作は自伝で邦訳なし。

「インドで迷子になった少年サルーが、オーストラリアの白人夫婦の養子になり、成長してから実の家族を探す」というあらすじだが、5歳の少年が迷子になってから2ヵ月路上でサバイバルし、その後も劣悪な孤児院で暮らす場面が全体の3分の1ほども続く。これが直接的な表現こそ避けているものの、だいぶえぐい。直接描写がないほうが、いろいろ嫌な想像を掻き立てられるよね。親切にしてくれたのは養子斡旋の団体を除けば、段ボールを1枚くれた浮浪児と、警察に連れて行ってくれたレストランの客だけか。

 キッドマン演じる養母は、独善的な白人里親でも聖母的人物でもなく、アル中の父親に虐待されたので(性的虐待だった可能性をうっすらと伺わせる)自分の子供を産みたくない、というなかなかの闇を抱えた人だった。キッドマンはそういう役をやれるくらい演技力が上がったが、加齢で容姿が衰えたお蔭でもあるか。綺麗すぎて似合う役が少ないんだよな。

 サルーがグーグルアースだけで実母を探し出せたのは本当に幸運だった。インドで呼び掛けとかしたら、金目当ての連中が群がってきただろう。
 子役がほんとに5歳で、しかも演技はこれが初めてだそうな。

『スラムドッグ$ミリオネア』感想(デーヴ・パテールには言及してません。なお、サントラは買いました)

映画感想INDEX

|

ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド

 2019年公開。ネタバレはないかな。
 タランティーノ作品では、一番バランスがいい。クライマックスのブラピ大暴れも、LSDでラリってるからで説明がつく範囲だ。タランティーノ作品の多くにある暴力シーンの多くは、長すぎて飽きるか(『キル・ビル』vol.1が顕著)、やり過ぎでドン引きさせられるかだったからな(『ヘイトフルエイト』はこれのせいで感想を書く気をなくした)。タランティーノのサントラは、印象的だけど舞台や時代に合ってなくて浮いてるのが多かったが、本作はそれもなかったし。

『イングロリアス・バスターズ』および『ジャンゴ』と同じ、敗者救済ifもの。ホロコーストもアメリカ奴隷制も、それらを題材にしたフィクション(「事実に基づいた物語」)は無数に創られ続けられている。その行為はもちろん、「過去の過ちを忘れない」という立派な使命に即してはいるけれど、犠牲者たちをネタに感動ポルノを量産し続けていることでもある。
 また一つ感動ポルノを生み出すよりも、犠牲者が反撃する痛快な歴史改変ものをでっち上げたほうが、むしろ誠実である。まあ何作も創るもんじゃないけど(よほど独創的なネタだったら、もう1、2作はあってもいいだろう。3作はいらない)。
 それでもホロコーストとアメリカ奴隷制は散々擦られ続けた題材であるだけに、逆張り感も否めない。一方、シャロン・テート殺害事件は知名度はかなり高いにもかかわらず、題材としたフィクションは、連続ドラマやチャールズ・マンソンの伝記作品の中の一エピソードとして扱われるのを除けば、そんなに多くないようだ(英語Wiki参照)。
 だから本作におけるシャロン・テート「救済」に逆張り感はまったくなく、ただただ彼女の死を未だに悼んでいるのだ、と思わせる。

 マーゴット・ロビー演じるシャロン・テートは徹底して象徴として描かれていて、演じるのは難しかったろうな。レオナルド・ディカプリオは今回もセルフ・パロディみたいな役だが、演技力はさらに上がっている。一方のブラッド・ピットは、同じくキャリアに行き詰っているというか先が見えなくなりつつも、焦るでもなく飄々としているという対照的なキャラクターで、さらに素晴らしい。
 チャールズ・マンソンのコミュニティの演出が完全にホラー映画のそれだった。まあホラーに登場する怪奇が「わけのわからん若者文化(当時)」のメタファーってのは定番。彼らに利用されているブルース・ダーンの、耄碌した惨めさが鬼気迫る。

