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聖地には蜘蛛が巣を張る

 2022年公開。一応ネタバレ注意。
 2001年にイランの聖地マシュハドで16人の娼婦を殺して逮捕された、通称「蜘蛛殺し」の事件に基づく。監督は『アプレンティス』(2024)のアリ・アッバシ。イラン出身だが、デンマークの映画学校に留学して以来、同地を拠点に活動してきた。イランを舞台にする作品はこれが初めてで、事前にイラン当局に許可を申請したのだが、いつまで経っても返答が得られないため、トルコ等の他国で撮影せざるを得なくなった、という経緯がある。

 主人公のラヒミは架空の人物だが、「蜘蛛殺し」逮捕後に本人にインタビューを行った女性ジャーナリストをモデルにしている。当初は若い駆け出し記者という設定にする予定だったが、キャスティングされた若い女優が撮影直前に、「ショートカットにしたくない」「こんな役をやることを親が心配している」とゴネだしたので、急遽、キャスティング・ディレクターとして参加していたザーラ・アミール・エブラヒミが代わりを務めることとなった。
 エブラヒミは81年生まれで当時40歳、イランの人気女優だったが、06年にリベンジポルノの被害者となり、女優生命を絶たれたため、フランスに移住せざるを得なくなった経歴を持つ。アッバシ監督はラヒミの設定を変え、セクハラ被害に遭ったのに会社を辞めさせられた過去を与えた。

「オリエント」(非西洋)の芸術作品を大絶賛する欧米のインテリには、その作品そのものの評価とは別の思惑がある場合が多く、それはだいたい2種類に大別できる。①「違いがわかる自分(たち)」に酔いたい、②作者の出身国を殴る道具にしたい(その国を舞台にしていなくても)。だからどちらの作品にも、技術的に稚拙な作品が少なくない(そしてその稚拙さが「独創的」だと褒め称えられる)。①には日本の作品も多いから、他人事ではない。
 その点、アッバシ監督はデンマークで映画を学び、製作してきたので、重い題材を扱いつつ、ちゃんとエンタメとして魅せる。カンヌ国際映画祭パルムドールノミネート、女優賞受賞、その他多くの映画賞でノミネート、という欧米人からの評価も、作品そのものへの評価として相応しい。が、政治的利用も多分に含んでいるだろうね。案の定、イランは怒り狂ってるし。

 そんな不純な思惑とは切り離して観てほしい、純粋に素晴らしい映画である。ラヒミというキャラクターと演じたエブラヒミばかりが賞賛されているが(もちろん政治的意図を抜きに彼女は賞賛されるべきだが)、犯人のサイードのキャラクター造形と演じたメフディ・バジェスタニも、もっと注目されるべきである。サイードはミソジニーのクソ野郎だが、単なるクソ野郎ではなく、イラン・イラク戦争の惨禍を生き延びて「しまい」、サバイバーズ・ギルドを抱えて生きてきた帰還兵でもあるという複雑な人物で、バジェスタニはそれを見事に表現している。監督もエブラヒミもイランが拠点ではないが、バジェスタニはイランの俳優だから、リスクはずっと大きいにもかかわらず。
 ペルシア語には、日本語の「(名前)ちゃん」とほぼ同じ意味、使い方の「(名前)ジャン」という語がある。作中、サイードは妻のフェレシュテを何度も「フェレシュテ・ジャン」と呼んでいる(名前を呼ぶたびにチェックしたわけじゃないが)。家父長制と男尊女卑がデフォルトとはいえ、妻と子供たちを大事にしていた男として描かれている。

 しかし当局はサイードをこっそり逃がすことを約束していたのだが、ラヒミと男性記者が処刑の立ち会いを要求すると、騒がれると面倒だと思ったのか、あっさりと受託し、サイードを本当に処刑してしまう。この雑さはどの程度事実に基づいているんだろうか。共犯意識を醸し出してほくそ笑み合っていた看守たちの仕打ちが信じられず、首に掛かった縄が締まり始めてようやく絶望に転じるサイードの反応が生々しい。
 ともあれシリアルキラーが逮捕されてお終い、ではなく、逮捕後の世間や家族、被害者の遺族の反応を、尺の4分の1ほどを使って丁寧に描写する。結末で、ラヒミは来た時と同じように夜行バスに乗って聖地マシュハドを去るのだが、バスの中で、自らが行ったサイードの息子へのインタビューの動画を見返す。

https://thecinemaholic.com/where-are-saeed-azimis-wife-and-kids-now/

 この記事によると、作中のこのインタビューは実際に当時行われたインタビューを基にしているそうで、その時、彼は14歳だったという。誇らしげに微笑みながらの「もし父さんが殺されても、誰かが引き継ぐ」「10人か20人に、父さんの行動を続けないかと尋ねられた。『待っててよ』と答えた」等々の発言は、映画で忠実に再現されている。
 映画ではそこから、父親から聞いた「娼婦の殺し方」を幼い妹を使って演じてみせるという、最高におぞましい場面へと続く。上記の記事では一切触れていないので、十中八九創作であろう。もちろん実在のインタビューだったら、おぞましいどころではないので幸いではあるが、じゃあ逆に何食ったらこんなの思い付くんだ。演じた子役もすげえ。
 なお上の記事によると2023年8月現在、サイードの家族は消息不明だそうだ(まあ、あんまり熱心に調査した感じではないけど)。

 邦題だとあたかも「蜘蛛」は殺人鬼(サイード)を指すかのようだが、彼が「蜘蛛殺し」と呼ばれていることから明らかなように、「蜘蛛」は娼婦たちのことである。ただし作中で娼婦が「蜘蛛」と呼ばれることはなく、「蜘蛛殺し」と呼ばれた理由の説明はない。日本語でも英語でもググってみたけど解らんかった。ペルシア語のスラングでは「蜘蛛」(アンカノート)が娼婦を指すのかもしらんが、確認できなかった。
 ともかく本作の英題はholy spiderで、ペルシア語タイトルも同じ意味であり、「蜘蛛」が娼婦を指すのは確かである。つまり監督は、被害者である娼婦たちに聖性を与えている。

『アプレンティス:ドナルド・トランプの創り方』感想

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