アルゼンチンの作家M・エンリケスの『秘儀』(宮崎真紀・訳 新潮社)を読んだ。ジャンルとしてはホラーとかダーク・ファンタジーになるんかな。
訳者解説にもあるようにスティーヴン・キングからの多大な影響が感じられるが、キングが「恐怖」を歴史的な因縁と絡めることが少ない(不得手というより、そもそも歴史にあまり関心がないように思われる)のに対し、本作はアルゼンチンの先住民の文化・信仰とヨーロッパからの移民が持ち込んだ文化・信仰の融合に、軍事政権による独裁と民政移管という現代史を絡めた、重厚な(上下二分冊)「闇の歴史」の物語であり、少なくとも「歴史の扱い」に関しては、こっちのほうが好み。
で、作品そのものの話からは外れるが、本作でしばしば言及されるのが、アルゼンチンの民衆(フォーク)カトリシズムだ。本当に「言及」程度で、頻度の割に説明はほとんどなく、物語のバックグラウンドというか彩り程度の役割である。まあアルゼンチンで現在に至るまで実際に信仰し続けられているものであり、軽々しくネタにはできないのだろうが、それでも充分に興味深いものだった。
中南米の民衆カトリシズムについては、『グアルディア』(2004)の時にだいぶ、『ラ・イストリア』(2007)と『伊藤計劃トリビュート』(2015)所収の「にんげんのくに」の時にもそこそこ調べたんだが、いわゆる民衆聖人(folk saint)、つまり教皇庁で列聖されていない聖人については、日本語文献をほとんど見つけられなかった(中南米に限らず、調べたいことに対して日本語文献があまりにも少ないため、嫌々ながら苦手な英文にも手を出すのは、もっと後になってからである)。
『秘儀』では、幾人かの民衆聖人の名も挙げられる。上述のとおり、ほとんど説明はないが。一番回数が多いのがサン・ラ・ムエルテ(San La Muerte)で、sanは英語のSaint、la muerteはthe death。Wiki英語版に記事がある。https://en.wikipedia.org/wiki/San_La_Muerte
アルゼンチン北東部のコリエンテス州(『秘儀』の主な舞台)からブラジル、パラグアイに至る広い地域で信仰されており、大鎌を持った骸骨の姿で表される。聖人と言っても、特定の「人」(実在にせよ伝説上にせよ)が崇敬を受けるようになったのではなく起源不明で、上記Wikiによれば18世紀後半にはすでに先住民の間で信仰が広まっていたという。聖人というのはたいがい御利益の「守備範囲」が決まっているが、そういうものもなさそうで、幅広く願いを叶えてくれるようだ。
上巻p.112では、2名の民衆聖人が言及されている。上巻の主人公フアンは1981年、6歳の息子とコリエンテス州を車で移動中、小さな祠を見かける。祀られているのは聖ガウチートかと思うが、すぐに違うと気づく。
聖ガウチートは、まず間違いなくSan Gauchito Gilのことだろう。こちらも英語Wikiに記事がある。https://en.wikipedia.org/wiki/Gauchito_Gil
19世紀後半、奇跡を起こしたというコリエンテス出身の伝説的な(つまり実在が確認されていない)ガウチョ、Antonio Mamerto Gil Núñez(アントニオ・マメルト・ヒル・ヌニェス)がガウチョの守護者とされたもので(「ガウチート」は「ガウチョ」の愛称形)、どんな奇跡を起こしたのかは諸説ある。「守備範囲」が狭そうな割には、ボリビア、チリ、パラグアイ、ウルグアイ、さらにはスペインにまで信仰が広まっているそうな。
まあ聖ガウチートはこのp.112で名前を挙げられているだけだ。フアンがこの聖人と見間違えたのは、聖グエシートである。フアンは幼い息子に説明する。グエシートは10歳くらいで「酔っぱらい連中に殺された」「貧しいストリートチルドレンだったんだ。いや、本当のことを言えば、住んでいたのはストリートではなく、高速道路に近い、このあたりのジャングルだ」
そして内心で、独白する。本当のことは、とても息子には言えない。「やつらはグエシートを殺すまえにレイプしたのだ。犯人は何人だったか? はっきりとは覚えていないが、五人と聞いたこともあれば、十人と言っていた者もいた。体は切り刻まれ、頭部は儀式に使われた。失血死した子供の首なし死体が高速道路の路肩で発見されたのは、二十年以上前のことだ。グエシートはゴヤの墓地に埋葬され、その墓は、少年が生きているうちには見たことさえなかったようなおもちゃであふれた」(ゴヤはコリエンテスの地名)
