« 2025年10月 | トップページ | 2025年12月 »

ザ・ホエール

 2023年公開。ダーレン・アロノフスキー監督って、タランティーノと同じくキャリアの行き詰まった俳優のリメイクが好きなん? 未見だが『レクイエム・フォー・ドリーム』(2000)のジェニファー・コネリーもその枠やろ?
 ただ少なくとも『レスラー』(2008)と『ブラック・スワン』(2010)については、タランティーノに比べて「愛」がないよな。タランティーノは昔大好きだった役者の輝きをまた見たい、という純粋さが感じられるけど、アロノフスキーから感じられるのは悪趣味とサディズム。もともとそんなになかった才能が枯れ果てたのを(ポートマンはまだそこまでは行ってなかったが)、無理やり絞り出させてるというか。

 本作で超肥満男チャーリーを演じたブレンダン・フレイザーについては、少なくとも監督は、彼のキャリアを知らなかったと言っている。それにキャリアが行き詰ってたのは、才能の問題ではなく外部的要因のせいだし。実際、本作での彼の演技は鬼気迫るものではあったが、元々彼が持っていたものを巧く引き出せた印象で、ミッキー・ロークやナタリー・ポートマンのような「無いものを無理やり錬成させられた」感はなかった。
『ブラック・スワン』は全編通した悪趣味さにうんざりさせられたが、『ザ・ホエール』は冒頭いきなり超肥満男が汚部屋でゲイビ見ながらオナニーという醜悪な場面から始まるものの、それ以上の悪趣味さはない。まあその超肥満男がジャンクフードを貪り食うシーン等、かなりギリギリな画は多いが。
 ファットスーツはよくできていて肉割れや鬱血まで表現されているが、「リアル」の状態は、終盤にチャーリーが自ら説明しているように、遙かに悲惨だ。体臭も凄まじいんだろうな。描写はなかったが、リズ(ホン・チャウ)は家事もやってくれてるんだよね。でないと部屋も悲惨を通り越して、凄惨な有様になってるはずだし。
 食べるシーンというのは不快に撮ろうと思えばいくらでもできるものだが、そういう撮り方はしていない(引きの画が多く、咀嚼音もあまり響かせない)。それでも観てるこっちが胃弱なのもあって、かなりギリギリだったが。

 タイトルthe whaleは『白鯨』の英国版の原題なのね。米国版もmoby-dick; or the whaleなんか。Moby-dickだけだと思ってた。インタビューでアロノフスキーは「鯨はチャーリーじゃない」と言っているが、ファットスーツの造形も立ち上がった時の撮影の仕方も、明らかに鯨を暗示している。スタッフをコントロールできない監督じゃなかろうに、なんでそんな嘘つくん?
 チャーリーが鯨か鯨じゃないかは考察に重大な影響を及ぼすが、考察に興味はないのでどうでもいい。実際に嘘だったとしても、嘘をつく理由が皆目見当もつかないし。しかし嘘だったとすると、監督がフレイザーのキャリアを知らなかった、というのも嘘である可能性が高くなる。こっちは、フレイザーのこともミッキー・ロークやナタリー・ポートマンみたいにいたぶってやろうと楽しみにしてたのに、全然余裕で要求に応えてくれたのでがっかりしたんじゃないか、という邪推が成り立ちますね。
 なんでそんな邪推をしたいのかというと、アロノフスキーの映画を観てると、大学の演劇部を思い出すからです。役者も素人なら演出担当も素人ですが、その演出をやりたがる奴にはセクハラ・パワハラを演技指導と称する者が多かった。多かった、と言っても割合の話で、人数としては片手で足りますが(母数が少ないので)。そんで役者が抵抗を示すと、「演技を舐めんな」「役者として覚悟が足りない」。素人が素人に、何が覚悟か。
 彼らの中には『ブラック・スワン』のヴァンサン・カッセル演じる演出家みたいに、それが本当に役者のためになると心から信じてる奴もいたかもしれないが、信じてる/信じてないに大した違いはない。信じてなくても、「信じてないだろう」と指摘されると「信じてる」ことにしてしまうだけだから。
 アロノフスキーは才能があるから、結果的には実際に役者のためになったけど、ハラスメント演出をしたい人がみんな才能があるとは限りませんね。

