「物語の川々は大海に注ぐ」解説と余談 其の十五

其の一其の十四
掲載誌:『SFマガジン』2024年6月号

 全体的にネタバレ注意。 紀年は特記がない限りはADです。

 今回は、「預言」の定義を解説します。
 まあそもそも、日本語の「預言」と「予言」を区別している人が、どれだけいるかっていう話ですけどね。この漢字による区別はたいへん解りやすくて、「預かる」と「予め」。「神から預かった言葉」と「(なんらかの超常の力によって)予知した事柄を告げる言葉」。
「予言」を与える超常の存在は、どんなものでもあり得ますが、「預言」を与えるのは一神教の神に限定されます。言い換えると、一神教の神とは預言を与える存在です。神託とか託宣とか呼ばれることもある、多神教の神々が与える「お告げ」は、事の真偽だったり失せ物探しだったり、それこそ予言だったりしますが、預言は信仰の在り方や終末思想など、もっと大きな事柄に関する、ある程度一貫性のある内容ですね。

 ヘブライ語では「預言者」は「ナビー」(または「ナヴィー」)で、原義は「(神に)呼ばれた者」という意味らしい。「召命された者」ってとこでしょうか。「預言」は「預言者」の派生語なんで、預言そのものより、それを与えられた人間のほうが重要というわけです。
 で、ヘブライ語聖書(いわゆる「旧約聖書」)がギリシア語訳された時、この「ナビー」に当てられたのが「プロフェーテース」です。「プロ」が「予め」で、「フェーテース」が「語る者」。直訳すれば「予言者」ですね。ここでも「予言(預言)」自体ではなく、それを語る者が主体とされている。
 ギリシア語「プロフェーテース」がラテン語を経たのが、英語prophet。prophetが語るのがprophecy。「預言」と「予言(神以外の力によるものも含む)」の両方の意味がある。

 イスラムにおいては、「預言者」は「ナビー」です。派生語の少なさからして、元々はヘブライ語からの借用語でしょう。「預言」は「ビシャーラト」ですが、多神教時代以来の「お告げ」「吉兆」を意味する語でもある。「お告げ」を意味する語はほかに「カハーナト」があって、これは「予言」の意味もある。カハーナトをするのが「カーヒン」で、占い師のことですが、多神教時代には巫子/シャーマンのことだった。
 多神教時代のアラビア半島には「超常の存在から与えられた言葉を語る者」が二種類いて、それが詩人とカーヒンでした。この時代には神々と妖霊(ジン)の区別が曖昧だったので、両者は「マジュヌーン(妖霊憑き)」とも呼ばれた。ムハンマドは「唯一神アッラーから与えられた言葉を語る者」として「ナビー」を名乗りましたが、多神教徒のアラブたちは彼を詩人やカーヒンと区別しませんでした。クルアーンではナビーを詩人やカーヒンと混同することと、アッラーを他の神々や妖霊と同列に扱うことへの怒りが、繰り返し語られています。

 なお私の古典ヘブライ語、ギリシア語、ラテン語、アラビア語の知識は初歩の初歩です。ヘブライ文字、ギリシア文字、アラビア文字は一応読めますが(「個々の文字の識別ができ、音読も一応できる」という意味)、めんどくさいのでカタカナ表記にしてます。御容赦ください。

 まあとにかく、イスラム成立後はムハンマドが「最後の預言者」であることは絶対なので、預言者を名乗るのはもちろん、「アッラーの言葉を与えられた」と主張する者は、自動的に偽預言者で大罪人ということになります。
 一方で民間信仰レベルでは、占いなどによる予知は盛んでした。胡散臭いものと見做されがちだったものの、おおむね許容されていました。
 だからイスラムにおいては「預言」と「予言」の区別は大事だったわけですが、実はほかならぬムハンマド自身が「夢は〇〇番目の預言である」と述べた、と伝えられています。「〇〇」に入る数字は43、46、70など諸説ありますが、イブン・ハルドゥーン(1332-1406)の『歴史序説』第1章(森本公誠・訳 岩波書店) によると、特に意味はないそうです。
イスラム世界最大の学者が言うんだから、そうなんでしょう。夢が神託だという信仰自体は世界的に珍しくなく、おそらく多神教時代の名残でしょうが、「預言」だとムハンマドが断言したことになっているので誰も否定できない。

 なお上のイブン・ハルドゥーンの記述の続きによれば、「70」はアラブにとって「多数」と同義だそうです。古代ユダヤ人にとっての「40」と同じことですかね(クルアーンで、そういう意味で「70」という数字は使われていないようですが)。イスラム世界最大の学者が言うんだから、そうなんだろう、と本作で採用しています。

 さて、prophecy(というか、その原型のラテン語)は「予言」が原義だったのが、キリスト教化によって「預言」の意味も持ちました。後者に限定すると、revelationの語が当てられることもあります。revelationの訳語には「預言」のほかに「啓示」が当てられます。
 revelationの原義は「覆いを外すこと」です。まずヘブライ語で「ヒトガルート」という言葉があって、これは「覆いを外すこと」というような意味で、唯一神が「(人間に)隠されていた知識を開示する」ことを指します。ギリシア語に直訳すれば「アポカルプシス」、そのラテン語の直訳を経てrevelationとなりました。
 日本語の「啓示」と「預言」の区別を敢えて定義するなら、「啓示」が上記の「(人間に)隠されていた知識を唯一神が開示すること」で、「預言」はその知識といったところですかね。本作では「啓示」と「預言」を厳密に区別する必要はなく、かつ煩雑さを避けるため、「啓示」という語は出していません。