この「縁起」に私は驚いた。何か奇跡を起こしたとか徳が高かったとかではない、ただただ「陰惨な暴力の無力な被害者」以外の何ものでもない子供が聖人として祀られることがあるのか、という疑問を抱いたのだが、疑問を抱いただけでなく驚いた理由は後述する。
いやー苦労しました。何しろスペイン語は『グアルディア』と『ラ・イストリア』の時に初歩を勉強したきりで、辞書等なしだと内容がうっすら解る程度、自動翻訳の日本語は気持ち悪いから嫌い。まず聖グエシート、スペイン語表記はSan Güesitoだと当たりを付ける(gueだと読みが「ゲ」になる)。"San Güesito"でググっても、『秘儀』のスペイン語レビューばっかり出てくる。
いや、でも少なくともモデルはいるんじゃないか、とまあ勘というか期待というかからググってググって、見つけました、ペドリート・サンウェソPedrito SanhusoもしくはサングエソSangüeso。1963年に6歳で殺され、聖人として祀られるようになったアルゼンチン北東部サルタ州の少年です。
姓がどちらかはっきりしない理由は見つけられませんでしたが、1956-63年のアルゼンチン社会は安定していたとは言い難い上に、母親はアンデス高原の貧しい羊飼いでおそらく文盲、ペドリートの父親とは結婚していなかったので……
聖人名はSan Huesito(サン・ウェシート)もしくはSan Guesito(サン・ゲシート)で、前者のほうが一般的です。後者がSan Güesito(サン・グエシート)でない理由は解りません。「生前」の名前を併記している場合でも、ペドリート・サングエソPedrito Sangüesoと、ちゃんとüと表記しているのに聖人名のほうはなぜかuにしている。
いずれにせよ聖人名の由来の解説も見つけられませんでしたが、ペドリートという名前は上記のガウチョ→ガウチートと同じくペドロPedroの愛称形で、スペイン語圏ではものすごくありふれているのと、姓に偶々「聖」Sanの語がついてたんで、huesoもしくはgüesoを愛称形にしたのではないかと。
ペドリート本人については、このニュースサイトの記事を参照しました。https://www.clarin.com/ultimo-momento/pedrito-sanhueso-chico-asesinado-hace-44-anos-venerado-estudiantes-saltenos_0_HyollKgyAKx.html
ちゃんと辞書使って読みましたよ。基礎的な文法や単語は思いのほか憶えてた、というか読んでるうちに思い出したので、そんなにひどい誤読はしてないとは思いますが、ある程度以上スペイン語が読める方(大学の第二外国語でスペイン語選択だったら、私よりはよっぽど読めるはずです)は、気になるようでしたら直接御確認ください。
それによると、1956年6月26日、サルタ州の貧しい羊飼いアンヘラ・サンウェソは、自宅である泥づくりの小屋で13歳の長男デメトリオの手助けで双子の男の子を産んだ。同月29日が聖ペドロと聖パブロの日だったのでペドロとパブロと名付けたが、パブロのほうはすぐに死んでしまった。
双子の父親はフリアン・バルボーサといい、サルタの警察署長か何かだったようです(アルゼンチンの、それも1950年代の警察制度についてスペイン語で調べるのは、私の手には余ります)。デメトリオの父親ではないようです(ほぼ確実に)。
バルボーサは出産時ですら母子を放っておいたのに、ペドリートが4歳になると、なぜかアンヘラから取り上げ、サルタの州都に住む「義理の姉」プリシマ・コーパに預けます。プリシマの息子パブロがペドリートの従兄だということですから、彼女はバルボーサの兄弟の妻なのでしょう(南米の女性は結婚後も自分の姓を残します)。プリシマの夫についての言及はありません。
2年後の63年5月19日、7歳の誕生日まで1ヵ月と少しだったペドリートは、当時20歳のパブロに殴られ、強姦される。失神したペドリートを殺してしまった思い込んだパブロは、幼い従弟を貯水槽に投げ捨てる。意識を取り戻した少年が叫び始めると、棒を使って水に沈め、溺死させた……
パブロと母親(証拠隠滅容疑)は逮捕されますが、3年後、証拠不十分で釈放されたそうです。彼らについての情報はそれだけです。殺されるまでの2年間、ペドリートが彼らにどんな扱いを受けていたのかは誰も知らないそうで、つまり取り調べ等の記録は残ってないし、彼らに取材した者もいないし、現在は消息不明、ってとこですかね。