『ジャンゴ 繋がれざる者』感想
『イングロリアス・バスターズ』感想
『キル・ビル』感想
『デス・プルーフinグラインドハウス』感想

映画感想INDEX

|

ダンケルク

 2017年公開。ネタバレ注意(一応、『ゴジラ- 1.0』も)。

 家で映画を観る時は、なるべく中断すべきではないと思いつつも、「いつでもググれる」と頭の隅にはあるので、ネタバレ防止もあって事前の情報チェックをおざなりにしがちである。今回も第一次大戦か第二次かすら確認せず、まあ年月日くらい冒頭で出るやろと高を括って観始めたら、なかなか出てこないので開始10分くらいでググる羽目になった(結局、一度も出なかった)。

 1940年だと、大戦末期よりだいぶ装備が古いんだな(やっぱりアメリカがまだ参戦してなかったのが大きいか)。それもあって判別できなかったんだよ。第一次大戦も第二次大戦もおおよその経緯はともかく、個別の戦闘や作戦まではよく知らんのです。
 イケイケだったドイツにダンケルクの海岸まで追い詰められた英軍が、本国へと撤退する「ダイナモ作戦」を描く。ドキュメンタリータッチで台詞は少なく、主要人物は数人いるが、いずれも物語を動かすわけではなく、視点人物、狂言回しといったところ。漫然と観ていると、大勢いるモブと見分けがつかなくなりかねないぞ。緊迫感は終始あるが、ドラマ的なエモさは抑えられている。

 ハリウッド映画でも見かけるのはケネス・ブラナーとキリアン・マーフィー、トム・ハーディー、後は名前は認識してなかったが脇役でちょくちょく見たことのあるマーク・ライランスくらいで、後は主役(一応)のフィン・ホワイトヘッドをはじめ、見事に英国内だけで活動してる役者ばっかりだな。それもあって余計にドキュメンタリー感が強い。
 そんわけで負けて逃げ帰るだけの話が粛々と進行していくんだが、最後に民間徴用船が大量に到着するシーンにはカタルシスがある。『ゴジラ- 1.0』(2022)のあのシーンはオマージュ?

 クリストファー・ノーランは『メメント』から『ダークナイト』までは全部観て、『インセプション』以降は観てなくて本作が久しぶりだが、『インソムニア』だけ、悪い意味で異質だなあ。

(1年ほど前の感想を加筆修正。その後、『TENET』と『オッペンハイマー』は観ました。前者は途中で思考を放棄したので感想は上げません。後者はそのうち上げる予定)

『ゴジラ-1.0』感想(「あのシーン」には言及なし)

『インソムニア』感想 
『ダークナイト』感想 

映画感想INDEX

|

プライドと偏見

 2005年公開。ジェーン・オースティンの原作(1813)は、サミュエル・リチャードソンの『パミラ、あるいは淑徳の報い』(1740)と並ぶ「ロマンス小説の元祖」であり、同時に「少女漫画のテンプレの宝庫」なのだが、同じ「俺様系イケメンになびかないヒロイン」でも、本作のエリザベスは時代が新しいだけあって、淑徳ではなく知性で俺様に立ち向かう。「おもしれー女」の元祖だな。

 映画のほうは、巧くまとまってるし映像もきれいだが、イケメンであるはずのダーシーが全然そうは見えない。下がり眉だし額もだいぶ後退してる。まあドラマ版で絶大な人気があったというコリン・ファースも少なくとも容姿に関しては全然魅力的に思えないので、英国人との感性の差かもしらんが。
 キーラ・ナイトレイは嵌まり役ではあるけど、こういう役ばっかりだなと思わんでもない。軽薄な末っ子リディア役のジェナ・マローンが、ある意味怪演。ほんとに15歳くらいに見えるけど、撮影当時は20歳か。00年代と10年代はおもしろそうな作品にちょくちょく出てるが、20年代に入ってからはそうでもないな。