「啓示」の訳語を当てられているアラビア語の単語は幾つかあります。ユダヤ・キリスト教と同じく「覆いを外すこと」のほかに、「運ぶ」や「下る」の派生語などがある。
 イスラムに比べればユダヤ・キリスト教には詳しくないんで、あまり突っ込んだ話はできませんが、この先行する二つの一神教では、啓示はしばしば言語としてではなく幻視(および夢)として視覚的に体験されます。
 一方、イスラムにおいては、啓示とは言葉すなわち預言です。クルアーンは神がムハンマドに下した言葉そのものですが、ユダヤ・キリスト教も神が先行の預言者たちに下した言葉そのものと定義されています。クルアーン第17章のタイトルにもなっている「夜の旅」は、神がムハンマドをメッカからエルサレムまで夜空を飛んで連れて行き、そこから天国に昇ったという「奇蹟」ですが、啓示という扱いはされてませんね。天国での見聞は重大な情報開示になると思うんですが、クルアーンでは一切触れていない。また「夜の旅」は幻視の類ではなく、実体験だとされています。
 上記の「夢は〇〇番目の預言」のような例はあるものの、アラブ文化は徹底的に言語優位であり(これについては後日、解説できたらします)、それもあって本作では啓示と預言をほぼ同義として、前者の語は除外した次第です。

 宗教的な体験として「幻視」と訳されるのは英語だとvision、意味は語源であるラテン語visio「見ること/視覚」「光景」「幻影」「観念」「見解」等とほぼ同じ。アラビア語「ルゥヤー」は「夢」「幻」という意味で、語根が同じ単語に「見ること/視覚」「見解」等がある。宗教的体験としての「幻視」の意味もあるけど、キリスト教の「黙示録」の訳語に当てられてるんで(「シフル・アルルゥヤー」で「幻視の書」)、これもイスラムには「幻視」の概念はあまり馴染みがない証左だと言えるかもしれない。

 で、イブン・ムカッファはマーニー教からの改宗者ですが、開祖マーニーは啓示を預言と幻視の両方のかたちで受け取っている。またマーニー教を通じて、ユダヤ・キリスト教の知識もあったはずです。彼は自らの「物語を視た」体験を、預言のかたちの啓示や詩人の「妖霊の囁き」よりは、幻視による啓示に近いと感じます。まさに「覆いを外された」感覚でしょう。同時に、預言のかたちでなかったことで、偽預言者だと曲解される可能性を見落としていたと思われます。
 本作のイブン・ムカッファは、無宗教でいるのが不可能な社会において、信仰する宗教を「教義が納得できるから好き/嫌い」で選ぶ人物です。霊感に突き動かされて行うものとされる詩作も、言葉のパズルという知的遊戯として行っている。ちなみに魔方陣は、この時代の中東の知識人が知ってそうだという理由で選びました。

 そんな彼が、追い詰められた精神状態で「物語を視た」なら、頭では合理的に解釈できても、何か特別な体験だと思ってしまうでしょう。いや、私自身がそういう時は、だいぶやばい高揚の仕方をするので。
 しかし当人にとってどれだけ特別な体験でも、他人、特にフィクションを侮蔑する人にとっては、世にも馬鹿げた妄言に過ぎません。「山犬と雄牛と獅子王の物語」にど嵌まりしたスフヤーンが延々と垂れ流す妄想に付き合わされ続けた判官殿は、その「作者」たるイブン・ムカッファに「山犬たちは勝手に動いたんであって、わたしが意図したものじゃない」とか言われて、めちゃめちゃムカついたでしょうね。

其の一 と其の十六

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「物語の川々は大海に注ぐ」解説と余談 其の十四

其の一其の十三
掲載誌:『SFマガジン』2024年6月号

 全体的にネタバレ注意。本作では中世イスラムの固有名詞や術語の多くを、独自の用語に置き換えています。以下、日本における一般的な表記に、本作独自の用語を()で付記するかたちで記述していきます。 紀年は特記がない限りはADです。

 其の八の記事で、主人公イブン・ムカッファの著書『カリーラとディムナ』(菊池俊子・訳 平凡社東洋文庫)を再読していて、彼が「最も残酷な方法」で処刑された、という伝承(最初に記録されたのは、彼の死から150年以上後)が、彼自身が創作した山犬ディムナの最期と同じだと気づき、次いで彼が少なくとも死後、山犬ディムナと同一視されていた(生前どうだったかは不明)ことにも気づいた、と述べました。
 で、その瞬間、「みえた」わけです、物語が。