この記事の記者は兄のデメトリオを探し出して取材したそうで、ペドリートの4歳までの情報はデメトリオから得たもののようです。ほかの家族のその後についても言及はありません。
2007年現在に至るまで、ペドリートの墓には参拝客が途切れないそうです。彼らが墓前に供えるのは、玩具のほかにテスト用紙、大学の卒業証明書などだそうで、この「学生の守護者」としてのペドリートの聖人化がいつから、どのように始まったのかとか、具体的な御利益のエピソード等、記事では一切触れられてないし、ほかでも見つけられませんでした。
サルタ州のカトリック教会は、ペドリートは聖人ではない、と公式に否定していますが、崇敬自体は禁止していません。民衆カトリシズムに対する、教会のごく一般的なスタンスですね。
さて、聖ウェシートもしくは聖ゲシートは、『秘儀』で言及される聖グエシートのモデルなのか? サン・ラ・ムエルテも聖ガウチートも実際に信仰されている民衆聖人で、せいぜい名前が挙げられるだけなのに、「聖グエシート」だけは実在したペドリートの聖人名とほぼ同じ聖人名の上に、ペドリートのそれを「盛った」ような来歴が事細かに語られる。
その割に他の(「実在」の)聖人と同じく、物語への関わりは一切ない。フアンは幼い息子がカルト教団の「犠牲」にされることを恐れているので、かつてカルト教団の犠牲となった「聖人」を出した、というだけでしょう。
実際、作者のエンリケスはインタビューで、サン・ラ・ムエルテと並べてサン・ウェシートの名前を挙げていますが、作品の背景的に使った、というようなことを言っているだけで、聖グエシートとの関係については一切言及していません。https://www.pagina12.com.ar/233663-mariana-enriquez-presenta-nuestra-parte-de-noche/
盛らなくてもペドリートの事件は充分すぎるほど陰惨なんですけどね。彼の最後の2年間がどんなものだったのか、想像もしたくない。
上述のとおり、聖グエシートSan Güesitoでググると『秘儀』のスペイン語レビューしか出て来ないんですが、その数は多いというほどではないが、少なくもない(なので1つくらいは私が見落としただけで、『秘儀』とは無関係なSan Güesitoもあるかもしれません)ので、たったこれだけの言及でも、読者に強い印象を与えたことが窺えます。
しかし、これらの読者のうち、サン・ウェシート/ペドリートに言及している人はほとんどいません。私が見つけられたのは1人だけでした。そもそも、サルタ州の住民以外にはほとんど知られていない御当地聖人なんじゃないでしょうかね。
……長々と論じてきましたが、実は聖グエシートと聖ウェシートとの関係はどうでもよくて、私が前者について、後者を発見してからは後者について半ば意地になって調べ続けたのは、「犯され殺された幼い犠牲者の聖人化」がアレハンドロ・ホドロフスキーの『サンタ・サングレ』(1989)を思い起こさせるからなのでした。
この映画を観たのはデビュー前の2000年代初頭で、中南米の民衆カトリシズムを含むシンクレティスモやメキシコ神話には、関心はあったがあまり知識はありませんでした。それで、何か奇跡を起こしたとか徳が高かったとかではない、ただただ「陰惨な暴力の無力な被害者」以外の何ものでもない少女が聖女として祀られることがあるのか、という疑問を抱きました。
『グアルディア』執筆の際にメキシコ神話の知識を仕込み、この殺された少女と主人公の母親が、アステカの太陽神ウィツィロポチトリの母神コアトリクエに擬せられている可能性に思い至ります。これに加えて上述のとおり民衆聖人についての知識は大して増えなかったことから、聖女「サンタ・サングレ」への信仰は、実際の中南米の民衆カトリシズムを反映していないのではないか、という疑いが強まったのでした。
だから『秘儀』の聖グエシートについての記述に驚いたわけです。
「サンタ・サングレ」信仰自体は本当に創作のようですが、ひょっとしたらホドロフスキーは聖ウェシート信仰を知っていたのかもしれませんね。チリ出身で(故郷を離れてすでに長かったとはいえ)、サルタ州はチリと国境を接してますし。いずれにせよ、「リアリティがない」とか思っててすみませんでした。
『サンタ・サングレ』感想