 18世紀末で、若い女性のドレスはフランスに倣ったエンパイアスタイル。フランスのエンパイアスタイルはコルセットを着けないというが、本作ではコルセットを締めるシーンがあった。そこまでは倣わなかったってことか。

『パミラ、あるいは淑徳の報い』感想  

映画感想INDEX

|

ノクターナル・アニマルズ

 2016年公開。ネタバレ注意(一応、『ロブスター』も)

『ロブスター』と同じ年に公開で、同じ「女が最後に男に待ちぼうけを食らう」オチで、どっちもカンヌやらヴェネツィア国際映画祭やらアカデミー賞やらで高評価。そういうの好きな人が多かったの?  『ロブスター』のほうはあの結末でよかったけど、こっちはなあ。要するに、いわゆる「ざまあ系」でしょ。
 監督インタビュー等を参照する限りでは、作中作の主人公をジェイク・ギレンホールが演じてたのはミスリードで、ギレンホールが演じる「作者」のエドワードはかつて「主人公が自分のアバター」タイプだったため、今回もそうだと読者であるスーザンが思い込んでいるだけで、実際のモデルはスーザン。で、読了した彼女がそのことに気づかなかったため、エドワードは再会の約束をすっぽかした、という解釈になるらしい。
 しかしそうだとしても、自分を捨てた元カノへの当てつけを主目的(さすがに、唯一の目的だとは思いたくない)に、「ほーら、世界は残酷だろ?」というだけの浩瀚な凡作を書き上げ、自分が用意した「正解」に彼女が辿り着かなかったからと断罪するって……何様?

 監督のトム・フォードはファッション・デザイナーで、以前はグッチの専属だったらしい。デザイナー、画家、写真家といった人たちが映画監督やると、視覚的には素晴らしいけど、それ以外は……って人が多い。本作はそうではない……と見せかけて、結局そうだった。
 前半で高まった期待が後半でスカされたから、余計に結末でがっかりしたのかもしれん。冒頭の極度に太った中年女性たちのヌードダンスが圧倒的すぎてな。監督インタビューによると、ファラ・フォーセットみたいだった「かつての米国」が、老いて疲れ果てて醜くなっていることを風刺するつもりだったそうだが、実際に「極度に太った中年女性たち」に会ってみたら、彼女たちが元気いっぱいなのに魅了されてしまったんだそうな。
 だから彼女たちを非常に魅力的に撮ったのはいいが、コンセプトが変わってしまったのに調整してないから、作品そのものと齟齬を来して、意味不明のシーンになってしまっている。作中においては、あれはスーザンの初めての個展で発表されたビデオで、本人は衝撃的な作品のつもりだったのに、まったく評価されない(酷評すらされない)、となるんだろうけど、現実にあれだけ衝撃的な絵面で、そもそも監督自身が衝撃的だと思ってるのに、無反応だったということにされても説得力がない。

 それにしても、会ったこともない人たちを勝手に「疲れ果てて醜くなった」と決めつけるなんて、失礼だよね。ファッションデザイナーにしては、随分と手垢のついた発想だし。実際に会ってみて考えを改められたのは結構だけど、コンセプトの辻褄は合わせましょう。
 極度に太ったおばさんたちはハイヒールを履いて、脂肪という脂肪が大きく波打つくらい身体を弾ませて踊っているので、こんなに太っている人がこんなに動けるわけがない、よくできたボディスーツなんじゃなかろうかと疑ったんだが、本当にあの巨体で踊っているということなので、あの体形の割にはものすごく健康だということになる。そりゃ、人生楽しそうだな。だいぶフリークショーに足を突っ込んでいるんだが、あそこまで太っていると、美醜を超えて神々しさすら感じる。石器時代の地母神像的な。でもカメラが寄ると映るセルライトは正直、直視し難い。遠くから眺めるものなのだ。

