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イスマイール一世は本当に「邪悪なほどに」美しかったのか? 其の三

其の一
其の二

 前回は、同時代の西洋人のイスマイール一世(1487―1524)観を検討しました。今回は、「美しい容姿」に対する当時の西洋の価値観を検討していきます。それによって、イスマイールを「邪悪なほどに」美しいと評したのはどんな立場の人物なのか、いくらかは絞れるんじゃないかと。

「我である汝よ イスラム神秘主義(スーフィズム)が目指すルッキズムの極地」(『トーキングヘッズ叢書』№93』掲載)で論じましたが、ヒトは1枚の顔写真を0.1秒見ただけで、その人物の能力や性格を評価するそうです。もちろんその顔が魅力的だと感じれば高評価を、そうでなければ低評価を与えます。つまり「外見が良い人=内面も良い人」 という感覚は、ヒトの無意識層に刻み込まれているのでしょう(だからといって、それがルッキズムの免罪符になるわけではありませんが)。
 さて中世西洋美術では、「美徳と悪徳の寓意」という主題が好まれました。ロマネスク期(10世紀末-12世紀)には男性兵士に斃される異教徒または怪物という構図で表現されていたのですが、ゴシック期(-15世紀)に入ると、明確に美女vs.醜女の構図になります。
 しかし問題なのは、「外見が良い人=内面も良い人」とは限らない、という事実です。「善」であるはずの美男美女が悪しき内面を持ち得る。キリスト教社会において「善」は神の領分なので、この矛盾は深刻でした。
 一方でキリスト教の禁欲主義は、快楽を悪とします。性的快楽ももちろん悪だったので、見る者の性欲を掻き立てる、という点からすれば美女(および美男)も「悪」になります。

 斯くして悪徳が醜女として描かれるようになるのと並行して、アダムを唆したエヴァ、サムソンを陥れたデリラ、大淫婦バビロンといった聖書の悪女たちは美女として描かれるようになっていきました。
 ……いやまあ、それ以前から彼女たちは視覚化されてはいたのですが、絵画にしろ彫刻にしろ、様式と言うか技術と言うかの問題で、明確に異形として表現しているのでなければ、少なくとも私には美醜の区別がつかない……

 下はイスマイールと同時代に描かれたラファエロの「アダムとエヴァ」(1509-11年。ヴァティカン宮殿「署名の間」天井フレスコ画)です(以下、画像はWikipediaから)。
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 エヴァを誘惑する蛇が「エヴァに似た乙女の顔」を持つとしたのは神学者ペトルス・コメストル(1173年没)で、以後、この主題を扱った作品の多くが、蛇の顔または上半身を若い女性として描くようになりました(この作品ではエヴァに似ているかどうかはよく判りませんが)。
 つまり蛇とエヴァが同一視されるようになった、ということです。なおコメストルは、蛇をエヴァに差し向けたのはサタン(悪魔の長たる魔王)だとしていますが、この説は『創世記』にはなく、前1世紀末-後1世紀前半成立とされる外典『モーセの黙示録』由来だそうです。蛇とサタンを同一視する説もあって、こちらは2世紀成立とされる『ヨハネの黙示録』でサタンが「年経た蛇」と呼ばれていることに由来するそうです。
 もしラファエロ描くこのエヴァを魅力的だと感じたら、それは蛇(サタンの眷属、あるいはサタン自身)を魅力的だと感じるのと同じだということになり、つまり彼女たちの「美」は「邪悪な美」ということになります。

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 上は、イスマイールより後の時代になりますが、ヴェロネーゼの「美徳と悪徳の間の若者」(1580年頃)です。右が美徳、左が悪徳です。ルネサンス期には「美徳と悪徳の寓意」は両者の闘争ではなく、どちらを選択するか揺れる若者、という構図が好まれました。この構図では、悪徳は露出度の高い派手な服装の美女として描かれます。
 美徳も美女ですが、見てのとおり地味です。もし悪徳のほうが魅力的だと感じるなら、その美はやはり「邪悪な美」です。

 ちなみにここで描かれてる「悪徳」は一人ですが、要するにいわゆる「七つの大罪」の総称です。七つの悪徳にに七名の悪魔を対応させたのはドイツの神学者ペーター・ビンスフェルトで1589年のことだとされていますが、おそらく彼の独創ではないでしょう。どの悪徳にどの悪魔を対応させるかまちまちだったのを固定した、といったところではないかと思われます。
 つまり「美徳と悪徳の間の若者」が描かれた頃には、すでに悪徳の擬人化として悪魔を当て嵌める考えがそれなりに広まっていた可能性があります。そうであれば、この美しい悪女は悪魔だということになります。

 したがって16世紀の西洋人にとって、「邪悪なほどの美しさ」というのは「悪魔に属するもの」なのです。というわけで前回、長々と検討した「同時代の西洋人によるイスマイール観」の出番です。
 イスマイールに関する初期の報告は、ペルシアやその周辺にはいたもののイスマイールのことは伝聞でしか知らないヴェネツィア人やポルトガル人によるもので、彼と信奉者たちの宗教はキリスト教そのもの、あるいはそれに似た何かだとする荒唐無稽なものでした。
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タブリーズは現イラン北西部にあって、地中海から千キロ以上内陸です。実際にその距離を旅してイスマイール本人に会いに行くまでの間に、そんなお伽話は否が応でも放棄せざるを得ないでしょうが、「キリスト教徒の友」という評価なら、少なくとも彼に好感を抱く西洋人の間では保たれ続けました。
 そんな人々が、イスマイールを「邪悪なほどの美しさ」と評するのはあり得ない。だからもし西洋人がイスマイールをそう評したのなら、その人物は彼に好感を抱いていない、ということになります。

 そうなると純粋に好奇心や利潤追求で来てる旅行家や商人(つまり実は政府のエージェントだったりしない)よりは、政治的利害の絡む使節やエージェントのほうが可能性が高そうですね。チャルディラーンの敗戦(1514年)前でも後でも、イスマイールとの交渉は巧くいってませんし。
 さらにチャルディラーンの時点で、イスマイールは27歳です。享年は37歳。
昔の人は現代人(「先進国」の)よりも老けるのが早いことを考慮すると、20代前半くらいまでならともかく、アラサー以降だと現代(先進国)の標準よりプラス10-15歳くらいの見た目になってしまいそうです。そんな男性を「美男」と評するのは充分あり得るし、実際そういう評されていますが、「邪悪なほどに美しい」という評しかたをするものですかね?

