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アイ、トーニャ 史上最大のスキャンダル

 2017年公開。監督は『ラースと、その彼女』のクレイグ・ギレスピー。ネタバレ注意、になるんか?

 スポーツは実際に観戦すればおもしろいと思うのに、何故か積極的に観ようという気になれず、知ろうという欲求もなく、偶に自分でも「いくらなんでも、ここまで無知・無関心ってやばくね?」と危機感を覚えることがあるほどだが(しかし反省には至らないので、何も改善しないまま)、そんな私でも知っていた1994年のナンシー・ケリガン殴打事件。あれで「ホワイト・トラッシュ」という層を初めて明確に認識したんだよな。報道内容はうっすらとしか憶えてないが、「首謀者は前夫とその友人で、なんでこんなことをしたのかまったく理解不能なバカども。ハーディング自身はどこまで関わってたか不明だが、こいつもなかなかのバカで、とにかくバカばっかり」という感じだったように思う。

 事件から30年以上(映画製作の時点ではおよそ四半世紀)経って振り返っても、だいたいそういう感じの事件だったようで、今さら「真相」を追究するとすれば、「ハーディング(および前夫)はどこまで関わっていたか」だが、本作はそれを明らかにするものではない。事件の渦中およびその周辺にいた人々(ただし被害者のケリガンは除く)の証言を「忠実」に映像化しており、だから矛盾点もたくさんある。判断は観客に任せている。
 前半は、とにかく母親が強烈。演じるアリソン・ジャニーは何度か観ているはずだが、思い出せない。虐待を指導だと心の底から信じている親やコーチは多い(フィクションでも現実でも)。この母親も、娘に無理やりスケートをやらせたわけではなく、本人がやりたがるから多少強引な手を使ってまでして良いコーチをつけてあげたし、貧しい暮らしの中、ウェイトレスで働いたお金を注ぎ込んだり衣装を作ったりと、ずいぶん「献身」している。各地の大会等で優勝しても大金が入ってきている様子はなく、明らかに金目当てではない。「叱って伸ばす」というか、「罵って奮起させる」指導が有効だと本気で信じてたのも、試合前にわざわざ金を払って他人(たぶん通りすがり)に娘を罵らせていることからも確かだ。
 もちろんその背後にあるのは支配欲と嗜虐欲なので、娘がどんなに成果を上げても、満たされることは決してない。粗を探して、新たな支配と虐待の材料に使うだけだ。ということも、かろうじて推測はできる。しかしそうやって娘を支配し虐げていること自体にすら、まったく喜びを感じていないのが不可解で不気味である。これが作品上のキャラクターではなく、本人も少なくとも傍から見てそのような人物だったことは、差し挟まれる本人のインタビューから窺える。

 マーゴット・ロビー演じるトーニャ・ハーディングは、大柄でグラマラスで迫力があるが、実際のハーディングは小柄で可愛らしい容姿だった(映画本編の最後に当時の本人の映像が流れる)。マーゴット・ロビーが目玉と歯をひん剥き、顔を歪めて審査員たちを口汚く罵るのは笑えるが、ハーディング本人あるいは彼女に似た女優がそんなことをしたら、狂犬病のチワワ(可愛い小型犬ならなんでもいいが)を目の当たりにしたような悍ましさと痛ましさが先立って、まったく笑えなかっただろう。何より、夫に殴られるシーン(何度もある)が痛々しくて見ていられなかったはずだ。反撃しても威力がなさそうだし。演じるのがマーゴット・ロビーでよかった。
 セバスチャン・スタンはイケメン俳優に分類されてるはずなのに、髪形と髭と服装と演技で、ああもダサくてショボくなるんだなあ、と感心。しかし後で当時のジェフ・ギルーリー本人の写真を見たら、ダサい髪形と髭と服装をもってしてもなおイケメンと判別できる容姿で、なぜその恵まれた容姿を自ら損なっているんだと呆れる。その壊滅的なセンスの欠如は、事件の稚拙さに直結しているように思う。

 肝心の事件が起きるのは後半である。当時の報道から知っていたのは、とにかく無計画な犯行だった、ということだけで、具体的にどう無計画だったのかまでは知らなかったのだが、これが想像を絶するものだった。バカさの度合いはまるっきりコーエン兄弟作品だが、あちらのバカは戯画化されたものとしか見えないのに対し、本作のバカは嫌な生々しさがある。ノンフィクションでも誇張や戯画化は珍しくないが、本作のバカどもは、「想像を絶する」バカでありながら異様に生々しい。笑えるんだが、同時に顔が引き攣る。誇張や戯画化ではなく、本当にこれくらいバカだったんだろうと思わせる説得力がある。エンドクレジット時に「本人」たちのインタビュー映像の一部が出るのだが、口調や表情が彼らを演じた役者たちそのままであることが、その説得力を裏付けている。

 ハーディングは才能に恵まれ、逆境にも負けず、それを開花させることができた。周りのバカがいなければ、あんな事件は起きていなかったのは間違いない。しかし彼女が、本人の主張どおり一切関わっていなかったとしても、バカどもと縁を切れなかったのは本人もバカだったからだ。母親とはほぼ縁を切ることができていたんだから、本気になれば彼らとも縁を切ることができただろうに。
 本作はハーディングに同情的すぎるという批判が(特にフィギュアスケート関係者から)出ているそうだが、少なくとも彼女がバカだったという点に関しては容赦していないだろう。そしてそのバカさの原因が彼女自身だけにあるとするのは、あまりにも非情だ。

「ラースと、その彼女」感想

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