 具体的には、断片的な場面や言語化されていない状態の大まかなプロットが忽然と頭に浮かび、それを視覚的な情報、文字どおりのイメージとして認識したわけです。
 ええ、まあ、はい。本作におけるイブン・ムカッファの3日目の体験と同じです。とはいえ彼が「物語の創造」を、「自ら創り上げるもの」ではなく、「外部から与えられるもの、下されるもの」と認識する展開にしたのは、アラブにおける詩人と妖霊の関係という伝統、さらにはイスラムを含む啓示宗教における預言者と唯一神の関係という伝統との親和性の高さからです。
 もちろん、ほかの創作法より私自身の創作法のほうがよく知ってるわけだから反映しやすかったというのもありますが、だからと言ってイブン・ムカッファが私の自己投影(誤用)だとか思わないでくださいね。私は私が存在しない世界を創造するために小説を書いているんだから、私の小説の中に私がいるなんて気持ち悪くて想像もしたくない。
 あ、ほかの創作者の方々が自作のキャラに自己投影(誤用)すること自体は、別になんとも思いません。その人は私じゃないから。

 まあ私が存在しない世界云々はたわ言として読み流していただくとして、今回は本作のプロット構築の過程について説明しますね。其の八が主人公をイブヌル・ムカッファに決めるまでだったので、その続きです。
 本作における啓示・預言等の解釈については、後日解説できたらします。

 私の創作法で一番よくあるパターンは、まず書きたいテーマなりアイデアがあって、それに必要な情報を収集しつつ、そのテーマやワンアイデアに割く思考リソースを増やしていく。そうするとそのうち、物語そのものの情報が「下りてくる」。それは上述のように、断片的な場面だったり言語化されていない状態のプロットだったりします。あたかもその「物語」がすでに存在している、それも私の頭の中どころか、この世の外のどこかに、その物語の断片を受け取っている感覚です。

 いや、もちろん私自身が考え出しているってことは承知してますよ。日常的なちょっとした思い付き、あるいは本作の場合だったら、アラブ文学の伝統におけるフィクションの地位の低さを、現代日本の一部の人々のフィクション蔑視を拡大したようなものとして解釈できる、という思い付き。そういった、ちょっと「閃いた」程度の脳活動の拡張版だってことは承知しています。ただ、その時の感覚があまりにも強烈なので、自分の脳がやっていることだという自覚が持てないだけです。
 断片的な場面は映像として「みえる」し、言語化されていない状態のプロットも視覚的な感覚を伴います。当然ながら視神経は介していませんが、視覚中枢のどこかは活動しているかもしれない。
 あ、本作ではそういう視覚的な感覚を、一般的な「見る」行為と区別するために「視る」と表現しましたが、私自身の創作過程の説明として「視る」を使うのは恥ずかしいんで、「みる」にしときます。

 そうした非言語的で断片的な情報を解釈し、言語化していく作業が、プロット構築および執筆になります。最初期の段階では、プロットが「みえた」と言っても、相当に大雑把で不完全なものでしかありませんから。たいていは「みえた」情報に対し、「これはどういう状況なんだろう」「登場する彼らは何者なんだろう」と解析していくことになります。そうすると、さらに新しい情報が「下りてくる」。それらを解釈し、言語化する。その繰り返しです。
 場面として「みえる」情報は当然、映像であり、多くの場合は音付きですが、視覚的な感覚よりはだいぶ曖昧です。登場するキャラクターの台詞は、おおよその内容しか判らないこともあれば、しっかり「きこえる」こともある。後者なら、そのまま書き留めるまでです。作業が進行していくと、文章が考えるまでもなく「下りてくる」こともあります。

 本作の場合は、イブン・ムカッファの最期が彼と山犬ディムナの同一視から作られた伝説だと気づいた時点で「みえた」プロットは、彼の最期の数日間で判官と交わされる「作り話」を巡る問答、というほぼ完成したものでした。一度にここまで「みえる」のは珍しい。記録がそれなりに残っている実在の人物だからでしょうね。
 同時に「みえた」場面は、まあだいたいは地下の独房内か審問の場のスチールという感じでしたが、最も鮮明かつ映像として「みえた」のは、『SFマガジン』p.326上段後半以降に当たる部分でした。独房と思しき場所にに血塗れで倒れ伏すイブン・ムカッファ、彼の眼前に流れる血文字の幻影、背後で開いた扉から溢れ出す眩い光とそれを背にして立つ長身の女。彼女が呼ぶ、彼の「本当の名前」。指一本動かせないはずなのに、彼は身を起こして振り返る……

 次いで、「この場面はどういうことなんだろう」と考えると、すぐに答えがわかりました。
 血塗れで倒れていたのは拷問を受けたからで、それはスフヤーンがイブン・ムカッファを叛逆者に仕立てようとしたのではなく、山犬ディムナと同一視していたからである。スフヤーンは自身を高潔な雄牛と同一視しているため、これまでイブン・ムカッファを闇討ちするような真似はしてこなかった。またカリフ(ハリーファ)のマンスールを、優柔不断で御しやすい獅子王と同一視して舐めている。
 流れ出る血文字の幻影が綴るのは、イブン・ムカッファ自身の物語であり、本作そのものである。流れて行く血の物語は物語の川(カター・サリット)であり、大海(サーガラ)に注ぐ。大海の名は「大いなる物語(ブリハット・カター)」であり、彼の背後に立つ女人の背後に広がる光の海がそれである。
 彼女が彼の「本当の名前」を呼んだということはすなわち、イブン・ムカッファは「自分は本当の名前で呼ばれていない」と認識しているからである。
 彼女は川と物語の女神サラスヴァティであり、したがってハラフワティ/アナーヒター(ナーヒード)/シャフルバーヌーであり、「物語の川々」そのものであり、シェヘラザード(シャフラーザード)ですらある。