 イスマイールの許に西洋の使節が送られた期間は、1505年以降と1515年以降の二度です。年齢に関する推測が正しいなら前者ということになりますが、まともな資料が前回紹介したPalmira Brummettの論文しかない。しかもこの人はイスマイールと西洋の関係そのものには興味がなく、この時期に交渉があった国としてヴェネツィア、フランス、ポルトガル、ロドス島、ローマ(ヴァティカンであろう)を挙げているものの、具体的な遣り取りが述べられているのはヴェネツィアだけです。どのみち他の国との交渉も失敗したそうですが。
 残っている記録の多さからすると、ヴェネツィアが一番可能性が高そうではありますね。

 以上が、片手間の調査から推測できる限界です。正直なところ、ネット上で「イスマイール一世の美貌」について日本語で発言している人は、ググって出てくる限りでは例外なく「邪悪なほど」かそれに類する形容(「魔性の」等)を付し、かつ例外なく典拠を提示していないのですが、まあ講談社現代新書という手軽さから9割9分9厘、鈴木董氏の『オスマン帝国 イスラム世界の「柔らかい専制」』のみに基づいているのではないかと思われます。
 で、英語圏ではどうかと言うと、前回触れたように、そもそもイスマイール一世本人に関心を持っている人が少ないので……彼のルーツがアゼルバイジャンにあるためか、アゼルバイジャン人研究者の英語論文等は出てきますが、それらでイスマイール一世の容姿に言及している場合でも、
引用されている西洋の原典資料は前々回に紹介したアンジョレッロと無名商人のものだけです。
 念のために中国語とフランス語でもググってみましたが、これらの言語圏でも「イスマイール一世の容姿」に関心を持っている人はいないようです。

 だからまあ、鈴木董氏御本人に是非とも典拠を開示していただきたいものですね。

 というわけで「イスマイール一世は本当に「邪悪なほどに」美しかったのか?」というテーマはこれでお終いです。しかし後1回、調査のついでに知った小ネタを開陳する予定です。

其の一
其の二

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反撥

 1965年公開。カトリーヌ・ドヌーヴは90年代以降の出演作しか観たことがなくて、それ以前だと『昼顔』(1967)のスチールくらいでしか知らんのだけど、その時点でもう貫禄ある大女優って感じなのに、43年生まれだからまだ23、4歳なのね。
 で、本作はその2年前だが、ロマン・ポランスキー監督は彼女を徹底して「少女」として描いている。ドヌーヴの顔の造作はこの頃から立派で、一歩間違えると「厳つい」「老けてる」となりかねないんだが、カメラは彼女の怯え切って見開かれる大きな目をひたすら強調する。二の腕は折れそうなほど細く、英語はたどたどしく舌足らずだ。

 ロンドンで働く神経質で潔癖症の女性キャロル(ドヌーヴ)が、同居する姉の不在をきっかけに精神のバランスを崩し、坂を転がり落ちるように病んでいく話。カメラはその様を執拗に、しかし冷淡に追い続ける。なんか山岸凉子の1980年前後の諸短篇っぽい。病んでいく若い女の視点で話は進むのに、作者(監督)の視点は俯瞰してる感じが。
 ヒロインが病む原因は外部(環境)にも内部(彼女自身)にもあり、後者はいろいろあるが、それらの一つが「主体性のなさ」であることは、本作でも山岸作品でも共通している。違いは、端的に言えばフェティシズムだなあ。山岸凉子もヒロインの狂気の描写にフェティシズムを感じさせるが、ポランスキーほど執拗じゃないし、何よりヒロインが抱える「主体性のなさ」に対し、断罪までは行かないものの少なからず批判的だ。
 一方のポランスキーは、この主体性のなさも含めて愛でてますね。なぜこの性癖(誤用)を、作品に昇華させるだけで済ませられなかったのか。
 まあもし山岸凉子が本作をコミカライズするなら、カトリーヌ・ドヌーヴのキャラデザ(顔の造りと体型)的に、『アラベスク』の頃の絵柄が一番合ってるんじゃないかと思いますが。でも当時の技法じゃ表現しきれんだろな。

 サイコ・スリラーに分類される作品で、その「スリラー」の演出が現代の感覚だとちょっと大袈裟に感じられる場面もあるが、全体に占める割合はわずかで、ほかは全部、今観てもスタイリッシュ。

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イスマイール一世は本当に「邪悪なほどに」美しかったのか? 其の二

其の一

 サファヴィー朝開祖イスマイール一世(1487ー1524)の容姿についての余談、続き。美男だったという同時代資料は見つけられましたが、西洋人の誰が、いつ、どんな状況で「邪悪なほどに」美しいと形容したのかは、依然不明です。
 片手間の調査ではこれが限界で、後はどこかの誰かが見つけてくださるか、鈴木董氏御自身が情報開示してくださるのを期待するしかありません。しかしせめて推測の手掛かりは得られないか、同時代の西洋人によるイスマイールの評価を検討してみることにしたのでした。

 前回の最後に紹介したPalmira Brummettの論文The Myth of Shah Ismail Safavi(グーグルスカラーhttps://scholar.google.com/?hl=jaで検索すれば、PDFがダウンロードできます) 「シャー・イスマイール・サファヴィーの神話」は非常に興味深い内容で、16世紀初頭に西洋で流布した「イスマイールの神話」を取り上げています。
 1499年に12歳で挙兵して以来、破竹の勢いで勝ち進み、1501年には祖父・父・兄の仇である白羊朝の都タブリーズ(現イラン北西部)を落とし、ペルシア王として即位した少年教主についての報告は、遅くとも1501年にはヴェネツィアに届き始めます。それによると、この少年は預言者あるいは神自身を自称し、熱狂的な信徒軍を率い、トルコ人は異端者として殺すが、アルメニア人(キリスト教徒)には寛容である、とされていました。

 西洋諸国(具体的には地中海沿岸諸国)は、イスマイールが対オスマン帝国の同盟者となってくれることを期待しました。そうしてわずか数年の間に、イスマイールの「神話」は急激に膨れ上がっていきました。彼は「キリスト教徒の友」であるばかりか、彼自身、母親がキリスト教徒だったとか、キリスト教徒に育てられたとか、「トルコ人」たちから「キリスト教徒」と呼ばれているのだとされました。
 シーア(派)について無知だったために、イスマイールがイスラム全般に敵対的だと勝手に誤解したことから生じた、ある種の集団妄想と言えます。一方で、彼が民から預言者あるいは神そのものと崇められるのみならず自らそう称している、という情報は取り上げられなくなっていきました。

