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イスマイール一世は本当に「邪悪なほどに」美しかったのか? 其の一

 新作短篇「地下水路(カレーズ)」(『ナイトランド・クォータリー』vol.42「アンダーグラウンドの相貌」掲載)に、主人公が視る幻として「髑髏杯を持つ美少年王」が登場します。彼の「正体」はサファヴィー朝開祖イスマイール一世(1487ー1524)であり、今回はそのイスマイール一世についての余談です。「地下水路」とはもはや無関係なんで、カテゴリーは別で。

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「「地下水路(カレーズ)」解説」カテゴリ全体 解説其の一 其の八(イスマイール一世について) 

 鈴木董『オスマン帝国 イスラム世界の「柔らかい専制」』(講談社現代新書)では、サファヴィー朝の成立からイスマイール一世がペルシアを征服しシーア(派)を国教に定めるまでを、わずか1頁で説明していますが、その説明の小見出しが「邪悪なほどの美少年」で、本文でもイスマイール一世について「彼を実見した西欧人が、「余りにも美しく、邪悪なものを感じさせるほどだ」と感嘆したこの美少年は、同時に苛烈な君主でもあった。」と描写しています。
 私が同書を読んだのは00年代の後半(正確な時期は忘れた)、ほどなくして羽田正「サファヴィー朝の時代」( 中央公論社『成熟のイスラーム社会』所収) で 黄金髑髏杯だの自称神だっただの(イスラム圏での話である。普通なら最悪の瀆神行為として処刑される。敵からの誹謗中傷とかではなく、ペルシア側の文献に残る本人作の詩)といったヤバいエピソードを知り、かなり強烈に印象付けられました。

 短篇「ガーヤト・アルハキーム」(『ナイトランド・クォータリー』vol.18掲載)の主人公イスマイールの「エキセントリックで邪悪なほどに美しい」というキャラクター造形は、このイスマイール一世からです。偶々名前が同じというだけでなく、イスマイール一世の主張に従えば、彼らは血の繋がりがあるということになりますし(直系ではないけど)。
 で、「地下水路(カレーズ)」でイスマイール一世本人登場となったわけですが、やはり「邪悪なほどに美しい」造形にしています。

 ただ、ずっと気になってたんですが、「邪悪なほどに」という形容が、上記『オスマン帝国』以外の資料で見当たらないんですよね。まあイスマイール一世に関する資料は、上に挙げたもののほかに数点、それも日本語のみで書籍所収の論考や雑誌論文だけしか読んでないんですが。
 というわけで、「地下水路」の解説を書くついでに、いい機会だからと調べてみました。 

 まずはイスマイール一世の肖像画(画像はWikipediaより)。
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 フィレンツェの画家クリストファーノ・デル・アルティッシモCristofano dell’Altissimo(1525-1605)によって、1552年から89年までのいつかに描かれたものです。イスマイール一世の没年は1524年なので、当然ながら本人を見たことはありませんが、そもそもこの作品は1551年以前のいつかに逸名画家が描いた肖像画を基にしたものです。後ほど説明しますが、この逸名画家がイスマイール一世本人を見たことがある可能性も、皆無ではないものの、まあ低い。
 ではそのオリジナルもまったくの想像で描かれたかというと、そうではないようで、イスマイール一世を実見した西洋人旅行者たちの報告が、明らかに参照されています。

 私が見つけられたのは2点だけで、どちらも英訳がこちらに所収されています。A narrative of Italian travels in Persia, in the fifteenth and sixteen centurieshttps://archive.org/details/narrativeofitali00greyrich/page/n3/mode/2up
『15-16世紀イタリア人のペルシア旅行記集』ってとこですかね。翻訳者はチャールズ・グレイCharles Greyという人で1875年刊行ですが、別段読みにくいということもありませんでした。
 
