『ボスニア物語』 イヴォ・アンドリッチ 岡崎慶興・訳 恒文社 1972(1945)
Travnička hronika
同じ作者の小説を短期間で三冊以上読むと、飽きてまうのであった。たぶん、作者の癖(好みや考え方も含めて)が解ってきてしまうからであろう。おもしろいかおもしろくないか、というのは、あんまり関係ないようである(あんまりにもおもんなければ、そもそも三冊も読まないが)。作者自身が見えてきてしまうのが、嫌なのかもしれない。
だから、おもしろいと思った作者の本は、できるだけ時間を置いて読むことにしている。一冊目と二冊目の間でも二、三週間以上置きたいし、二冊目と三冊目の間は少なくとも半年は置きたい。
しかしアンドリッチ作品は、資料として読んでる上に、存在を知るのが遅かったのである。そしてもうじき脱稿してしまうのである。だから二冊目から三冊目の間は約二ヵ月しか置けなかったのであった。
おもしろかった。原題は「トラヴニク年代記」の意。トラヴニクは、オスマン・トルコ領ボスニアのトルコ太守の駐在地だった町である。1806年、ナポレオンはこの地に初めてフランス領事館を置く。1814年、ナポレオンの失脚によって領事館が閉鎖されるまでの、この町のできごとが描かれる。
全28章(+プロローグ・エピローグ)から成るこの作品は、一応、フランス領事ダビーユが中心となっているが、28のエピソードから成る連作といったほうがいいかもしれない。
『ドリナの橋』は、国境の川に架かる橋の、建設から破壊までの300年以上にわたる歴史を描いた、より年代記的な作品である。これも構成としては小さなエピソードの集成だったが、橋の建設の数年間(十数年間だったかもしれん)と破壊の前の数十年間に多く紙幅を割き、その間の200年以上がかなりはしょられていて、ややバランスが悪く感じられた。
一方、『ボスニア物語』は、いずれも短い各章(長くても30頁弱)で語られるエピソードの比重は、ほぼ完全に均一である。例えば第16章では、セルビアで反乱が起き、トラヴニクでもムスリムたちがセルビア人を捕らえて処刑し始める。オーストリア領事館に務める医師がこれを制止しようとし、暴徒と化した人々は彼をも殺そうとする。激昂した医師は、「おまえたちより私のほうが遥かに正しい回教徒だ」と宣言する。
キリスト教徒で、しかもオーストリア領事館の医師の「改宗」に驚嘆した人々は、彼を恭しく家に送り返し、処刑も取りやめになる。町中、このニュースに持ち切りになるが、その夜のうちに医師は謎の死を遂げてしまう。医師はムスリムとして葬られ、それと同時に町を覆っていた狂乱は沈静化し、急速に秩序が回復する。
私を含めた普通の作家だったら、こういうエピソードは非常に劇的に描いてしまうだろう。だがアンドリッチは非常に淡々と記述し、しかも他のエピソードとまったく同じ比重で扱っているのである。このエピソードや、あるいは1813年に新しく赴任したトルコの太守が、とてつもない残忍さを発揮して人々を虐殺するエピソードが、床屋見習いのムスリムの少年がオーストリア領事の娘に仄かな恋心を抱くといったエピソードと完全に同等に並べられているのだ。
『呪われた中庭』と『ドリナの橋』はいずれもボスニアを内部から描いた作品である。ボスニアの人々は宗教や民族がなんであろうと、「彼ら」として描かれることはない(『呪われた中庭』所収の最初期の短編はその辺不徹底だが)。アンドリッチ自身は代々カトリックの家系だそうだが、特定の民族や信者だけが「我ら」とされることはない。
また余所者であっても、ボスニアに住みついてしまえばもはや「彼ら」ではない。余所から来て立ち寄っただけの人々は、東洋人であろうと西洋人であろうと「彼ら」として扱われるが、あまり比重を置かれていない。
それに対し『ボスニア物語』は、主にフランス領事やオーストリア領事の視点から描かれる。
「東洋」に赴いた欧米人が、その野蛮さを嫌悪したり、なんとか理解しようと苦闘したりする記録は無数にあり、そういう視点で描かれたフィクションもまた無数にある。『ボスニア物語』のフランス領事もオーストリア領事も実在の人物をモデルにしており、それもフランスおよびオーストリアの外務省に保管された資料の綿密な調査によって造形されている。
異邦人「彼ら」を創作し、「我々」の社会を眺めさせる、という風刺作品は初期のオリエンタリズム作品に少なくない。この場合、異邦人の造形は「高貴な野蛮人」にせよ「東洋の賢人」にせよ、「我々」の社会を風刺するという以上の役割はまったく持たず、考証もほぼ無視される。後代のオリエンタリズム作品に於ける「彼ら」のほうが、まだしも主体性があると言える。
『ボスニア物語』のフランス領事やオーストリア領事たちは、「我々」として「彼ら」ボスニアを眺める。しかし彼らはボスニアからすれば、立ち寄っただけでいずれ去っていく「彼ら」なのである。