 そして「ヴェネツィア、フランス、ポルトガル、ロドス島、ローマ(ヴァティカンのことだと思われる)がより正式な関係を構築する可能性を探るため、イスマイールと書簡の遣り取りを開始した」とのことですが、具体例として挙げられているのはヴェネツィアだけです。
 上記の報告もそうですが、この論文は原典資料の9割方を
マリーノ・サヌートMarino Sanuto(またはSanudo、1466-1536)のI Diarii(the diaries)に拠っています。Diariiはただの日記ではなく、国内外の事件の記録やその考察、外交文書をはじめとする重要資料の写しも含む、全56巻に及ぶ大著だそうです。サヌートはヴェネツィア共和国大評議会の一員だったので、 そういう資料の入手も容易だったのでしょう。
 英訳は出ていません(もちろん邦訳も)が、論文中の引用は英訳されていますよ。まあそういうわけで利用できる原典資料がヴェネツィア関係に偏っているので、「西洋におけるイスマイール神話」と言いつつ、大半がヴェネツィア人のもの、後はポルトガル人とか後述するロドスの聖ヨハネ騎士団くらいです。

 というわけでヴェネツィアとイスマイールの遣り取りですが、どうもイスマイールから先に手紙を出したみたいですね。1505年、イスマイールは18歳です。これは単なる挨拶だったようですが、続いてヴェネツィアに使節を送り、サファヴィー朝は陸から、ヴェネツィアは海からオスマン帝国を挟撃する作戦を提案し、さらに大砲と砲手を要求しました。
 使節派遣がいつだったのかは述べられていませんが、大砲はまず1508年のバグダード攻略に使いたかったとのことなので、それ以前になりますね。
 この提案と要求に対し、ヴェネツィア元首は軍事協力の代わりにイスマイールへの友情とオスマン帝国への憎しみに溢れた言葉のみを提供しました。
 実はイスマイールが挙兵した1499年、ヴェネツィアはオスマン帝国とギリシア周辺の海上覇権を巡る戦争を開始していました(オスマン・ヴェネツィア戦争)。戦況は終始ヴェネツィア側が劣勢であり、だからこそ「救世主イスマイール」に期待をかけたのでした。
 一方、オスマン帝国も東方に迫るイスマイールに不安を感じ、だからこそ圧倒的優勢だったにもかかわらず1503年にヴェネツィアと講和条約を結ぶに至りました。つまりイスマイールが最初に親書を送った1505年の時点で、ヴェネツィアはもはやオスマン帝国と戦う気力を失っていたのです。

 またヴェネツィアは、イスマイールに大砲を提供すれば、それがいずれエジプトのマムルーク朝にも使われることになるだろう、と危惧していました。マムルーク朝の弱体化は、ヴェネツィアの商売敵であるポルトガルの強大化に繋がります。
 オスマン帝国も、ポルトガルに侵蝕されつつあったマムルーク朝に軍事支援を行っています。お蔭でサファヴィー朝とオスマン帝国の対立が深まっていく中、マムルーク朝が前者につくことはありませんでした(オスマン帝国の味方もしませんでしたが。そして1516年、オスマン帝国によって滅ぼされます)。
 そういうわけで1508年、イスマイールは大砲なしでバグダードを攻略します。Diariiによればこの年、ロドス島の聖ヨハネ騎士団総長は、教皇(ユリウス二世)に手紙を送り、イスマイールに大使を送るよう強く促したそうです。が、それに対するリアクションは論文では述べられていません(Diarii でも言及されていなかったのかもしれませんが)。
 イスマイールはそのまま、キズィルバシュ騎兵隊でオスマン軍の大砲と小銃に立ち向かうことになるのですが、論文によれば「1514年にチャルディラーンでオスマン帝国によって打ち破られるより以前に、西洋の消息筋におけるイスマイールの重要性は減少した」そうです。なぜ、どのようにそうなったのかは一切説明がありません。

「神話」も含め、チャルディラーン前のイスマイールと西洋との関係を体系的に述べているテキストは、英語・日本語ではこの論文しか見つけられませんでした。それだけ「西側世界」ではイスマイール一世(というかサファヴィー朝全般)の研究が進んでいないということです。
 Palmira Brummettという人はWiki英語版に記事があり、高い評価を受けている中東史研究者だそうですが、この論文の主旨は「神話」も含めたイスマイール一世と西洋の関係、ではなく「西洋人による〝イスマイール神話〟は単なる無知から来る願望だけではなく、各国政府による情報操作の産物でもあった」というものです。
 つまり彼らはイスマイールすなわちイスラム君主と同盟を結ぶならlegitimation「正当化」が必要だった、というのです。具体的には、イスマイールが実はキリスト教徒だということにしたい、それが無理なら彼が信仰するのは「キリスト教ではないが、イスラムよりはキリスト教に近い宗教」だということにしたい、それすら無理なら最低でも「ムーア」(オスマン帝国をはじめとするスンナ派)の敵であるだけでなくキリスト教の友だということにしたい、というのです。

 しかし例えば、ちょうど1世紀前の1402年、オスマン帝国を破ったティムールに対し、フランス王シャルル六世とカスティーリャ王エンリケ三世は友好使節を送っています。もちろんティムールがムスリムと知った上ですし、どちらの使節団にも修道士が加わっています。
 エンリケ三世の使節であるルイ・ゴンザレス・デ・クラビホの報告書は邦訳が出ていますが(『遙かなるサマルカンド』原書房)、それを読んでもBrummettが言う「正当化」が行われた様子は窺えません。
 なお具体的な同盟や軍事的協力等に話が進む前にティムールが病死し(1505)、そのまま後継者争いが始まって立ち消えになってしまったようです。

「神話」におけるイスマイール一世像は「プレスター・ジョン」のようだ、と論文中で何度も述べられていますが、この伝説は当時まだまだ健在でした。特にポルトガルはガチで信じていて、ヴァスコ・ダ・ガマのインド航路開拓(1498)に繋がる国を挙げての大航海事業は、そもそもプレスター・ジョン探索から始まったものです。まあ純粋な宗教的情熱だけじゃなく、「プレスター・ジョンの王国なら、必ずや最高の貿易相手になってくれる」という商業的情熱も大きかったんですが。
 プレスター・ジョンが実在なら似たような存在はほかにもいるだろう、という願望が「イスマイール神話」の正体だったんじゃないかと思いますけどねえ。
 まあとにかくBrummettは自説を証明すべく、「神話」に用いられた「レトリック」を延々考察し、チャルディラーン後のイスマイールについてもまったく触れていません。