 ニューライフというキリスト教団体は劇中で罵倒の限りを尽くされてるけど、実在すんのね。で、実際に悪名高い。
 チャーリーへのリズの献身は、明白な依存だなあ。ニューライフの宣教員(タイ・シンプキンス)を追い払おうとするのは、彼女自身がニューライフの被害者だというのを差し引いても良識的な行動だし、精神的に不安定なチャーリーが、これも見るからに不安定な娘に会うのは悪い結果しか予想できないのは確かだ。しかしその根底にあるのは独占欲と支配欲である。彼女が面倒を見なければ、彼はすぐに死んでしまう。その状況に依存しているのは、彼女のほうだ。もう面倒を見れない、と彼女に宣言されたら、チャーリーはますます自己嫌悪を強めて嘆き悲しみ、ますます過食に依存するだけで、彼女を引き留めようとはしないだろう。

 以下、一応ネタバレ注意。

 主人公の性指向(バイセクシャル)は非難されることではないが、妻子を捨てたのはシンプルにクズ。しかも元妻(サマンサ・モートン)との会話が、かつては本当に相性が良かったんだと伺わせて、余計にクズ度が増す。娘(セイディー・シンク)も、パパが大好きな女の子だったんだろうな。最期にあんな言葉を掛けられたら、彼女は生涯、憎しみではなく愛に囚われることになるだろう。

『レスラー』感想

『ブラック・スワン』感想

映画感想INDEX

 

|

落下の解剖学

 2023年公開。ヴェネツィア国際映画祭パルムドール受賞。ネタバレ注意。

 ミステリに分類はできるが、「謎解き」はない。まあ全編ほぼ屋内だけの心理劇で、残り15分(エンドクレジットを除いたら10分弱)でヒロインのサンドラが無罪となり、ここまで引っ張って来て「実は……」なんて「真相」を明かされたら興ざめだと思いながら観ていたので、しょうもない「どんでん返し」がなくてよかった。普通に2時間前後だったら「真相」も明かされてすっきり、でいいんだけど、2時間半も付き合わされて、そんな陳腐な結末だったらがっかりだからな。

 結局、息子の両親の口論を聞いたのが屋外だったのか屋内だったのか、後者ならなぜ屋外だったと勘違いしたのかとかが明かされず、サンドラが殺した可能性も意図的に残されている。まあ私は、夫が自殺のついでに彼女を陥れようとして喧嘩を吹っ掛け、録音を残したんだと思うけど。息子の事故にめっちゃ責任を感じているという割には、聴覚に頼らざるを得ない彼が在宅中に大音響で音楽かけるのは普通に自己中。

 脚本は監督とそのパートナーであるアルチュール・アラリとの共同。劇中、サンドラと息子が別々の場所で観ているTV番組のコメンテーターが「みんな何が事実かはどうでもよくて、彼女が夫を殺したということにしたほうがおもしろいと思っている」と発言するが、演じるのはアラリ。
 部屋に飾られている少女時代のサンドラの写真は、演じたザンドラ・ヒュラー本人のもので間違いないと思われるが、少年ぽくてめっちゃ可愛い。でもあんまり美人にならなかったんだな……
 なお、芸達者なわんこはザンドラ本人のペットで、「パルムドッグ賞」を受賞している。これ、アニメの犬キャラもノミネート対象だから、ジョーク賞だよな。

ザンドラ・ヒュラー主演「関心領域」感想

映画感想INDEX

| | コメント (0)

ラブレス

 2017年公開。アンドレイ・ズビャギンツェフ監督は1964年生まれ。00年代のロシア映画は深刻なシーンを深刻に表現しすぎてギャグみたいになってたが、本作は全編通して客観的な視点が徹底していて、タルコフスキーみたいだ。初冬の寒々しい光景そのものの、寒々しい映画。以下、ネタバレ注意。

 前半はそこそこ裕福な夫婦のクズっぷりが淡々と描かれ、後半は行方不明になった息子の成果の上がらない捜索が淡々と描かれ、とにかく見応えがある。その客観視のフィルターを唯一突破してくるのが、12歳の息子が咽び泣くシーン。しかしその後は監督の視線は二度と少年の寄り添うことなく、再びすべてを突き放す。
 警察の無関心ぶりがひどいが、ボランティアの人たちがびっくりするほど有能。結局手遅れだったわけだが、彼らがいなかったら廃ビルに脱ぎ捨てられたジャケットも見つけられなかったし、遺体も身元不明で終わってたのは確実。あの警官は、ボランティアに繋いでくれただけでも、自称するとおりだいぶ親身だったんだなあ。
 実在のボランティア団体をモデルにしているというか、監督が離婚の話を撮りたいとなんとなく思ってたところに、件のボランティアの存在を知って本作になったそうだ。いろいろと終わっている国でも、あんなに善良で有能な人たちが大勢いる。あんなに善良で有能な人たちが大勢いても、なお終わってる国である。