 ……といった情報が、あらかじめ私の脳の外、この世の外に存在していたかのように「下りてきた」ので、そうなりました。
 だから史実では、インド(シンド)の大説話集『ブリハット・カター』が編纂されたのが『カリーラとディムナ』の原典『パンチャタントラ』より後なのは確実で、『カター・サリット・サーガラ』が『カリーラとディムナ』より3世紀半も後の11世紀初頭であっても、この世のすべての物語は「物語の川々(カター・サリット)」であり、「大いなる物語(ブリハット・カター)」という名の大海(サーガラ)に注ぎ込むのです。
 同様に、史実では女神アナーヒターとシェヘラザードがまったくの無関係であっても(其の十参照)、この物語においては彼女たちは同一の存在なのです。
 何しろ、そう「みえて」しまったので。

 其の十で述べましたが、かつて「シェヘラザードは物語の語り手に過ぎず、妹のドニヤザードこそが物語の創造を担う」というアイデアを抱えていたのですが、シェヘラザードとドニヤザードの名前が対ではないと判明して没になったという経緯があります。その後、シェヘラザードとドニヤザード姉妹の物語とは無関係な物語として、本作の構想を始めました。
 ところが、シェヘラザードが「物語の川々」そのものであり、したがってサラスヴァティ/アナーヒター/シャフルバーヌーでもあることが「みえて」しまったので、彼女はめでたく本作に組み込まれることになりました。一方で、「物語の創造」の象徴としてのドニヤザードというキャラクターは、本作に組み込む余地はまったくありませんでした。主人公イブン・ムカッファが物語の創造を、「外部からもたらされたもの」と認識したからです。
 もちろん彼は合理的かつ内省のできる人間なので、実際に創造しているのは自分であることは理解しています。同時に、その過程を認識できないので「外部からもたらされたもの」という感覚を消すことはできない、ということも理解しているのです。本作のイブン・ムカッファは、そういうキャラクターです。

其の一其の十五

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「物語の川々は大海に注ぐ」解説と余談 其の十三

其の一其の十二
掲載誌:『SFマガジン』2024年6月号

 全体的にネタバレ注意。今回もシンクレティズムについて解説します。紀年は特記がない限りはADです。

 其の十ではインドの川の女神サラスヴァティに言及しましたが、インドの上位ヴァルナ(身分)の祖先であるとされるインド・アーリア人はイラン人の祖先であるイラン・アーリア人と起源を同じくします。というか「イラン」は本来、「アーリア」と同じ意味です。原アーリア人の起源は中央アジアだとされています。
 だからペルシア語とインド・アーリア諸語も、元は同じ言葉でした。本作主人公イブン・ムカッファが翻訳・改作した『カリーラとディムナ』の原典は『パンチャタントラ』で、「パンチャ」はサンスクリット語の「5」ですが、現代ペルシア語の「5」は「パンジュ」です。数詞のほか、「父」「母」、「手」「足」といった基本的な語彙は、だいぶ似ています。まあこの辺の語彙は、印欧語でだいたい共通してるんですが。

 そういうわけで、ペルシアの川の女神アナーヒターの別名「ハラフワティ」(というか、アナーヒターのほうが別名)がインドの川の女神「サラスヴァティ」と似ているのは、偶然じゃなくて元は同じ女神だからですね。
 サラスヴァティ/ハラフワティは「水を持つ者」という意味です。川/水を司るということは、豊穣の女神でもあるということになります。

 中央アジアの牧畜民だった「原アーリア人」が騎馬を採用し、インド亜大陸へ進出した集団、イラン高原へ進出した集団、中央アジアに残った集団に分かれたのは紀元前1500年頃だそうです。ハラフワティ/アナーヒターの権能に学問・芸術が含まれないのは、原アーリア人は学問・芸術の守護神を必要としなかったということですね。まあ、イラン高原進出後のアーリア人(ペルシア人)も、学問・芸術に関してはあんまり……

 イラン・アーリア人のうち西部イラン(ペルシア)の住民は、隣接するメソポタミアの女神イシュタルを崇拝するようになりました。イシュタルは金星の女神であり、戦争・愛欲・豊穣の女神でもあります。
 西部イラン人は、イシュタルを「アナヒティシュ」と呼びました。これは彼らが金星を呼ぶ名前ですが、「無垢なる者」という意味で、ハラフワティの別名の一つ「アナーヒター」の変化形でもあります。そのため、イシュタルとアナーヒターが同一視(習合)され、アナーヒター/ハラフワティは金星と戦争をも司るようになりました。名前が「アナーヒター(無垢なる者)」なので、「愛欲」要素は排除されましたが、元から豊穣神だったので結婚・出産も権能に加わりました。