 羽田正「サファヴィー朝の時代」(中央公論新社『成熟のイスラーム』所収)では、イスマイール一世はチャルディラーンでの敗北までは己が本当に救世主だと確信していたようだ、とか敗北後は政治に関心を失い、酒食と狩猟に現を抜かすようになった、とか述べられています。しかしデイヴィッド・ブロー『アッバース大王 現代イランの基礎を築いた苛烈なるシャー』(中央公論新社)第1章によれば、イスマイールは14歳で即位後、軍事面こそトルコ系遊牧民に頼っていたものの、行政面では実務に長けたイラン系の都市住民を徐々に登用して対抗勢力とし、チャルディラーン後も西洋諸国との同盟を画策するなど、「神がかり」のシャーとは異なる堅実な面を見せています。
 チャルディラーン後にイスマイールが親書を送った相手はポルトガルのマヌエル一世、ハンガリーのラヨシュ二世、神聖ローマ帝国のカール五世、教皇レオ十世でしたが、成果らしい成果は出せませんでした。1523年、イスマイールはカール五世に送った書簡の中で、西洋諸国は互いに戦ってばかりでオスマン帝国と本気で戦う気がない、と非難しています。彼の死はその翌年です(享年37歳)。
 チャルディラーン前のヴェネツィア以外の西洋諸国との交渉も、こんな感じで不首尾に終わったのでしょうね。

 さて、Brummettが述べるようにイスマイール一世に対する西洋各国政府の関心(過度な期待と幻想)がチャルディラーン以前に薄れてしまったとしても、少なくとも西洋の民間人の間では、チャルディラーン後も好意的な評価は継続していました。前回紹介した無名のイタリア商人とアンジョレッロのイスマイール評も、チャルディラーン後のものです(前者がイスマイールを実見したのは明確にチャルディラーン後。後者はチャルディラーン前の可能性もあるが、著作はイスマイールの死後に書かれた)。 
 最初から好感を抱いていたとはいえ、あまりにも期待外れだと反転してしまいますが、「少女のように愛想がいい」ですからね。やはり神を自称するエキセントリックな振る舞いは、演技だったのかもしれません。
 となると、短篇「ガーヤト・アルハキーム」(『ナイトランド・クォータリー』vol.18掲載)の主人公の造形を「エキセントリックだが醒めてもいる」としたのは、イスマイール一世の実像に意外と近かったのではないか、とちょっと嬉しくなった次第でありましたよ。

 というわけで今回は同時代の西洋人から見たイスマイール一世像を検討しましたので、次回は彼らのうちどんな人物が「邪悪なほど」美しいと評した可能性があるかを考えてみたいと思います。

其の一

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インセプション

『TENET』(2020)と『オッペンハイマー』(2023)を観る前だったら、無条件で大絶賛できたんだけどなあ。

『TENET』は途中で考えるのをやめて、映像と音を脳に流し込むだけになってたんだけど、それらにしたって「すげえ手間かけてんな」以上の感想が出てこなかった。物語が解りにくくても、なんか見入ってしまう映像作品というのはあるんだが、『TENET』の脚本は「すげえ手間のかかった映像」を撮るために敢えて複雑にした、とか疎かになった、とかじゃなくて、ただただ「観客にストレスを与える」ためだけに無駄に複雑な構成にしてるように思えてな。
 それが正しいのか邪推なのかは知らんが、いずれにせよ出来上がった映像は「すげえ手間かけてんな」で終わったのであった(なので感想は上げません)。
 クリストファー・ノーランのやりたいことは「すげえ手間のかかった映像」を撮ること、および無駄に複雑にした構成で「観客にストレスを与える」ことでしかないんじゃないか、という疑惑は、『オッペンハイマー』で確信に変わる。伝記映画なんで「すげえ手間のかかった映像」のほうは『TENET』のような「鬼面人を嚇す」類のものじゃなかったが、視点や時間軸をやたら交錯させた構成は、ひたすら観客にストレスを与えることだけが目的だとしか思えず、そんなしょうもないことのダシに広島長崎を使うな、と余計に腹が立ったのであった(そんで「すげえ手間のかかった映像」も「薄皮ペリペリ」かよ、という)。

 で、この2本の後に観た本作『インセプション』は、「夢」と「現実」が曖昧であるため複雑ではあるが、この曖昧さこそがテーマなので「無駄」ではなく、「すげえ手間のかかった映像」も、「夢を操る技術」の説明の雑さを補って余りある。先に観た2本で呆れ果ててなかったら、本当に楽しい体験だったろうになあ……
 本作を先に観ていたら、後で『TENET』と『オッペンハイマー』を観て、ああノーランが本当にやりたかったのは「無駄に複雑な構成で観客にストレスを与える」ことだったんだなあ、と気づかされても、『インセプション』では我慢出来て偉いじゃないか、となっただけだったろうが、この2本が先だったばっかりに『インセプション』を観てる間ずっと、「本当はもっと脚本を滅茶苦茶にして観客にストレスを与えたかったんだろうなあ」と思い続けることになってしまったのだった。そういう目で見ると、そもそもの『メメント』(2000)からしてね……

『TENET』と『オッペンハイマー』より先に観た『ダンケルク』(2017)は3つの視点から語られる構成だが、群像劇として巧く機能していると思ったし、これらより後に観ても「無駄に複雑にしやがって」と腹が立つこともなかっただろうになあ。

クリストファー・ノーラン監督作感想

『インソムニア』 
『ダークナイト』
『ダンケルク』
『オッペンハイマー』

映画感想INDEX

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イスマイール一世は本当に「邪悪なほどに」美しかったのか? 其の一

 新作短篇「地下水路(カレーズ)」(『ナイトランド・クォータリー』vol.42「アンダーグラウンドの相貌」掲載)に、主人公が視る幻として「髑髏杯を持つ美少年王」が登場します。彼の「正体」はサファヴィー朝開祖イスマイール一世(1487ー1524)であり、今回はそのイスマイール一世についての余談です。「地下水路」とはもはや無関係なんで、カテゴリーは別で。

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「「地下水路(カレーズ)」解説」カテゴリ全体 解説其の一 其の八(イスマイール一世について) 