 遺体の顔が潰れていて、事故だと思いたいが、雪も降る中でジャケットを脱いでいくのは不自然だから、やっぱり殺されたと見るべきか。遺体に対面した母親の慟哭は、嘘偽りないものではあっただろう。だからといって彼女が性根を入れ替えるなんてことはなく、事件から2年後、不倫相手と結婚し、以前よりもさらに裕福な生活を送る彼女の顔に刻まれた「永遠の不満」の表情が凄まじい。
 この元不倫相手は、愛人の息子の捜索に熱心に協力してくれたいい人なのに、ちょっと気の毒である。まあ不倫してたのが悪いといえば、そうなんだけど。

 父親のほうも不倫相手と結婚しているが、狭く安物が溢れるアパートで、妻にも生まれた子供にも関心を失っている。背後に流れるウクライナ紛争のプロパガンダニュースで終わるのは、公開当時よりさらに皮肉。

「ギャグになってしまっている」00年代ロシア映画感想

2004年『ナイト・ウォッチ』
2006年『デイ・ウォッチ』
2007年『12人の怒れる男』(ロシア版)

映画感想INDEX

|

エルヴィス

 2022年公開。バズ・ラーマンらしい、外連味に満ちた映像と演出が巧く嵌まっている。
 トム・ハンクス以外、知ってる人がいないと思ったら、オースティン・バトラー(主演)は『ワンス・アポン・タイム・イン・ハリウッド』(2019)で襲撃の主犯か。だいぶ印象が違うな。後、序盤でトム・ハンクスに切られるカントリー歌手がデヴィッド・ウェナムか。気づかんかった。
 観始めてしばらくして、エルヴィス・プレスリーについてなんにも知らないことに気づく。陰謀論というか都市伝説のことしか知らん。生前のことは腰つきが卑猥だとされたとか、晩年は落ち目で太ってたとかくらいしか。あ、なぜかここ数週間(24年秋)、「エルヴィス・サンド」についての情報を目にする機会が多かった。だから観る気になったかもしらん。一口で頭痛と胸焼けに苦しめられそうだな、あれ。
 いったん中断してWikiを参照。再開。

 ビートルズが衝撃的だったっての、未だに感覚では理解できてないんだけど、エルヴィスは確かに衝撃的だな。もちろん、本作が「衝撃的」に表現しているというのもあるんだろうけど、それを抜きに50年代で女性が脱いだショーツをステージに投げ込むってすごいな。親御さんも心配するよ、そりゃ。70年代はスカート履いてる子があまりいないので、ブラが投げ込まれます。
『フォレスト・ガンプ』(1994)では少年ガンプのダンスをエルヴィスがパクったことになってるけど、そのトム・ハンクスがエルヴィスのマネージャーの役をやるとは巡り合わせだな。トム・ハンクスは冷酷な悪人役は絶対似合いそうにないが(巧すぎるがために魅力はなく、嫌悪感だけ募りそう)、胡散臭い小悪党はつくづくよく似合う。『レディ・キラーズ』(2004)でそういうキャラが定番にならなかったのは残念だ。

(この記事は、過去に書いた感想文を加筆修正したものです。最近、60年代末‐70年代前半のカウンターカルチャーについて調べているのですが、当時のインタビューやら回顧録等の中でエルヴィスも偶に言及されるものの、完全に「すごかったけど、もう過去の人」扱いで悲しいですね)

『ワンス・アポン・タイム・イン・ハリウッド』感想(オースティン・バトラーには言及してません)

映画感想INDEX

|

愛すべき夫妻の秘密

 2021年公開。一応ネタバレ注意。

 最初期のシットコム(シチュエーション・コメディ)『アイ・ラブ・ルーシー』(1951‐57。続篇は70年代まで続く)の主演で実生活でも夫婦のルシル・ボールとデジ・アーナズの1週間(および過去)を描く。アメリカでは未だにファンが多いので本作もヒットしたが、日本ではかつては同様に人気を博したにもかかわらず、すでに忘れられてるので評価はいま一つっぽい。
 でも『アイ・ラブ・ルーシー』全然知らなくてもおもしろかったぞ。まあ物語以上にニコール・キッドマンの演技が巧くてびっくりした。やっぱり美人すぎるんだよな。何やっても不自然になってしまう。まあ『デッド・カーム』(1989)の頃はカーリーヘアがイモ臭いし体型もなんかどっしりしてたが。『誘う女』(1995)はほかに比べれば嵌まり役ではあったが、やっぱり「こんな美人が無名なのはおかしい(明らかに頭が悪すぎて女優は無理だが)」ってなったし。
 本作は美人女優の役だから、違和感はまったくない。それと同時に、眉の形変えるだけで全然印象が変わるんだな。もちろん演技力の賜物でもあるだろうけど。後、『聖なる鹿殺し』より4年も後なのに、めっちゃ若く見えるな。肌のきめとかは多少加工してるかもしれんが、体形は自前だろうに。
 ちなみに監督のアーロン・ソーキンは脚本家としてのキャリアのほうが長く、ニコール・キッドマンがまだ垢抜けてなかった『冷たい月を抱く女』(92)の脚本も書いている。