 ギリシャ人はしばしば異民族の神々を、似た権能を持つ自分たちの神々の名で呼びました。ヘロドトスは前5世紀半ば、「ペルシア人はアプロディテ・アナイティス(アナヒティシュ)の信仰を早くから学んだ」と記しています。愛と金星の女神アプロディテは、ここではイシュタルのことです。ヘロドトスは知る由もありませんが、アプロディテは本来、イシュタルと起源を同じくする、東方(中東)の女神でした。
 アナーヒター信仰はハカーマニシュ(アケメネス)朝ペルシア帝国で勢力を増し、前4世紀以降は帝室からも崇拝されるようになります。

 ヘレニズム時代(セレウコス朝シリア)およびアルシャク朝(アルサケス朝/パルティア)の宗教は、本作とは関係ないんで飛ばします。サーサーン朝期(224-651年)のアナーヒター信仰については、本作で言及しているとおりです。
「アナーヒター」という名は、「アナーヒード」→「ナーヒード」と変化して現在に至ります。元々、ペルシアの文字記録が多いとは言えない上に、7世紀半ばにアラブ・イスラムに征服されてからの約200年は、さらに減りますが、この期間に「アナーヒード」から「ナーヒード」へ変化したと思われます。
 同じ時代でも地域差があるし、イブン・ムカッファが「アナーヒード」と「ナーヒード」、どちらで認識していたかは判りません。本作で後者を選んだのは、前者は「アナーヒター」に近すぎるからですね。「アナーヒター」くらいは知っている読者は少なくないでしょう。あと個人的には、「ナーヒード」のほうが可愛いと思います。

 クルアーンからは、7世紀前半当時のアラビア半島の宗教について窺い知ることができます。木石でできた偶像が崇拝される一方、妖霊(ジン)がアッラーと呼ばれる神と同列に拝まれていたり、天使が「アッラー(神)の娘たち」と呼ばれていた、とあります。同じくクルアーンには、アラブの三女神ウッザー、アラート、マナートが「アッラー(神)の娘たち」と呼ばれていた、という記述もあります。
 こうした記述から判るのは、妖霊と神々の区別は曖昧で、「天使」(および「悪魔」)というユダヤ・キリスト教由来の語は偶像崇拝者・多神教徒にも知られてはいたものの、妖霊・神々との区別は曖昧だったということです。

 本作の作中作「双天使とファールスの乙女の物語」は、イスラムの伝説に基づいています。この伝説については時代順に解説すると、まずクルアーン第2章では、「悪魔はその技をハールートとマールートの二天使から授けられた」という主旨のことが述べられています。
「ハールートとマールート」についての説明は一切ないので、当時のアラブにとっての一般常識だったと思われます。ハールートとマールートの伝承を最初に記録したのは歴史家タバリー(838-923年)ですが、その起源は現在でも不明とされています。
「堕天使」という概念は、『創世記』の「神の息子たち(おそらく多神教時代の名残だが、後に天使と同一視された)の一部が、人間の娘たちの美しさに目が眩んで地上に降りて子をもうけた」と「地上に悪がはびこったので、神は大洪水を起こした」という、本来は別々の事件が結び付けられたことから生まれたものです。
 上記のタバリーが記したハールートとマールートの伝説の、「ハールートとマールートが地上に降りて、人間の娘の美しさに目が眩んで堕落した」という筋書きは、文字で記録されることのなかったユダヤ教の民間信仰だったのでしょう。

 堕落のきっかけとなった美女について、タバリーは幾つかのヴァージョン違いの伝承を記録していますが、それらは明らかにペルシア系ムスリムによる創作です。タバリーがそれらを知っていたのは、彼自身もペルシア系だからです。
 彼女は
バイズフト(ペルシア語「神の娘」バイドフトの転訛)あるいはアナーヒーズ(アナーヒターの転訛)という名を持ち、ペルシア系の王女だったとも伝えられています。彼女の所業が、双天使に肉欲と葡萄酒を教えて堕落させた、で終わっているヴァージョンなら、「異教の神を悪魔や邪神に貶めるお馴染みのあれ」なんですが、その後を伝えるヴァージョンもあって、それによると彼女は双天使から「神の隠された名」を聞き出してその力で天に昇り、金星となった。

 彼女に置いて行かれた双天使は、がっつり神罰を受けているのに、金星となった彼女はそのままで、しかもイスラム世界では金星に負のイメージは付いていない。ヴァージョンによっては、双天使は勝手に彼女に夢中になって神の名を教えただけで、彼女から彼らへの働きかけは特になかったりもします。
 イスラム世界では西方キリスト教世界と違って、「悪魔学」に相当するものが発達しなかったので、悪魔や堕天使の位置づけは曖昧です。だから双天使の堕落のきっかけとなった美女の位置づけも曖昧なままだと思われますが、同時に自分たちが捨てた女神をなかなか悪と断じ切れないペルシア系ムスリムの屈折した心性も窺えますね。

  タバリーは838年にペルシアで生まれ、青年時代にバグダードへ移住しました。だから彼の幼少期にはすでにハールートとマールートを堕落させた美女をアナーヒターと結び付ける伝承が定着していたと考えられます。
 捏造もしくは誤解によって新たに生まれた「伝承」が広まり、「連綿と言い伝えられてきた史実」として人々の記憶を塗り替えて定着するには数十年あれば充分なので、9世紀初頭そこらに生み出されたばかりの「伝承」だったかもしれません。とはいえ
イブン・ムカッファの時代(8世紀半ば)でもペルシアが征服されてから100年余り経っているので、すでにこの伝承が生まれていて、かつペルシア人であるイブヌル・ムカッファが知っていた可能性はあります。