 鈴木董『オスマン帝国 イスラム世界の「柔らかい専制」』(講談社現代新書)では、サファヴィー朝の成立からイスマイール一世がペルシアを征服しシーア(派)を国教に定めるまでを、わずか1頁で説明していますが、その説明の小見出しが「邪悪なほどの美少年」で、本文でもイスマイール一世について「彼を実見した西欧人が、「余りにも美しく、邪悪なものを感じさせるほどだ」と感嘆したこの美少年は、同時に苛烈な君主でもあった。」と描写しています。
 私が同書を読んだのは00年代の後半(正確な時期は忘れた)、ほどなくして羽田正「サファヴィー朝の時代」( 中央公論社『成熟のイスラーム社会』所収) で 黄金髑髏杯だの自称神だっただの(イスラム圏での話である。普通なら最悪の瀆神行為として処刑される。敵からの誹謗中傷とかではなく、ペルシア側の文献に残る本人作の詩)といったヤバいエピソードを知り、かなり強烈に印象付けられました。

 短篇「ガーヤト・アルハキーム」(『ナイトランド・クォータリー』vol.18掲載)の主人公イスマイールの「エキセントリックで邪悪なほどに美しい」というキャラクター造形は、このイスマイール一世からです。偶々名前が同じというだけでなく、イスマイール一世の主張に従えば、彼らは血の繋がりがあるということになりますし(直系ではないけど)。
 で、「地下水路(カレーズ)」でイスマイール一世本人登場となったわけですが、やはり「邪悪なほどに美しい」造形にしています。

 ただ、ずっと気になってたんですが、「邪悪なほどに」という形容が、上記『オスマン帝国』以外の資料で見当たらないんですよね。まあイスマイール一世に関する資料は、上に挙げたもののほかに数点、それも日本語のみで書籍所収の論考や雑誌論文だけしか読んでないんですが。
 というわけで、「地下水路」の解説を書くついでに、いい機会だからと調べてみました。 

 まずはイスマイール一世の肖像画(画像はWikipediaより)。
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 フィレンツェの画家クリストファーノ・デル・アルティッシモCristofano dell’Altissimo(1525-1605)によって、1552年から89年までのいつかに描かれたものです。イスマイール一世の没年は1524年なので、当然ながら本人を見たことはありませんが、そもそもこの作品は1551年以前のいつかに逸名画家が描いた肖像画を基にしたものです。後ほど説明しますが、この逸名画家がイスマイール一世本人を見たことがある可能性も、皆無ではないものの、まあ低い。
 ではそのオリジナルもまったくの想像で描かれたかというと、そうではないようで、イスマイール一世を実見した西洋人旅行者たちの報告が、明らかに参照されています。

 私が見つけられたのは2点だけで、どちらも英訳がこちらに所収されています。A narrative of Italian travels in Persia, in the fifteenth and sixteen centurieshttps://archive.org/details/narrativeofitali00greyrich/page/n3/mode/2up
『15-16世紀イタリア人のペルシア旅行記集』ってとこですかね。翻訳者はチャールズ・グレイCharles Greyという人で1875年刊行ですが、別段読みにくいということもありませんでした。
 
収録されている4点の旅行記のうち、当該2点はヴェネツィア出身の旅行家・著述家ジョヴァンニ・マリア・アンジョレッロGiovanni Maria Angiolello(1525頃没)のA SHORT NARRATIVE OF THE LIFE AND ACTS OF THE KING USSUN CASSANO「ウズン・ハサン王の生涯と活動の短い物語」と逸名のイタリア人著者によるTHE TRAVELS OF A MERCHANT IN PERSIA「ある商人のペルシア旅行」です。白羊朝スルタン、ウズン・ハサン(在位1453-78)の「ハサン」は当時のイタリア語表記だと「カッサーノCASSANO」になるんだそうです。ええ~。

 アンジョレッロがペルシアに行ったのは1482年頃と1499-1515だそうで、ウズン・ハサンの伝記と銘打ってますが、それは全65頁中25頁までで、残りはイスマイール一世の伝記であり、旅行記の要素は少ない。
 なお目次にはアンジョレッロの著作は載ってなくて、代わりにDiscouse of Messer Giovan Battista Ramusio「ジョヴァン・バッティスタ・ラムジオ殿の論文」がありますが、ジョヴァン(ジョヴァンニ)・バッティスタ・ラムジオ(1485ー1557)は数多くの旅行記を収集・編集・出版した人で、アンジョレッロのこの作品もラムジオの旅行記集に収録されていたそうです。で、目次にはラムジオの論文しか載っていませんが、実際にはわずか4頁だけで、そこからアンジョレッロの旅行記というか伝記というかがが始まっています。論文の内容もアンジョレッロの作品とほぼ関係ないし、なんでこんな構成なのか解らん。
 まあとにかく、アンジョレッロがイスマイール一世の容姿に言及しているのは111頁で、それによると「色白で美男で、とても魅力的」「あまり背は高くない」「華奢というよりは恰幅がよく、肩幅が広い」「髪は赤く、口髭を蓄えている」だそうです。

 無名商人のほうは、1511年から1520年にかけてダマスクスからペルシアまでを旅したそうで、202頁で「現在31歳くらい」のイスマイール一世について(1487年生まれなので1518年頃)、「高潔な顔立ちのたいへんな美男で、中背くらい」「色白で恰幅がよく、肩幅が広い」「口髭以外は剃っている」「少女のように愛想がいい」と述べています。

 両者とも、イスマイール一世は左利きで弓の名手だと評しています。
 ちなみに当時のイタリア人はイスマイール一世をSufiあるいはSophi(Sophy)と呼んでいました。Sufiはスーフィー(イスラム神秘主義者)のことで、イスマイール一世はイスラム神秘主義教団であるサファヴィー教団の教主でもありましたから、まあムスリムの間でもスーフィーと呼ばれていたのでしょう。
 ソフィSophiのほうはスーフィーの転訛のようにも思えますが、同一著作の中でSufiと呼ばれたりSophiと呼ばれたりしているので、別個の呼称ですね。「サファヴィーSafavi」の転訛ではないか、という説が有力だそうです。

 ほかにイスマイール一世の容姿について述べた同時代西洋人の報告は、伝聞によるものを1点見つけただけです。論文The Myth of Shah Ismail Safavi「シャー・イスマイール・サファヴィーの神話」(グーグルスカラーhttps://scholar.google.com/?hl=jaで検索すれば、PDFがダウンロードできます) によると、1507年にZuan Moresini(ZuanはGiovanniの変形で、「ツアン」と発音するらしい)という人物(エージェント?)がダマスカスからヴェネツィアに送った報告書に、イスマイール一世は「美男で、髭がなく若い」と聞いた、とあるそうです。

 というわけで美男だったという同時代資料は見つけられましたが、西洋人の誰が、いつ、どんな状況で「邪悪なほどに」美しいと形容したのかは、依然不明です。
 片手間の調査ではこれが限界で、後はほかの誰かが見つけてくれるか、鈴木董氏御自身が情報開示してくださるのを期待するしかありません。しかしせめて推測の手掛かりは得られないか、同時代の西洋人によるイスマイールの評価を検討してみることにします。
 というわけで続くのでした。どうもすみません。