 エイミー・アダムスの虚無の表情と作中作の(当初の)緊迫感が相俟って期待を高めたんだが、不眠症で精神のバランスを崩していく彼女が現実とも幻覚ともつかない瞬間にたびたび陥る演出が、安っぽいホラー(ジャンプスケア系)なので、げんなりしてしまった。
 作中作も進行するにつれ、上述のとおり凡庸さを露呈するんだが、その中で保安官を演じたマイケル・シャノンだけはよかった。アカデミー賞助演男優賞にノミネートされただけはある。『レボリューショナリー・ロード』でキャシー・ベイツの息子だった人。細部は忘れてしまったが、「キャシー・ベイツの息子」に相応しい存在感があったことは憶えてる。

 過去パートのアダムスとギレンホールがすごく若々しくて可愛かった。役者すごい。

『ロブスター』感想(結末には言及してません)
『レボリューショナリー・ロード』感想(マイケル・シャノンには言及してません)

映画感想INDEX

|

ゼロの未来

 2013年公開。テリー・ギリアムってことで、期待しすぎてもうたな。いや、序盤のめくるめくレトロフューチャーな美術、『未来世紀ブラジル』以来の、しかし決して焼き直しなどではないアップデートされた21世紀版の近未来ディストピアには、期待を上回ってワクワクさせられた。それが中盤で失速、終盤はそこそこ持ち直して、120点、50点、75点といった感じか。1時間45分しかないんだけどね。
 主人公はクリストフ・ヴァルツ、同僚はデヴィッド・シューリス、AIのセラピストがティルダ・スウィントン。社長がマット・デイモンで、少し体重を増やしているとはいえ、キャスト名をチェックするまでまったく気づかなかった。少し故フィリップ・シーモア・ホフマンに似ている。あと、1回だけの登場だが妙に印象に残る3人の医者のうち、1人がピーター・ストーメアだそうだ。

 中盤だれた一因としては、コンピュータ・プログラム内の映像が古臭くて(レトロフューチャーではない)安っぽく(もちろん、いい意味ではない)、しかも尺を取っていたのがある。ティルダ・スウィントンも持ち腐れだった。まあラップが聴けたのはお得だったかも。

『バロン』感想 
『フィッシャー・キング』感想  

映画感想INDEX

|

ロブスター

 2015年公開。ヨルゴス・ランティモス監督はギリシャ人。終始ものすごく90年代のラース・フォン・トリアーとそのエピゴーネンぽいと思いつつ観ていたが、73年生まれか。直撃世代だもんな(同い年です)。
 ふわっとした設定のディストピアもの。設定の緩さはメタファーと解釈すべきなんだろうけど、敢えてそうしてるのではなく、どうでもいいからでしかないように見える。なんでその緩さで平気でいられんの? と思わずにいられないのは、私がSF者だからなんだろう。

 それはともかく、増量したコリン・ファレルがとてもよかった。ぶっとい下がり眉と垂れ目で困り顔のくせにタフガイ気取りの役ばかりな上に演技も大味なので嫌いだったが、今回は容姿と役がとても合っていた。レイチェル・ワイズも前年の『オズ』でおもしろみの欠片もない悪役でがっかりさせられたが、本作では可愛かった。

『オズ』感想 

映画感想INDEX

 

|

愛と哀しみの果て

 1985年公開。意味不明な邦題だが、原題はOut of Africa。デンマークの作家カレン・ブリクセン(1885‐1962)の『アフリカの日々』(邦訳あり。原題は映画と同じ)が原作。自伝なんだけどアイザック・ディネーセン名義で発表したから、自伝の体ではないのか(後に本名でリライトしたようだが)。