 ちなみに本作で言及しているとおり、アナーヒターはサーサーン朝の国家および帝室の守護女神として「シャフルバーヌー(国=ペルシアの貴婦人)」とも呼ばれましたが、「バーヌー(貴婦人)」だけでもアナーヒターを指すようになりました。似たような例に、聖母マリアの呼称「マドンナ(我が貴婦人)」「ノートルダム(我らが貴婦人)」がありますね。
 本作で「乙女」の訳語を当てた「ドフタル」も、アナーヒターの呼称の一つです。ペルシア語「ドフタル」は英語daughterと語源を同じくし、「(続柄としての)娘」と「未婚の若い女性/処女」の両方の意味を持つのも同じです。the virginといったら聖母を指すのと一緒です。
 ペルシア語で「(続柄としての)娘」だけだと「ドフト」になります。ハールートとマールートの神話にアナーヒターの別名として挙げられる「バイドフト(神の娘)」ですが、この場合の「神」といったら最高神アフラマズダしか考えられない。しかし現存するゾロアスター教文献はアフラマズダ以外の神の格を落とす一神教化を被っているので、神同士の縁戚関係が明らかでない。考古資料も含めて、アナーヒターはアフラマズダの娘だと解釈できんこともない、という程度です。
 しかしインド神話でアナーヒターに当たるサラスヴァティが創造神ブラフマーの娘だったりするので、ゾロアスター教の地方ヴァージョンの中には、アナーヒターをアフラマズダ(あるいは別系統の最高神ズルワーン)の娘とする神話があったかもしれません。

 なお神話学者のジョルジュ・デュメジルによれば、双天使としてのハールートとマールートの起源はゾロアスター教の二柱一組の女神ハルワタートとアムルタートに求められるそうですが、本作では物語の展開に関わってこないので、この説は取り上げていません。

 最後に、前イスラム期(7世紀初頭以前)のアラブの宗教について解説します。アラビア半島の文化は南北に大別でき、かなり相違があったようですが、宗教に関しては外来のユダヤ・キリスト教を除けば多神教で、しかも神話体系があまり発達しなかったのは共通しています。
 ヘレニズム・ローマ文化の影響が及ぶと、神々の一部はギリシア・ローマの神々と習合されました。たとえば上記の三女神「神の娘たち」はアッラート(「女神」の意。権能は不明)はアテネ、マナート(マナン「死/運命」を司る)はネメシス、ウッザー(金星を司り、名は「力強き者」)はアプロディテでした。異民族出身の彫刻家たちが造るギリシア・ローマ風の神像が持て囃されましたが、神話体系の発展には寄与しなかったようです。

 聖母マリアが各地の地母神と習合したのはよく知られていますが、アラビア半島でもキリスト教は広まったにもかかわらず、地母神あるいは豊穣の女神がそもそもいませんでした(いたとしても、記録に残るほど信仰を集めていなかった)。
 地母神以外の神々も、キリスト教と習合されました。御当地聖者のほとんどは古い神々由来だし、各地のキリスト教聖地のほとんどは古い神々のかつての聖地です。征服者が土着の信仰を根絶やしにする目的で、破壊した神殿等の跡地に教会を建てるケースも少なくありませんでしたが、結果的にその地(聖地)への信仰は保たれました。
 イスラム化した地域でも、まったく同じことが起きました。土着の神々がイスラムの預言者(一部はユダヤ教の預言者と共通)や預言者ムハンマドの子孫や、キリスト教の聖人に当たる存在(日本語では「聖者」と訳します)と習合されたのです。
 ただしアラビア半島とその周辺で、前イスラム期のアラブの多神教との繋がりを具体的に示す事物は、ほぼ残っていません。偶像を多数安置する文字どおりの万神殿だったカアバ神殿と、
偶像崇拝の一種である聖石崇拝の対象だった黒石くらいですかね。神殿はイブラヒーム(アブラハム)と結び付けられ、黒石は崇拝対象ではないということになっていますが。後は妖霊と聖者信仰がありますが、後者は前イスラム期の原型がどんなものだったかの研究はあまりされてない。

 そういうわけで、本作でアナーヒターを古代アラブの女神ウッザーと結び付けるのは、本作の中だけの話です。ゾロアスター教とキリスト教の直接の相互作用も少ないんで、聖母がアナーヒターと習合することもありませんでした。其の十で述べたように、シャフラーザード(シェヘラザード)の本来の名前は「チェフラーザード」なので、アナーヒターの別名シャフルバーヌーとはなんの関係もない。
 しかし習合というものは、自然発生的に起こる場合もあれば、個人や小集団が意図をもって行う場合もあり、後者の顕著な例がマーニー教です。元マーニー教徒で博識なイブン・ムカッファが、こういうことを思い付いてもなんの不思議もない。シンクレティズムなんて、やっちゃった者勝ちですよ。