其の二

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ブルータリスト

 2024年公開。タイトルは、エイドリアン・ブロディ演じる主人公が建築家で、作中の主な時代(1950‐60年代)に流行した「ブルータリスト」スタイルを得意とすることから、字義どおりに解釈すれば「ブルータリズムの建築家」であり、主人公を指す。ブルータリズムの特徴をものすごく雑にまとめると、現代でも「コンクリート打放し」が「おしゃれ」だという感覚があるのは、これの名残。
 ブルータリズムは特定の個人あるいはグループが創始したものではなく、第二次大戦後、早急な都市再建という需要に応えるかたちで、自然発生的に形成されていったらしい。コンクリート剝き出しの武骨で荒々しい(brutal)外見から、この名がついた。
 したがってbrutalistというタイトルは、「粗暴な/残忍な者」という意味にもなる。こちらの解釈だと、いったい誰を指すのか。

 映画とは映像芸術であり、映像でしか表現できないものを表現してこそだ、ということを改めて認識させられた、3時間20分(インターミッション15分を除く)の大作。自宅のノートPCの小さな画面で鑑賞したにもかかわらず、物語や役者の演技ではなく、映像そのものに圧倒され続けた。
 いや、さすがに3時間20分ずっと圧倒され続けてたわけじゃなくて全体の5割くらいだが、これまで観てきた映画の数々のうち、2時間前後の上映時間に対して30秒でも「圧倒的な映像」があるもののほうが少ないからね。
 もちろん、傑作と言わずとも名作・良作とされる映画は、美術、演技、アクションその他諸々を「引き込まれる映像」として撮っている。それら自体の出来がどれだけよくても、見せ方が悪かったらどないもならんからね。それでも良作レベルですら、作品まるごと「引き込まれる映像」だけから成っていることは少ない。本作は残りの5割も、この「引き込まれる映像」のレベルに余裕で達している。

 あと、音楽もすごくよかった。アカデミー賞で撮影賞だけじゃなく作曲賞も受賞しているだけのことはある。ただ、ちょっと不思議だったのは、BGMなのか作中で実際に流れている音楽なのか判らない曲が幾つかあったことだ。明らかに登場人物たちに聴こえているのに、音源がどこか判らん曲も。非現実的な印象を与える効果があったが、それを狙ってのことだったんだろうか。

 物語については……「圧倒的な映像」および「引き込まれる映像」を作り出すためのプロットとしては完璧だが、それ以外で評価するとなると……ホロコーストを生き延びた主人公ラーズローと妻、姪が抱える痛みが、直接的に表現されることが一切なかったのは、そういう意図だろうと予想できて、そう予想してなお、最後の最後に意表を突くかたちで真実が明かされるわけだが、その最後の最後までイスラエルがまったく無批判に「約束された楽園」として描かれ続けたんで、居心地の悪さが圧倒的に優っちゃった。
 製作に7年かかったそうだけど、今の惨状は映画公開の前年にいきなり始まったんじゃなくて、イスラエル建国以来の蓄積と醸成の結果じゃん。それを抜きにしても、ラーズローと妻はアメリカという国のブルータリズム(残酷さ)に絶望してイスラエルという「約束された楽園」へと脱出し、どうやらかなり幸せな余生を送ったらしい。しかしユダヤ系以外の難民は、どれだけ絶望しても、「約束された楽園」なんか用意されてないわけで。

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ニル・バイ・マウス

 1997年公開。こいつら10秒喋るごとに何回ファッキン言ってんだ。Wikiの「fuckが頻出する映画の一覧」(最新編集は2024年10月)によれば第5位。10位以内で観たことあるのは4位『サマー・オブ・サム』(1999)、6位『カジノ』(1995)、9位『ツイン・タウン』(1997)だけど、どれも本作ほどは耳につかなかったよ。
 なんか、ひどい時にはワンセンテンスのすべての名詞と動詞にfuckin’付けてる勢い。そんで、女性キャラでもファッキン頻度は男性キャラよりわずかに低いだけなの。

 ゲイリー・オールドマンの今のところ唯一の監督作品。『トレインスポッティング』(96)を皮切りに、上記の『ツイン・タウン』とか『ブラス!』(96)とか『フル・モンティ』(97)とか、当時の「英国のどん詰まり感」を描いた映画が次々と製作されたが(ほかにもあるかもしれないが、観たのは以上)、これもその一つと言える。ただし58年生まれのオールドマンが育った環境も、だいたいこんな感じだったらしい。
 製作がリュック・ベッソンだというお蔭もあるんだろうけど、初監督作とは思えないほど出来がいい。プロットらしいプロットはない。上記の「英国どん詰まり映画」はそれなりにスタイリッシュだったりブラックとはいえユーモアがあったり、なんだかんだと人情噺だったりするが、本作はクズをクズとして淡々と描いているだけである。

 無職の男たちが酒とクスリをやりながら、ファッキンファッキン言う合間にまったく中身のない話をしているだけである。本当に中身がない。そうしてしょっちゅうゲラゲラ笑うのだが、何が可笑しいのかさっぱり解らない。仲間内でしか通じないネタだからじゃなくて、頭が悪すぎて、笑いのセンスも終わっているのである。
 チンピラ共のダラダラとした喋りと言えばタランティーノだが、結局あれは、頭の悪い喋りに見せ掛けた、才人による洗練された台詞なんだなと改めて実感する。本作はそれだけリアルということなんだろう。

 何一つ解決しない代わりに、破滅もない。いや、普通は夫の暴力で妻が流産したり、ヤク中の若者が逮捕されて2年半喰らったりするのは充分に破滅なんだが、すでにどん詰まりすぎて、これくらいでは破滅にならないのである。そんな人々を、露悪的にも悲劇的にもならずに、ひたすら淡々と描いているので、鑑賞後は胸糞悪さどころか遣る瀬無さすら残らず、妙に達観した心持ちになれる。
 そしてこんな内容なのに見入ってしまうほど、カメラワーク、演出、演技すべてが素晴らしい。なんか、例えば主人公のクズ中年の義弟(妻の弟)であるクズがクスリを買う金欲しさに、主人公のアパートに空き巣に入って黙々と家探しするだけのシーンなのに、見入ってしまうんだな。