 ドラマ自体は知らなくても、時代描写もおもしろかった。妊婦なのに飲酒・喫煙とか、時代考証には忠実なのに避けられがちな描写も思い切ってる。
 デジを演じるハビエル・バルデムは幾つも観てるけど、『ノーカントリー』(2007)の印象が強すぎて、どうしてもキモさが先立ってしまっていたが、本作だとちゃんとイケメンのラテン男に見える。番組レギュラーの一人を演じるJ・K・シモンズはかなり観てるはずだが、『レディ・キラーズ』(2004)の過敏性腸症候群を患う強盗しか思い出せん。
 デジがルシルを赤狩りから守ったのは彼女を愛していたからで、それはルシルも承知していたが、それでも彼の浮気は許せなかった。なぜなら彼女の最大の望みは「幸せな家庭」で、デジもそのことはよく知っていた。知ってはいたが理解していなくて、これだけの危機を救ってあげたんだから許してくれるやろ、くらいに思ってそうである。しかしルシルにとっては、「それはそれ、これはこれ」なのである。

『聖なる鹿殺し』感想

映画感想INDEX

|

永遠の門 ゴッホの見た未来

 2018年公開。ジュリアン・シュナーベル監督。
『バスキア』(1996)はなんであんなにお粗末だったんだろうなあ。なんでもも何も、自分自身を「唯一の理解者」として登場させ、しかもゲイリー・オールドマンに演じさせたからだという一点に尽きるんだが、なんでそれがあかんて解らんかったんだ、とも言う。オールドマン=爆死だった時代に「よき理解者」役を与えた、という点だけは評価できるが(念のため、オールドマンの演技が滑ったという意味で「爆死」だったのではなく、悪役ばかりで、しかもだいたいは物理的な爆死を華々しく遂げることで知られていたのです。実際はそこまで爆死の割合が多かったわけでもないけど、まあ碌でもない死に方をする)。

 映像が本当に美しく、あの時代の絵画のようだが、ゴッホではなくて印象派の主流っぽい。ただし後半、画面の下4分の1くらいがぼやけるシーンがたびたび入る。どうもゴッホが錯乱状態になっていることを表してるらしいのだが、単純に見づらくてイライラした。画家とか写真家とかが本業の人が映画監督やると、そういう凝り過ぎた表現で滑りがちだよね。
ウィレム・デフォー(1955年生まれ)はゴッホ(享年37歳)に結構似ていて、特に耳を切り落としてあの帽子の上から包帯を巻いた画は、ぎょっとするほど自画像にそっくりだった。とはいえ、テオやゴーギャンの役者が当人の年齢に近いので、彼らと並ぶとさすがに老けすぎだ。まあ30代の役者に演じられたとは思えないけど。
 ところで「ウィレム」という芸名は子供の頃のニックネームで、オランダ風なのは偶々、オランダ系の血筋ではまったくないのね。
 ゴーギャン役のオスカー・アイザックは、『エクス・マキナ』の社長役か。あれ、途中で挫折したのは、あいつが嫌なキャラ過ぎたのが一因だ。それだけ巧いってことなんだけど(途中までしか観てないし悪口しか書いてないので、感想は上げません)。
 司祭がマッツ・ミケルセンで、最後に面倒を見てくれた医者がマチュー・アルマリック。テオ役のルパート・フレンドは、『プライドと偏見』でリディアを誑かした軍人。ほかにもちょくちょく見かけてるはずだが、思い出せん。その妻で、出番は少ないが夫と義兄に協力的であることはちゃんと伺わせるヨハンナ役は『君の名前で僕を呼んで』で母親を演じたアミラ・カサール。

ジュリアン・シュナーベル監督『夜になるまえに』感想 

『プライドと偏見』感想(ルパート・フレンドには言及していません)

『君の名前で僕を呼んで』感想

映画感想INDEX

|

ファーザー

 2020年公開。劇作家フローリアン・ゼレールが自らの戯曲le pereを映画化(フランスで2015年に別の監督によって映画化されている)。ネタバレ注意?