 役者の好き嫌いは多いほうかもしれない。しかし一方で、嫌いな役者がいい演技をすると、好きな役者がいい演技をした時よりも評価が高くなってしまいがちである。評価云々以前にね、なんかすごく嬉しくなるんですよ。だから嫌いな役者が「いつもと違う役」をやってると、つい期待して観てしまったりする。今のところ、勝率は半々。高いんだか低いんだか。
 メリル・ストリープもその一人で、嫌いな理由を簡潔に言うと「似合わない役ばっかりやる」「しかも演技過剰」。しかしブラック・コメディ『シー・デビル』(1989)はだいぶおもしろかったので、このジャンルなら、と『永遠に美しく…』(1992)も観てみたら、いまいちだった。ギャグを大袈裟にやりすぎておもしろくない、つまりは演技過剰。
 その後、何作か観た出演作もすべて「外れ」だったので、もはや期待ではなく、「ノイズになってなければいいや」くらいの気持ちで観たのが『プラダを着た悪魔』だが、これが『シー・デビル』を超えた嵌まり役だった。
 それはもう嬉しかったのだが、ここまで来るのが長かっただけに、この喜びを損ないたくないという気持ちと、偶々機会がなかったのが重なって、そのまま長らく疎遠になっていた。

 そんなわけでメリル・ストリープ主演だが、せっかくアマプラに入ったので有名作品は観ていこう、シドニー・ポラック監督だし、歴史ものは初めでだし、くらいの気持ちで観た本作だったが、大変よかった。しかも2時間半余りの長尺が、メリル・ストリープ一人でもってるという驚きの作品。
 いや、びっくりするほど綺麗でびっくりした。アップになるたびに見惚れてしまう。20世紀初頭のファッションがめっちゃ似合うんだな。現代ファッションだと、顔のつくりが立派すぎて似合わない。それこそプラダくらいだろ。しかも20世紀初頭ファッションが100点だとしたら、プラダですら85点くらいだ。両大戦間になると、カジュアル寄りのファッションはすでに似合ってないので、本当に現代に向いてないんだな。

 これでようやく、なぜメリル・ストリープは「似合わない役」ばかりなのかが解った。服が似合ってなかったからだ。服が似合ってないから、画面上で浮く。なのに誰も(物語上でも製作上でも)「異物」扱いしないから違和感がひどい。演技過剰と見えたのも、実のところは「似合わない役」を似合ってる体で無理矢理やってるから、なのかもしらん。『シー・デビル』が嵌まってたのは、「美人の人気作家」は虚像だった、という役どころだったからだろう。
 ほかに歴史もの(第一次大戦以前)は1981年公開の『フランス軍中尉の女』(19世紀後半)くらいか。でもこれ、メタフィクション的な構造らしいんだよな。まあいずれ機会があったら観るけど。

『プラダを着た悪魔」感想 

映画感想INDEX

|

ゴジラ-1.0

 山崎貴監督作品は初めて。一応ネタバレ注意。
 シンゴジが災害のメタファーなら、こっちは戦争か。前者がひたすら災害対策で、そのほうが好きだが、後者も湿っぽい人間ドラマとゴジラの絡ませ方が巧い。
 ゴジラの倒し方の工夫はどっちも好き。本作のほうが制限が多い中で頑張ってるので、余計好きかも。

 なんか、続篇決定のニュースがあるんだが、やめて! ハッピーエンドに「一抹の不安」を忍び込ませることで、「御都合主義ではないのか」という不満を封じる手法は素晴らしいけど、一抹の不安は一抹の不安のままにしておいて! 「続きを想像せずにはいられない」物語は傑作だけど、それで本当に作っちゃった続きが傑作だった例は古今東西、数えるほどしかないから!

(鑑賞から1年余り、現在でもはっきりしたことは決定してないみたいですね。どうか良い思い出のままにしてほしい……)

『シン・ゴジラ』感想

『GODZILLA』感想

映画感想INDEX

 

|

« 2025年9月 | トップページ | 2025年11月 »