 そのクズ主人公役のレイ・ウィンストンは、流産させた妻に謝りたくて電話を掛けるが何も言えなくなってしまい、電話線を引っこ抜いて繋がっていない電話に向かって泣きながら謝罪と繰り言を垂れ流す。その一人芝居が壮絶。これでなんの賞も獲れてないって(英国アカデミー賞主演男優賞ノミネート止まり)おかしいだろ。
 妻ヴァレリー役のキャシー・バークはカンヌで女優賞受賞だが、『エリザベス』(1998)のメアリー1世が、わずか数分の出番ながら強烈なインパクトだったので、正直なところ本作ではそこまで……いや、あくまでメアリー1世に比べたら、ですけど。

 ヴァレリー(と弟)の母親を演じるのは、ゲイリー・オールドマンの姉ライラ・モース。1945年生まれだが、これがデビュー作。その後はTVを中心に女優業を続けているようですね。
 劇中で流れる歌の一つを、オールドマン姉弟の母親キャスリーンKathleenが歌っているそうなので、エンドクレジットを確認したらCan’t help lovin’ dat manというタイトルだった。終盤にヴァレリーの祖母が歌っている曲である。祖母を演じるのはエドナ・ドレという女優なので、吹き替えなんだな(なお、劇中では一度も呼ばれないが祖母の名前はKath)。
 キャスリーン・オールドマンは1918年生まれなので撮影時には77歳にはなっているが、「素人の割には巧い」「年齢の割には巧い」というレベルを遙かに超えて、張りのある美しい声で朗々と歌い上げている。姉弟の芸術的才能は彼女譲りだということか(亡くなったのは2018年なので大往生である)。

 ゲイリー・オールドマンはこの作品を父親に捧げている。父親はアルコール依存症で、オールドマンが7歳の時に家族を捨てた。時代設定こそ撮影時現在に移しているが、ヴァレリーの連れ子の少女がちょうど7歳くらいだし、1シーンだけ登場する父子の、同じく7歳くらいの息子の名前が「ゲイリー」だし、自らの幼年時代を反映させていると見ていいだろう。
 タイトルは「飲食禁止」の意味で、主に入院中の患者に対して使われる語だそうで、主人公が自分の碌でなしの父親が入院した時の思い出を語る中で出てくる。オールドマン自身は、父親とのそんな思い出すら作れなかったのだけど。

 初監督作でこれだけのものになるんだから、1作だけじゃもったいないと思うんだが、撮りたいものは撮りきってしまったということなのかもしれないな。

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聖地には蜘蛛が巣を張る

 2022年公開。一応ネタバレ注意。
 2001年にイランの聖地マシュハドで16人の娼婦を殺して逮捕された、通称「蜘蛛殺し」の事件に基づく。監督は『アプレンティス』(2024)のアリ・アッバシ。イラン出身だが、デンマークの映画学校に留学して以来、同地を拠点に活動してきた。イランを舞台にする作品はこれが初めてで、事前にイラン当局に許可を申請したのだが、いつまで経っても返答が得られないため、トルコ等の他国で撮影せざるを得なくなった、という経緯がある。

 主人公のラヒミは架空の人物だが、「蜘蛛殺し」逮捕後に本人にインタビューを行った女性ジャーナリストをモデルにしている。当初は若い駆け出し記者という設定にする予定だったが、キャスティングされた若い女優が撮影直前に、「ショートカットにしたくない」「こんな役をやることを親が心配している」とゴネだしたので、急遽、キャスティング・ディレクターとして参加していたザーラ・アミール・エブラヒミが代わりを務めることとなった。
 エブラヒミは81年生まれで当時40歳、イランの人気女優だったが、06年にリベンジポルノの被害者となり、女優生命を絶たれたため、フランスに移住せざるを得なくなった経歴を持つ。アッバシ監督はラヒミの設定を変え、セクハラ被害に遭ったのに会社を辞めさせられた過去を与えた。

「オリエント」(非西洋)の芸術作品を大絶賛する欧米のインテリには、その作品そのものの評価とは別の思惑がある場合が多く、それはだいたい2種類に大別できる。①「違いがわかる自分(たち)」に酔いたい、②作者の出身国を殴る道具にしたい(その国を舞台にしていなくても)。だからどちらの作品にも、技術的に稚拙な作品が少なくない(そしてその稚拙さが「独創的」だと褒め称えられる)。①には日本の作品も多いから、他人事ではない。
 その点、アッバシ監督はデンマークで映画を学び、製作してきたので、重い題材を扱いつつ、ちゃんとエンタメとして魅せる。カンヌ国際映画祭パルムドールノミネート、女優賞受賞、その他多くの映画賞でノミネート、という欧米人からの評価も、作品そのものへの評価として相応しい。が、政治的利用も多分に含んでいるだろうね。案の定、イランは怒り狂ってるし。

 そんな不純な思惑とは切り離して観てほしい、純粋に素晴らしい映画である。ラヒミというキャラクターと演じたエブラヒミばかりが賞賛されているが(もちろん政治的意図を抜きに彼女は賞賛されるべきだが)、犯人のサイードのキャラクター造形と演じたメフディ・バジェスタニも、もっと注目されるべきである。サイードはミソジニーのクソ野郎だが、単なるクソ野郎ではなく、イラン・イラク戦争の惨禍を生き延びて「しまい」、サバイバーズ・ギルドを抱えて生きてきた帰還兵でもあるという複雑な人物で、バジェスタニはそれを見事に表現している。監督もエブラヒミもイランが拠点ではないが、バジェスタニはイランの俳優だから、リスクはずっと大きいにもかかわらず。
 ペルシア語には、日本語の「(名前)ちゃん」とほぼ同じ意味、使い方の「(名前)ジャン」という語がある。作中、サイードは妻のフェレシュテを何度も「フェレシュテ・ジャン」と呼んでいる(名前を呼ぶたびにチェックしたわけじゃないが)。家父長制と男尊女卑がデフォルトとはいえ、妻と子供たちを大事にしていた男として描かれている。

