2026年公開。クリストファー・ノーランにはだいぶ見切りを付けかけていて、「でも『ダンケルク』はよかったから……!」との思いで本作の公開を待っていた。公開の2ヵ月くらい前だったか、「ヘレネは黒人」という情報を目にして、期待と危惧の割合がいっそう後者に傾く。実際に公開を迎えると、評判はたいそうよろしく、ヘレネも「出番はほとんどないから気にならない」とのことだったので、映画館まで足を運ぶ。
以下、ホメロスの原典を御存知の方にはネタバレになりませんが、御存知ない方にはネタバレになるかもしれないので、一応御注意。
たいへん素晴らしゅうございました。ノーラン作品における私が嫌悪する要素筆頭「無駄に複雑な構成で観客に負担を強いる」が一切なかった。それに、意外なほど原典に忠実。父の帰りを待つテレマコスと、カリュプソーの島に留め置かれているオデュッセウスの二つの視点で話が進み、過去の出来事はテレマコスが父を探しに出た先で聞く話と、オデュッセウスの回想とで明らかにされる、という構成は原典どおり。
現代的解釈は施されており、かつ複数の出来事や人物が一つに統合されてたり、省略もあったりするが、人物(および怪物)も出来事もおおむね原典どおり。こういう古典における主人公側の「英雄的行為」のうち、現代の価値観では悪行となるものは、なかったことにされたり、進んでやったのではないことにされたりしがちだが、本作ではそういう「悪い意味での現代的解釈」はせず、ちゃんと原典どおり積極的に略奪もする。
ただまあ、原典からして「冒険譚」ではなく苦難の物語なので、どの島でもひどい目に遭って逃げ出すのだが、なぜ原典では普通に出て来られた冥界からも命からがら逃げ出すことにしたんだか。
この意図不明な天丼によって中盤はやや単調であるものの、前半はトロイア攻略やキュクロプスとの遭遇は緊迫感たっぷりだし、後半もオデュッセウスの帰還から、ペネロペーへの求婚者たち相手の無双と一気呵成に進む(無双といっても一対数十だから、追い込まれたりもして手に汗握る)。三時間弱が長くない。
……で、公開前の懸念材料の一つだった「黒人のヘレネ」はどうだったかというと、彼女だけじゃなく、メインキャラクター以外では黒人や東アジア系のキャストがチラホラいるんだよね。なんでやねんと思って観ていると明らかになっていくのだが、本作はあくまで神話世界が舞台だとはいえ、史実でギリシアがトロイアと衝突を繰り返していた時代を踏まえている。
すなわち「ギリシア世界」の中心であるペロポネソス半島に栄えたが、前1200年頃滅亡したミュケナイ文明の時代である。作中では「海の民」の襲来が繰り返し噂されるが、これはミュケナイ文明および多くの地中海沿岸国家が滅んだ原因(少なくとものその一つ)とされる謎の集団である。
とはいえ、衣装やら小物やらに、実際に発掘されているミュケナイ文明の遺物の意匠が取り入れられている様子は特にない。古典期(前5~前4世紀)のギリシアっぽさ、帝政ローマっぽさ、どこのものともつかないイメージがごった煮になった「ファンタジー古代」である。
それでも武具はすべて青銅製という設定で、物語の終盤にはペネロペーによる「私たちの青銅器時代が終わる」というメタな台詞まである。
この台詞を引き出したのはオデュッセウスである。彼は言う、客人は必ず歓待しなければならないという「ゼウスの掟」を悪用して傍若無人に振る舞う求婚者たちと、「神への捧げもの」と偽って木馬をトロイアの城壁内に運び込ませた自分たちは、等しく秩序の破壊者である。我々こそが「海の民」なのだ、と。
オデュッセウスは、失われていく古き世界を「交易で結ばれた平和な世界」と定義する。本作におけるトロイア戦争は、交易路の独占を望むアガメムノンが、弟の妻が奪われたのを口実に仕掛けたものである。
実際のところ、ミュケナイ文明時代のペロポネソス半島に、地中海で繋がった北アフリカの黒人が来ていた可能性は充分高い。が、東アジア人が来ていた可能性は絶対にない。失われようとしている「黄金時代」の表象が、「多民族共生」なのであろう。知らんけど。
東アジア人は措くにしても、本作のメインキャラクターを演じたマット・デイモン、アン・ハサウェイ、トム・ホランドは三人ともゲルマン系(アングロサクソンを含む)のルーツを持つが、ミュケナイ文明時代、ゲルマン系は遙か彼方の北欧にいた。当時のペロポネソス半島にゲルマン系が来ていた可能性は、北アフリカの黒人よりも遙かに低い。