つまり、「彼ら」(ヨーロッパ領事たち)に「我々」(ボスニア)の社会を眺めさせる、という構造なのだが、アンドリッチは別段ボスニアを風刺してはいない。むしろこの構造は倒立して、「我々」という高処から「彼ら」ボスニアを見下ろしているつもりのヨーロッパ領事を風刺しているとも言える。
いや実に、彼らがボスニアという「東洋」を理解しようと苦闘したり、理解不能なんだと嫌悪したりする様子は、まさにパロディなのである。
善良だが凡庸な人物として描かれるフランス領事ダビーユの「東洋」に対する反応は、パロディかと思えるほど典型的だが、それに対し、「新時代」の申し子である副領事デフォッセはボスニアを肯定的な目で眺め、理解しようとし、しかも易々とそれをやってのける。
そのためデフォッセは、ダビーユよりもずっとトラヴニクの住民たちから好かれるのだが、それでも彼の共感も理解も、あくまで上から見下ろしたものでしかない。
トラヴニクにはユダヤ人たちも住んでいる。彼らは15世紀にイベリア半島から逃げてきた人々であり、古いスペイン語やポルトガル語を使い続けている。彼らはキリスト教徒よりもさらに不安定な立場に置かれており、残虐な新任太守によって搾り上げられるだけ搾り上げられる。
フランス領事館が閉鎖されることになると、その頃にはトラヴニクの人々も領事ダビーユにそれなりの親しみを感じており、特にユダヤ人は自分たちを公平に扱ってくれたことに感謝していたので、ダビーユに帰りの旅費を工面しようと申し出る。すでに領事の給料は打ち切られてしまっていたのである。
ダビーユは感激し、喜びのあまり冗談で、「太守にあれだけ絞り取られたのに、よく金が残っていましたね」と言う。ユダヤ人は、「私たちは常に金を隠し持っているのです」と答える。ダビーユはおもしろい冗談だと思っていっそう喜ぶ。ユダヤ人が「そうしなければ、私たちは生きてこられなかったのです」と説明しても、まったく通じない。
この痛ましいほどの彼我の断絶のエピソードを最後に置いて、『ボスニア物語』は終わる(プロローグで町の住民たちがヨーロッパ領事赴任の噂に、「本当に領事とやらが来たとしても、何も変わりはしないだろう」と結論し、エピローグで再び住民たちが「やっぱり何も変わらなかった」というのは、ちょっと紋切り型すぎるな……いいんだけど別に)。
昔の邦訳作品は往々にして、原語がなんであるかも、直接訳したのか或いは重訳なのかも記されていないが、1972年刊の本書も例に漏れず。訳者がユーゴスラビア日本大使館勤務の人だし、published by prosveta beogradとあるから、たぶん原語(クロアチア語?)からの訳なんだろう。しかしカタカナ表記の混乱ぶりからすると、英訳からの重訳か、少なくともかなり依拠してるんじゃないかとも思われる。
文化の坩堝の話なので、外国語(原語にとっての)を原語表記したものをさらに日本語(カタカナ)表記しているので、えらいことになっている。訳者の苦労は偲ばれるものの、表記法に脈絡がない上に、明らかな無知が多々見られる。
訳注付きで「ユレマ(回教徒の神学博士)」「ハリハ(回教国の王)」とあったが、現在よりイスラムについての一般知識が限定されてたとはいえ、「ウラマー(ウレマー)」「カリフ(より正確には「ハリーファ」だけど)」くらいは岩波とかの『世界の歴史』レベルの概説書ではすでに表記が確定してただろう。
上の二つは訳注付きだが、固有名詞や役職名等、明らかに訳者が解ってなくて、原語表記に適当にカタカナ表記を当てたと思われるものも少なくない。
ジャラール・ッディーン・ルーミーが「イエラレディン・ロウミイ」となってたのには、いったい何事かと思ったよ(当時でも、まったく知られてなかったということはないと思うんだが)。マルクス・アウレリウスが「マーカス・アウレリュース」とか……
「アレキサンダー大王」「オットマン・トルコ」等は、当時の「日本人に馴染みのある表記」にしたんじゃないかと思うんだが、正教が「オーソドックス」、プリニウスが「プリニイ」、サンクト・ペテルブルグが「セント・ピータースブルグ」になってるので、やっぱり英訳に拠ってるんじゃないかという気もする。
あるいは、同じ語でも表記が不統一だったりとか。「イエナ」だったり「ジェーナ」だったり、「モスコー」だったり「モスクワ」だったり、「正教」だったり「オーソドックス」だったり、カトリックの修道士たちの称号が「ブラザー」だったり「フラ」(「兄弟」の意)だったり。
誤字脱字が多いのは、古い本だから仕方ないんだろうな(「爪」が全部「瓜」になっとる)。
アンドリッチがうっかり再注目されるようなことがあっても(映画化とか?)、すでにある邦訳がそのまま復刊されるのがせいぜいで、新訳とか改訳って事態にはまずなるまい。だからこれらの混乱が訂正される機会は、永遠にないんだなあ……訳文自体は問題ないんだけどねー。