其の一其の十四

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「物語の川々は大海に注ぐ」解説と余談 其の十二

其の一其の十一
掲載誌:『SFマガジン』2024年6月号

 全体的にネタバレ注意。今回は、本作におけるシンクレティズムについて解説します。紀年は特記がない限りはADです。

 まずは「世の終わり」「最後の審判」「救世主」から。世界がいずれ終わりを迎え、人々は善悪を基準に神の裁きを受ける、という概念は、ユダヤ教がゾロアスター教(本作では「マギ教」)から取り入れたものです。審判後の行先としての天国(あの世)と地獄という概念も、ゾロアスター教由来ですね。
 
英語「メシア」はヘブライ語「マシアハ」がギリシア語「メシアス」を経て転訛した語です。「マシアハ」は「(油を)塗られた者」を意味し、聖油を塗られて聖別された者のことです。元来は、世直しをする理想的な為政者のことでしたが、ゾロアスター教から取り込んだ概念、世の終わりに出現し民を救う者すなわち「救世主」を指すようになりました。キリスト教の「メシアス」も、完全にこちらの概念ですね。

 イスラムにおいても終末と最後の審判、天国と地獄は非常に大きな比重を占めます。しかし「救世主」概念だけは、ちょっと違いました。
 ヘブライ語とアラビア語は親戚関係にある言語で、文法に共通点があるだけでなく、意味が同じで発音も近い単語がたくさんあります。アラビア語にも「(油を)塗られた者」を意味する「マシーフ」という語があります(ヘブライ語「マシアハ」の転訛ではない)。しかしこれはキリスト教の「メシア/キリスト」を指す語としか使われていません。クルアーンに「マシーフ」という語は登場しますが、神の子ではなく預言者としてのイーサー(イエス)の称号という扱いに過ぎません。
 クルアーンには、「世直しをする理想的な為政者」という概念も、「世の終わりに出現し民を救う者」の概念も出てきません。前者のほうは本作でも軽く言及しているとおり、全信徒の指導者であるハリーファ(日本で一般的に呼ぶところのカリフ)の座を7世紀後半に奪ったウマイヤ家(それまでハリーファは血筋に関係なく、前任者が適切と考える者を選んでいた)への叛乱の中か生まれてきたものです。呼び名は「マシーフ(メシア)」ではなく、「(神に)導かれた者」を意味する「マフディ」でした。
 叛乱の指導者たちがマフディを自称する一方、ウマイヤ朝ハリーファの中にも、自らの統治を正当化するためマフディを自称する者がいました。

「世直しをする理想的な為政者」という意味での「マフディ」の概念が、ユダヤ教由来なのかどうかは明らかではありません。「世の終わりに出現し民を救う者」の概念のほうは、実はクルアーンには採用されなかったものの、民間信仰のレベルでは早い段階から浸透していました。
 多神教徒だったアラブが比較的すんなりとイスラムを
受け入れられた理由の一つは、彼らがユダヤ教徒やキリスト教徒と長年共存してきて、その知識を多少なりとも共有していたことにあります。またユダヤ・キリスト教からの改宗者も多かったことから、彼らの民間信仰も流入しました。
 本作の時代より後、イスラムの正統教義確立に伴い、そうしたユダヤ・キリスト教的民間信仰は排除されていくのですが、9-10世紀に編纂された伝承集には、「世の終わりに預言者イーサー(イエス)が再臨して民を救う」という言い伝えが収録されています。「救世主」に該当する、如何なる呼び名も使われていませんが、紛うかたなき救世主信仰ですね。
 とはいえイスラムでは一預言者としてなら崇敬されているイエスを事実上の救世主として扱うこの伝承は、まったくと言っていいほど顧みられていません。

 マフディ(導かれし者)を「世の終わりに出現する救世主」とする思想あるいは信仰は、前作「ガーヤト・アルハキーム」(『ナイトランド・クォータリー』№18 Amazonリンク)の主人公イスマイールの死に始まります。754年(本作の3年前)または756年なんで、ちょうど同時代ですね。まあ本作とは関係ないので、先へ進みます。

 ユダヤ教では本来、災厄は唯一なる神によってもたらされるものでしたが、それが「サタン」(ヘブライ語で「敵」の意)の仕業となったのは、ゾロアスター教からの影響です。光明神アフラマズダ(本作の「オフルマズド」は8世紀当時の発音)に率いられる善霊の軍勢vs悪神アフリマンに率いられる悪霊の軍勢という構図が、唯一神に率いられる善霊/天使(マルアフ)の軍勢vs魔王サタンに率いられる悪霊の軍勢として採用されたのです。
 この二元論はキリスト教に受け継がれ、「サタン(敵)」のギリシア語訳である「ディアボロス(敵)」が魔王サタンと配下である悪霊の総称となりました。英語「デヴィル」は「ディアボロス」の転訛です。