ちなみに『トロイ』(2004)のブラッド・ピット、エリック・バナ、ダイアン・クルーガーもゲルマン系にルーツがある(オーランド・ブルームは母方がアイルランド系、つまりケルト系だってことしか判らんが、アングロサクソン系の先祖はいるだろう。なお、ケルト系はミュケナイ文明時代、中欧にいた)。
本作は神の血を引く人間(キルケーやヘレネ)、怪物、下位の神(カリュプソー)は登場するが、ゼウスをはじめとする上位の神々は登場しない。例外的にアテネは登場するが、彼女はオデュッセウスにしか見えないことが明示されている。
アテネ役のゼンデイヤは華やかな美人だが、本作ではメイクや衣装のせいか「地味な小娘」にしか見えない。神話のアテネは「身をやつす」ことが多いとはいえ……と思ってたら、終盤、その「正体」が明かされる。あー、なるほどねー。
そもそも開幕、A TIME OF APPARENT MAGIC…というテロップが出る。apparentは「明白な」と「一見それらしい」という、ほぼ正反対な二つの意味がある。正確な字幕は忘れたが、後者の意味だった。つまり登場する怪物や魔女は、魔法のように見えてそうではなかった、ということだ。
それらの怪異は、オデュッセウスを待つテレマコスらのパートには登場しない。メネラオスがテレマコスに語り聞かせるトロイア攻略にも、魔法の要素はない。オデュッセウスが帰還してからもだ。ロートスという一種の麻薬によって記憶を失っていた彼が、徐々に記憶を取り戻す過程でカリュプソーに語る物語の中にしか登場しない。
なお、この「ロートス」は原典では謎の植物の実だが、英語に入って「蓮」を指すようになった。本作では解りやすさのためか、蓮の実ではなく花になってるのが御愛嬌。しかも青い斑入りの白い花弁で、それをオデュッセウスが貪るように食べるのがシュールだった。
まあとにかく、記憶喪失にさせる薬の影響が抜け切っていない状態だったのだから、記憶が相当歪んでいた可能性は高い。20年も帰国できなかった「本当の理由」は、後に彼自身がペネロペーに語ったように、トロイアに滅亡をもたらしてしまったPTSDだった「かもしれない」。
(ノーラン自身は「明白な」のつもりだった、ということはまずないだろうが、ダブルミーニングのつもりだった可能性はあるな。だとしても、「オデュッセウスが遭遇した怪異はすべて彼の妄想だった」解釈が可能なのは変わらんが)
このように「現実的」な解釈が可能だし、「後期青銅器時代の崩壊」という史実を踏まえているし、ちゃんと青銅器使ってるし、でも一方で、諸々の意匠はファンタジー古代だし、非現実的な「多民族共生」だし、しかも何百年も後に成立した「原典」に忠実に、ミュケナイ文明時代には存在しなかったスパルタが存在するし、ヒッタイト文化圏のはずのトロイアではオデュッセウスらと同じ言語が話されていてアテネ神殿があるし、そこで祀られているのはギリシアのアルカイック期と古典期の中間のような様式のアテネ像だし……と、異なる世界観が何層にも重なっている世界なのでややこしい。でもまあ破綻はしておらず、その重なりがそのまま全体の世界観の厚みと奥行きとなっている。どこまでが計算なのかは知らんけど。
最後に、ヘレネ役のルピタ・ニョンゴについてだが、「古代ギリシアの黒人王妃はあり得るか」という問題も「個々人の好み」という問題も措いて、美人なのは異論のないところであろう。が、「絶世の」という形容がつくほどではないこともまた、異論のないところであろう。
そんな彼女を、作中の現在において、トロイア陥落の際に負ったと思われる「スカーフェイス」としたのは、なかなか興味深い試みだ。ヘレネの双子の姉妹クリュタイムネストラをニョンゴの二役にしたのも、その一環だろう。
彼女たちの母親は白鳥に化けたゼウスとの交わりによって卵を産んだとされるが、姉妹が同じ卵から産まれたのか別々の卵からなのかは神話によって異なる。いずれにせよ、「絶世の美女」はヘレネだけである。傷無しヴァージョンのニョンゴに「ヘレネほどは美しくない」クリュタイムネストラを演じさせることで、ヘレネは「傷が無ければ、クリュタイムネストラよりずっと美しいはず」という想像の余地が生まれるのだ。知らんけど。
『インソムニア』
『ダークナイト』
『インプション』
『ダンケルク』
『オッペンハイマー』
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