収録されている4点の旅行記のうち、当該2点はヴェネツィア出身の旅行家・著述家ジョヴァンニ・マリア・アンジョレッロGiovanni Maria Angiolello(1525頃没)のA SHORT NARRATIVE OF THE LIFE AND ACTS OF THE KING USSUN CASSANO「ウズン・ハサン王の生涯と活動の短い物語」と逸名のイタリア人著者によるTHE TRAVELS OF A MERCHANT IN PERSIA「ある商人のペルシア旅行」です。白羊朝スルタン、ウズン・ハサン(在位1453-78)の「ハサン」は当時のイタリア語表記だと「カッサーノCASSANO」になるんだそうです。ええ~。

 アンジョレッロがペルシアに行ったのは1482年頃と1499-1515だそうで、ウズン・ハサンの伝記と銘打ってますが、それは全65頁中25頁までで、残りはイスマイール一世の伝記であり、旅行記の要素は少ない。
 なお目次にはアンジョレッロの著作は載ってなくて、代わりにDiscouse of Messer Giovan Battista Ramusio「ジョヴァン・バッティスタ・ラムジオ殿の論文」がありますが、ジョヴァン(ジョヴァンニ)・バッティスタ・ラムジオ(1485ー1557)は数多くの旅行記を収集・編集・出版した人で、アンジョレッロのこの作品もラムジオの旅行記集に収録されていたそうです。で、目次にはラムジオの論文しか載っていませんが、実際にはわずか4頁だけで、そこからアンジョレッロの旅行記というか伝記というかがが始まっています。論文の内容もアンジョレッロの作品とほぼ関係ないし、なんでこんな構成なのか解らん。
 まあとにかく、アンジョレッロがイスマイール一世の容姿に言及しているのは111頁で、それによると「色白で美男で、とても魅力的」「あまり背は高くない」「華奢というよりは恰幅がよく、肩幅が広い」「髪は赤く、口髭を蓄えている」だそうです。

 無名商人のほうは、1511年から1520年にかけてダマスクスからペルシアまでを旅したそうで、202頁で「現在31歳くらい」のイスマイール一世について(1487年生まれなので1518年頃)、「高潔な顔立ちのたいへんな美男で、中背くらい」「色白で恰幅がよく、肩幅が広い」「口髭以外は剃っている」「少女のように愛想がいい」と述べています。

 両者とも、イスマイール一世は左利きで弓の名手だと評しています。
 ちなみに当時のイタリア人はイスマイール一世をSufiあるいはSophi(Sophy)と呼んでいました。Sufiはスーフィー(イスラム神秘主義者)のことで、イスマイール一世はイスラム神秘主義教団であるサファヴィー教団の教主でもありましたから、まあムスリムの間でもスーフィーと呼ばれていたのでしょう。
 ソフィSophiのほうはスーフィーの転訛のようにも思えますが、同一著作の中でSufiと呼ばれたりSophiと呼ばれたりしているので、別個の呼称ですね。「サファヴィーSafavi」の転訛ではないか、という説が有力だそうです。

 ほかにイスマイール一世の容姿について述べた同時代西洋人の報告は、伝聞によるものを1点見つけただけです。論文The Myth of Shah Ismail Safavi「シャー・イスマイール・サファヴィーの神話」(グーグルスカラーhttps://scholar.google.com/?hl=jaで検索すれば、PDFがダウンロードできます) によると、1507年にZuan Moresini(ZuanはGiovanniの変形で、「ツアン」と発音するらしい)という人物(エージェント?)がダマスカスからヴェネツィアに送った報告書に、イスマイール一世は「美男で、髭がなく若い」と聞いた、とあるそうです。

 というわけで美男だったという同時代資料は見つけられましたが、西洋人の誰が、いつ、どんな状況で「邪悪なほどに」美しいと形容したのかは、依然不明です。
 片手間の調査ではこれが限界で、後はほかの誰かが見つけてくれるか、鈴木董氏御自身が情報開示してくださるのを期待するしかありません。しかしせめて推測の手掛かりは得られないか、同時代の西洋人によるイスマイールの評価を検討してみることにします。
 というわけで続くのでした。どうもすみません。

其の二

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