92年公開。その5年後ぐらいにビデオで観たが、ヘレナ・ボナム・カーター演じるヘレン・シュレーゲルがエキセントリックだったこと以外はだいぶ忘れていたので、フォースターの原作(1910)を読んだ機に再鑑賞。ネタバレ注意。
原作はだいぶ分厚いが、2時間20分余りでかなり忠実にまとめている。とはいえ、シュレーゲル家のドイツの親戚なんかは確かに削ぎ落していい枝葉だが、タイトルになっているハワーズ・エンド邸が、成り上がりのウィルコックス家ではなく妻のルース(ヴァネッサ・レッドグレイヴ)が先祖代々受け継いできたもので、彼女の娘時代に売り払われるところだったのを、夫となるヘンリー(アンソニー・ホプキンス)が救ってくれた、という経緯まで、なぜ省いた。
この下りを切り捨ててしまったことで、ウィンストン家でルース一人だけがハワーズ・エンド邸を愛している理由や、生まれ育った家から引っ越さなければならなくなったマーガレット・シュレーゲル(エマ・トンプソン)への同情が、原作未読者には伝わらないだろう(実際、私も初見の時は理解できていなかった。そもそも話そのものを理解できてなかったんだけど)。二言三言の台詞で足りる要素なのに、なんで省いた。
ここが無いから、ハワーズ・エンド邸へのルースの愛情を理解せず、資産価値しか見出さない夫や子供たちの粗雑さや、それに不満を抱いていたからこそ、今わの際のルースが知り合って間もないマーガレットにハワーズ・エンド邸を託そうとした理由が見えてこない。
これよりは些細なことだが、ヘンリーと婚約したマーガレットが、10年も前の彼の浮気に腹を立てているのは、彼がルースを裏切ったことに対してだというのにも言及しなかった理由も不明。これも一言で足りるのにな。
お蔭でマーガレットが、出会う前の火遊びを責め立てる潔癖で不寛容な女みたいになってしまっている(実際、初見時にそう思ったことを、うっすらとだが憶えている)。
削られて残念だが、表現媒体の違いや尺の長さを考えれば止むを得ないのが、事務員のレナード・バスト(サミュエル・ウェスト)が労働者階級ではなく、ウィンストン家およびシュレーゲル家と同じ中産階級の出で、労働者階級すなわち下の階級かつ年上の女と結婚したことで家族に縁を切られているということ。
映画でも文化的な事物に無関心で野卑な妻ジャッキー(ニコラ・デュフェット)との痛々しい対比は描かれているが、この対比はレナードが元から労働者階級なら生じなかったのである。
同じ中産階級といっても、ウィンストン家とシュレーゲル家は中の上、いわゆるアッパー・ミドルで、バスト家は中の下、ロウアー・ミドルである。労働者階級は「文化的な事物」にはそもそも手が届かないので無関心だ。しかしロウアー・ミドルは簡単に労働者階級に転落してしまいかねない(レナード個人はすでに転落している)一方で、「文化的な事物」の一端になら手が届いてしまう(本を読む、偶に演奏会や展覧会に行く等)ので、関心あるいは憧れを抱いてしまう。
レナードは「文化的な事物」に対し、関心と憧れの両方を持っている。憧れのほうは、「教養」という実体のない概念への、言ってみれば俗な憧れも含む。読書したり演奏会に行ったり、星を眺めたり夜の散歩をしたり、といった行為には、純粋な愛好と、「教養」を身に着けるための努力とがせめぎ合っている。
しかし原作では地の文で作者(フォースター)によって、レナードは元々の文化資本が圧倒的に欠けているいる上に、そのことを理解できていない、だから努力しても無駄、と断定されてしまっている。一方で、好きなだけ文化資本を手に入れられる身分にいながら、無教養で粗野なウィンストン家のような人々もいる。
だからシュレーゲル姉妹はウィンストン家よりもレナードに惹かれる(熱しやすく冷めやすいヘレンはウィンストン家の次男と一夜で恋に落ちて婚約し、翌日には幻滅して婚約解消するが、レナードのことは何年にもわたって気に掛ける)。彼らの間には、確かに対等な友情は存在していたと思う。しかしそれ以上に、格差はあまりにも大きかった。レナードは姉妹を雲の上の人々、憧れの象徴として仰ぎ見ることしかできず、シュレーゲル姉妹にとってレナードはその純粋さを庇護してやらねばならない対象だった。
半分ドイツ人のシュレーゲル姉妹は彼らの階級の中で浮いているが、マーガレットとルース・ウィルコックスの友情が成立したのは、マーガレットが姉妹のうちでより常識的だったのと、ルースがウィンストン家のような新興アッパー・ミドルではなく、伝統的な地主階級の出身だったからである。ルースは映画でも描写されているとおり保守的で学問に興味はなく、(映画では特に描写はされていないが)芸術にも無関心である。その点では、夫や子供たちとさして変わらない。
つまりは作者フォースターにとって、その地に根差した地主階級が代々培ってきた伝統と、シュレーゲル姉妹の一代では身に付かない教養とは同等の価値を持つのだろう。
そして姉妹のうちで常識があるほうなので、マーガレットはヘンリー・ウィンストンに後妻に選ばれ、彼女も承諾する。レナードに対する姉妹の同情は、より控えめなマーガレットのものでも、英国社会では充分すぎるほど非常識だが、それでも彼女は夫との関係に罅を入れてまでレナードを援助しようとはしない。
ヘレンは型破りゆえにその格差を踏み越えてレナードと結ばれるわけだが、どちらにも恋愛感情はなかったと思う。ヘレンにとっては、同情が嵩じたあまりなんだが、どこまでも同情から来る愛情で、「惚れたってことよ」までは行ってないんだな。型破りなのも、その階級だからこそで、だからどこまでもレナードは庇護対象で、これ以上彼に迷惑を掛けまいと、妊娠すら告げず、弟を通じて金だけ送って姿を消す。何もかも捨てて彼の階級に身を落とすとか、あるいは彼を養うといった方向には行かない。後者については、ヘレンの資産なら、ジャッキーとは穏便に離婚させ、彼女には生活に困らない程度の金を与えることも可能だろう。ヘレン自身の階級からは爪弾きにされることになるが、父無し子の出産だって同じくらいの不名誉のはずだ。
レナードにとっては、星が自分のところに落ちてきたようなもので、最期の瞬間まで何が何だか解らないままだったんじゃないだろうか。
映画も表面的には原作に忠実に人間関係をなぞっているが、根本の部分に「レナードの階級は文化資本を得られず、本人の努力ではその格差を埋められない」という身も蓋もない事実が存在する、という残酷さが原作の大きな魅力の一つだからなあ。しかし映画で簡潔に表現するのは無理だから、削られるのは致し方なし。
アンソニー・ホプキンスは「何をやってもハンニバル・レクター」だから、演技に感心したことは近年の『ファーザー』以外はなかったんだが、本作はよかった。(最初の鑑賞時は物語そのものを理解していなかったので、ホプキンスの演技にも目がいかなかったのである)。まあつまり私は「弱さ」の演技が巧い役者が好きだということなので、ホプキンスがあまりそういう役をやってこなかったのは残念。
『ファーザー』感想
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