ザ・ホエール
2023年公開。ダーレン・アロノフスキー監督って、タランティーノと同じくキャリアの行き詰まった俳優のリメイクが好きなん? 未見だが『レクイエム・フォー・ドリーム』(2000)のジェニファー・コネリーもその枠やろ?
ただ少なくとも『レスラー』(2008)と『ブラック・スワン』(2010)については、タランティーノに比べて「愛」がないよな。タランティーノは昔大好きだった役者の輝きをまた見たい、という純粋さが感じられるけど、アロノフスキーから感じられるのは悪趣味とサディズム。もともとそんなになかった才能が枯れ果てたのを(ポートマンはまだそこまでは行ってなかったが)、無理やり絞り出させてるというか。
本作で超肥満男チャーリーを演じたブレンダン・フレイザーについては、少なくとも監督は、彼のキャリアを知らなかったと言っている。それにキャリアが行き詰ってたのは、才能の問題ではなく外部的要因のせいだし。実際、本作での彼の演技は鬼気迫るものではあったが、元々彼が持っていたものを巧く引き出せた印象で、ミッキー・ロークやナタリー・ポートマンのような「無いものを無理やり錬成させられた」感はなかった。
『ブラック・スワン』は全編通した悪趣味さにうんざりさせられたが、『ザ・ホエール』は冒頭いきなり超肥満男が汚部屋でゲイビ見ながらオナニーという醜悪な場面から始まるものの、それ以上の悪趣味さはない。まあその超肥満男がジャンクフードを貪り食うシーン等、かなりギリギリな画は多いが。
ファットスーツはよくできていて肉割れや鬱血まで表現されているが、「リアル」の状態は、終盤にチャーリーが自ら説明しているように、遙かに悲惨だ。体臭も凄まじいんだろうな。描写はなかったが、リズ(ホン・チャウ)は家事もやってくれてるんだよね。でないと部屋も悲惨を通り越して、凄惨な有様になってるはずだし。
食べるシーンというのは不快に撮ろうと思えばいくらでもできるものだが、そういう撮り方はしていない(引きの画が多く、咀嚼音もあまり響かせない)。それでも観てるこっちが胃弱なのもあって、かなりギリギリだったが。
タイトルthe whaleは『白鯨』の英国版の原題なのね。米国版もmoby-dick; or the whaleなんか。Moby-dickだけだと思ってた。インタビューでアロノフスキーは「鯨はチャーリーじゃない」と言っているが、ファットスーツの造形も立ち上がった時の撮影の仕方も、明らかに鯨を暗示している。スタッフをコントロールできない監督じゃなかろうに、なんでそんな嘘つくん?
チャーリーが鯨か鯨じゃないかは考察に重大な影響を及ぼすが、考察に興味はないのでどうでもいい。実際に嘘だったとしても、嘘をつく理由が皆目見当もつかないし。しかし嘘だったとすると、監督がフレイザーのキャリアを知らなかった、というのも嘘である可能性が高くなる。こっちは、フレイザーのこともミッキー・ロークやナタリー・ポートマンみたいにいたぶってやろうと楽しみにしてたのに、全然余裕で要求に応えてくれたのでがっかりしたんじゃないか、という邪推が成り立ちますね。
なんでそんな邪推をしたいのかというと、アロノフスキーの映画を観てると、大学の演劇部を思い出すからです。役者も素人なら演出担当も素人ですが、その演出をやりたがる奴にはセクハラ・パワハラを演技指導と称する者が多かった。多かった、と言っても割合の話で、人数としては片手で足りますが(母数が少ないので)。そんで役者が抵抗を示すと、「演技を舐めんな」「役者として覚悟が足りない」。素人が素人に、何が覚悟か。
彼らの中には『ブラック・スワン』のヴァンサン・カッセル演じる演出家みたいに、それが本当に役者のためになると心から信じてる奴もいたかもしれないが、信じてる/信じてないに大した違いはない。信じてなくても、「信じてないだろう」と指摘されると「信じてる」ことにしてしまうだけだから。
アロノフスキーは才能があるから、結果的には実際に役者のためになったけど、ハラスメント演出をしたい人がみんな才能があるとは限りませんね。
ニューライフというキリスト教団体は劇中で罵倒の限りを尽くされてるけど、実在すんのね。で、実際に悪名高い。
チャーリーへのリズの献身は、明白な依存だなあ。ニューライフの宣教員(タイ・シンプキンス)を追い払おうとするのは、彼女自身がニューライフの被害者だというのを差し引いても良識的な行動だし、精神的に不安定なチャーリーが、これも見るからに不安定な娘に会うのは悪い結果しか予想できないのは確かだ。しかしその根底にあるのは独占欲と支配欲である。彼女が面倒を見なければ、彼はすぐに死んでしまう。その状況に依存しているのは、彼女のほうだ。もう面倒を見れない、と彼女に宣言されたら、チャーリーはますます自己嫌悪を強めて嘆き悲しみ、ますます過食に依存するだけで、彼女を引き留めようとはしないだろう。
以下、一応ネタバレ注意。
主人公の性指向(バイセクシャル)は非難されることではないが、妻子を捨てたのはシンプルにクズ。しかも元妻(サマンサ・モートン)との会話が、かつては本当に相性が良かったんだと伺わせて、余計にクズ度が増す。娘(セイディー・シンク)も、パパが大好きな女の子だったんだろうな。最期にあんな言葉を掛けられたら、彼女は生涯、憎しみではなく愛に囚われることになるだろう。
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