「認知症患者の世界」ってだけなんだが、映像、演技、演出、音楽、すべてが素晴らしい。ただ、老いた父親(アンソニー・ホプキンス)の主観(現実と幻覚が混在している)を中心に他者の視点(客観/現実)がところどころ差し挟まれる構成かと思いきや、眠っている父親の首をオリヴィア・コールマン演じる娘が締めるシーンは、明らかに父親の幻覚でも現実でもないんで(娘の空想?)、どう解釈したもんかな。単なる粗と片付けるべきか。
 現実と妄想の境界の危うさを淡々と描き続けるだけで、なんの「解決」もない。認知症が(今のところ)そういう病だからなあ。安易な「解決」は嘘になってしまう。ホラーあるいはサスペンス的な脚本・演出にも、しようと思えばいくらでもできただろうけど、そうしなかったことも併せて、誠実である。

 ホプキンスの演技をいいと思ったことがなかったんだが(『羊たちの沈黙』以外、はまり役だと思ったこともないし)、魅力的だったり鼻持ちならなかったり悪意に満ちていたりとコロコロ変わる印象の演じ分けが凄い。そして最後に「ママに会いたい」と泣く場面は、本当に幼い子供のようで可哀想。

映画感想INDEX

|

シティーハンター(フランス版)

 2019年公開。冒頭、美容整形手術を受ける中年男性が字幕で「モッコリー氏」とあって、直後に仏語でも「ムシュ・モコリ」(仏語には長音も促音もない)と言ってたので吹く。後で知ったことだが、かの国では少なくともオタクは『シティーハンター』の影響で「もっこり」を知っているのだとか。仏語Wikiに記事まである。
https://fr.wikipedia.org/wiki/Mokkori
 仏語版のほかは日本語版「モッコリ」とイタリア語版「mokkori」(促音があるので「モッコリ」と発音)のみ、いずれも当然ながら『シティーハンター』に言及。

 80年代末の少年漫画のギャグとおフランスの伝統的なギャグは異なるものだが、ベタだという点では共通しているので相性は悪くない。前半はくすっとする程度だったが、後半は笑いっ放しだった。00年代までのヨーロッパ大陸のアクションは、なんかまったりしてたんだけど、10年代の間にすっかり解消されたようだな。
「原作、俺の大好きな漫画! 監督、俺! 脚本、俺! 主演、俺! ヒロイン、俺の嫁!」なんて、どこをどう切っても駄作を約束されているのにもかかわらず、こうも見事に昇華できたのは、「原作が大好きだから、原作を俺(と嫁)に合わせた」ではなく、「原作が大好きだから、原作に俺(と嫁)を合わせた」からだろう。『シティーハンター』の実写映画化は、フィリップ・ラショー監督のずっと昔からの夢だったというから、自分自身を実写版『シティーハンター』の監督・脚本・主演をできる人間に作り上げてきたのはもちろん、「香を演じられる/演じてくれる」女性を配偶者に選んだのだとも言える。フランス人って白人にしては彫りが浅い人が多いから、原作の絵柄と相性がいいよね。

 原題Nicky LarsonはTVアニメがフランスで放映された時のタイトルで、冴羽遼の名前のローカライズ。香はローラ。本作でもその名前のままで、日本語字幕でだけリョウ、カオリになってる。
 アニメがフランスで放映された時期は、日本語でググってもわからなかったので仏語Wikiを見たら、日本での放映開始から3年後の1990年からだった(仏語のレベルは初歩だが、合ってると思う。機械翻訳は日本語訳文が読むに堪えないので使わない)。キャラの名前だけじゃなくて、主題歌までローカライズされていたそうで、映画中盤にショーのシーンがあって、歌手が妙にピックアップされてるなと思ったら、そのローカライズ版主題歌(エンディングに流れる)の歌手だそうな。

 Animeから日本らしさを徹底的に抹消するローカライズは、かつてはどの国でもやっていたとはいえ、ことフランスに関しては、以前タンゴの歴史を調べていた時に出くわした20世紀初頭のフランス人による「フランス人が好むものは、すべてフランスのものだ。タンゴも我々が好むから我々のものだ」という実に清々しい文化盗用宣言を思い出さずにはいられない(そうは言っても、ヨーロピアン・タンゴとアルゼンチン・タンゴがだいぶ別物なのは事実だが。この発言の出典は失念してしまいました)。
 TVアニメ版『シティーハンター』のフランスでのローカライズがどんなつもりで行われたかは知らないが、そこから生まれた本作は、紛れもなくシンクレティズムの傑作である。

映画感想INDEX

|

« 2025年10月 | トップページ | 2025年12月 »