 しかし当局はサイードをこっそり逃がすことを約束していたのだが、ラヒミと男性記者が処刑の立ち会いを要求すると、騒がれると面倒だと思ったのか、あっさりと受託し、サイードを本当に処刑してしまう。この雑さはどの程度事実に基づいているんだろうか。共犯意識を醸し出してほくそ笑み合っていた看守たちの仕打ちが信じられず、首に掛かった縄が締まり始めてようやく絶望に転じるサイードの反応が生々しい。
 ともあれシリアルキラーが逮捕されてお終い、ではなく、逮捕後の世間や家族、被害者の遺族の反応を、尺の4分の1ほどを使って丁寧に描写する。結末で、ラヒミは来た時と同じように夜行バスに乗って聖地マシュハドを去るのだが、バスの中で、自らが行ったサイードの息子へのインタビューの動画を見返す。

https://thecinemaholic.com/where-are-saeed-azimis-wife-and-kids-now/

 この記事によると、作中のこのインタビューは実際に当時行われたインタビューを基にしているそうで、その時、彼は14歳だったという。誇らしげに微笑みながらの「もし父さんが殺されても、誰かが引き継ぐ」「10人か20人に、父さんの行動を続けないかと尋ねられた。『待っててよ』と答えた」等々の発言は、映画で忠実に再現されている。
 映画ではそこから、父親から聞いた「娼婦の殺し方」を幼い妹を使って演じてみせるという、最高におぞましい場面へと続く。上記の記事では一切触れていないので、十中八九創作であろう。もちろん実在のインタビューだったら、おぞましいどころではないので幸いではあるが、じゃあ逆に何食ったらこんなの思い付くんだ。演じた子役もすげえ。
 なお上の記事によると2023年8月現在、サイードの家族は消息不明だそうだ(まあ、あんまり熱心に調査した感じではないけど)。

 邦題だとあたかも「蜘蛛」は殺人鬼(サイード)を指すかのようだが、彼が「蜘蛛殺し」と呼ばれていることから明らかなように、「蜘蛛」は娼婦たちのことである。ただし作中で娼婦が「蜘蛛」と呼ばれることはなく、「蜘蛛殺し」と呼ばれた理由の説明はない。日本語でも英語でもググってみたけど解らんかった。ペルシア語のスラングでは「蜘蛛」(アンカノート)が娼婦を指すのかもしらんが、確認できなかった。
 ともかく本作の英題はholy spiderで、ペルシア語タイトルも同じ意味であり、「蜘蛛」が娼婦を指すのは確かである。つまり監督は、被害者である娼婦たちに聖性を与えている。

『アプレンティス:ドナルド・トランプの創り方』感想

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つぐない

 2007年公開。ジョー・ライト監督作を観るのは、『プライドと偏見』(2005)、『PAN』(2015)、『ウィンストン・チャーチル』(2017)と来て4作目。
 観たのは去年だが感想が巧くまとめられず、そのまま放置していたのを全面書き直し。再鑑賞はしていない。

 とりあえず、あらすじ(途中まで)。英国郊外のお屋敷に住む13歳の少女ブライオニーは、姉セシーリアと身分違いの恋人ロビーの情事を見てしまい、姉が暴行されていたと思い込む。その夜、姉妹のいとこで屋敷に滞在していたローラが何者かに強姦される事件が起きる。逃げる男の後姿を目撃したブライオニーは、ロビーだと確信し告発する。ロビーは逮捕され、刑務所へ送られる。
 戦争が始まり、ロビーは出征し、文字どおり地獄を体験する。ブライオニーは家を出て、後送されてくる傷病兵を看護する。回想で、ブライオニーがロビーに仄かな恋心を抱いていたことが示唆される。
 ブライオニーはローラが結婚すると知る。相手は姉妹の兄の友人ポールで、事件の夜は彼も屋敷にいた。結婚式に出席したブライオニーは、新郎新婦の様子から、あの「事件」は強姦ではなく合意のものだったと気づく(合意というか、当時15歳のローラを強引に言い包めたのであろう)。醜聞を避けたかったポールがブライオニーの誤解を利用し、ローラと示し合わせて(再び言い包めて)、ロビーが冤罪に陥るままにしたのだ。

 セシーリアはキーラ・ナイトレイ、ロビーはジェームズ・マカヴォイ。少女時代のブライオニーを演じたシアーシャ・ローナンが素晴らしい。無垢で潔癖な少女ゆえの残酷さと愚かさを余すところなく表現しきったのは、演技力ももちろんなんだが、妖精の如き容姿の説得力も大きい。
 それに比べるとなー……成長したブライオニー役のロモーラ・ガライはちょっとガタイがよすぎてなー、顔もいかついし……
ちなみに、少ない出番ながら余すところなくクズっぷりを披露するポールを演じるのは、ベネディクト・カンバーバッチ。

 あらすじ続き。以下、がっつりネタバレしてるので御注意。

 ロビーは生還し、セシーリアと一緒に暮らしている。ブライオニーは彼らを訪ね、ロビーに謝罪するが赦してもらえない。
 時間が飛び、現在。老いた小説家ブライオニーはインタビューを受け、死期が近いことと、最新作『つぐない』は自らの体験に基づくが、ロビーとセシーリアは二度と再会することも真実を知ることもなく、戦時中に死んだことを告白する。二人の幸せな再会を書いたのは、彼らに対する償いだった、と。

 いや、償いになるわけねえだろ。

 私が中篇「物語の川々は大海に注ぐ」(『SFマガジン』2024年6月号掲載)で『カリーラとディムナ』の翻訳者イブン・ムカッファを、短篇「地下水路(カレーズ)」(『ナイトランド・クォータリー』vol.42掲載)でサーサーン朝最後の皇帝の孫ナルセフを主人公としたのは、千数百年前に悲劇的な死を遂げた彼らを、フィクションの中だけでも蘇らせたかったからである。だから彼らが「視た」ものが、ただの幻ではない可能性を否定しない。
 小説としてかたちにしただけでは、彼らは蘇ったことにはならない。多くの人に読んでもらうことによって、初めて彼らは「生きる」ことになる。だから発表した。もちろんそれで彼らが浮かばれる、などとは思っていない。ただの自己満足だ。とはいえ、誰を傷つけるわけでもない。

 しかしそれと、自分が不幸にした二人(しかもロビーは死に至っている。さすがにセシーリアの死までブライオニーの罪だとは言わんが)が幸せになる創作をするのとは、全然違う話だ。自己満足どころか、事実を歪曲して自分の罪が償われたことにした挙句に、それを償いと称するとは、面の皮が厚いにもほどがある。なんでこんな話が感動作扱いされてるんだ?
 という根本的な歪みを別にしても、ブライオニーが看護師として働く場面が長すぎて、妙にバランスが悪い。映像は素晴らしいんだが、なんかチグハグな映画でした。
 原作(イアン・マキューアン『贖罪』)でもブライオニーの行為が「つぐない」として扱われているのか、映画の構成のバランスの悪さはどうなっているのか、気にはならないこともないけど、原作を読んで確認するほどの熱意はないので、そのままになっている。

『プライドと偏見』感想
『PAN ネバーランド、夢のはじまり』感想

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「地下水路(カレーズ)」余談

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