 ユダヤ教はキリスト教が分離した後に二元論要素を自ら修正しました。イスラムは唯一神に率いられる天使(マラク)の軍勢vs魔王イブリース(「ディアボロス」の転訛)に率いられるシャイターン(「サタン」の転訛)の軍勢という図式は受け継ぎましたが、二元論要素は薄いので、イブリースおよびシャイターンの役割は大きくありません。
「乱反射するサタニズム(悪魔崇拝)」(『トーキング・ヘッズ叢書』№84 Amazonリンク)および「文字が構築する壮大なプロット(筋書き/陰謀)」(『現代思想』2021年5月号 Amazonリンク)では、ユダヤ・キリスト教的二元論の成立から現代の陰謀論へと至る道程を考察しています。

 このように、ゾロアスター教からイスラムへの間接的な影響は大きいですが、直接的な影響はほぼ見当たらない。偏に、イスラム発祥の地であるアラビア半島北西部(二大聖地のメッカとメディナがある)のアラブとゾロアスター教との接触がほぼ皆無だったからです。
 本作でも言及しているとおり、ゾロアスター教は民族宗教であり、イラン・アーリア人(本作では「エーラーン人」)以外の信仰を想定していません。本作で「エーラーン人」のリストに挙げている「アルミナ」は、アルメニアのことです。アルメニアがキリスト教化したので、サーサーン朝(224-651年)皇帝が侵略してゾロアスター教への強制改宗を断行したこともありましたが、他民族への布教が行われなかったのは一貫しています。

 とはいえゾロアスター教との直接接触から、他民族が感化された例はありました。上記のユダヤ教の二元論化も、前537年にハカーマニシュ(アケメネス)朝のクル(キュロス)2世にバビロン捕囚から解放されて以来、前330年のアレクサンドロス大王の侵略まで、ずっとペルシアの寛容な政策を享受していたからこそです。何しろキュロスはユダヤ教で唯一の非ユダヤ人(ユダヤ教徒)メシアとして崇拝されていました。
 2-3世紀のローマ帝国で大流行し、キリスト教と競合したミトラス教は、ゾロアスター教というよりはそれ以前のイラン・アーリア人の太陽神ミスラ信仰が小アジアで独自の発展を遂げたもののようです。文化・民族の混交が進んで民族宗教の要素が薄れたところに、新しもの好きのローマ人の興味を惹いた、といったところでしょう。

 サーサーン朝の支配はメソポタミアまで及んでいましたが、この地にはアラブも進出していました。またアラビア半島の東岸(ペルシア湾沿岸)と南部にはサーサーン朝の駐屯地があっただけでなく、古来、海上交易によって多くのペルシア人が行き来し、彼らの植民都市もありました。其の六で解説したムハッラブ家のスフヤーンの祖先は、ペルシア湾にあるハールク島出身のペルシア人船乗りだと伝えられています。

 サーサーン朝はゾロアスター教を国教とし、一神教化を進めましたが、その「正統教義」は帝室の本拠地であるファールス地方限定のもので、各地ではそれぞれ土着のゾロアスター教が信仰されていました。ジャーヒリーヤ(前イスラム期)のアラビア語詩の中には、詩人たちが見聞したゾロアスター教徒への言及が見出されますが、それらの断片的な情報からも、ペルシア本土の正統教義とは異なるゾロアスター教信仰が窺えるそうです。
 前イスラム時代、アラビア半島北東部に住んでいたタミーム族はゾロアスター教に改宗しましたが、その地で土着化し、民族宗教の要素が薄れていたからこそでしょう。

 紅海に面するアラビア半島北東部もペルシア湾岸からメソポタミア、さらにはペルシア本土とも交易路で繋がっていましたが、現地のアラブとゾロアスター教徒が接触する機会はまず無かったと思われます。

 本作で言及した、ホラーサン(現イラン北東部~トルクメニスタン南部~アフガニスタン北西部)征服戦争でゾロアスター教式葬儀(曝葬。鳥葬とも呼ばれるが、遺体を野晒しにして鳥や野獣に食べさせる)を望んだ「血筋もよく敬虔」なアラブ・ムスリムの指揮官のエピソードは、バラーズリー(892年頃没)の『諸国征服史』(花田宇秋・訳 岩波書店)の第24章にあります。
 この指揮官はアラブの名門アディー家のアスワドという人物で、同じくアラブ(異民族または混血ではない)のバラーズリーは、彼を「由緒ある血筋のアラブ」で「信心深い男だった」と評するだけで、曝葬についてはなんの評価も下していません。訳者の花田氏をはじめ、この曝葬についての研究者の解釈は見つけられず、
ゾロアスター教のそれに結び付けているのは、私の推測に過ぎません。でも的外れではないと思いますよ。

其の一 と其の十三

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「物語の川々は大海に注ぐ」解説と余談 其の十一

其の一其の十
掲載誌:『SFマガジン』2024年6月号

 全体的にネタバレ注意。今回はタイトル「物語の川々は大海に注ぐ」について解説していきます。紀年は特記がない限りはADです。

 まずは史実から。本作ではインドの実在する(した)3つの物語集に言及しています。主人公イブン・ムカッファが翻訳・加筆修正した寓話集『カリーラとディムナ』の原典『パンチャタントラ』、そして『ブリハット・カター』と『カター・サリット・サーガラ』です。
『カター・サリット・サーガラ』以外の2つは、成立年代が不明です。インドでは記念碑の類を別にすれば、年代を明確にした歴史記述の伝統が存在しなかったんで、古い時代の年代特定が非常に困難なんですね。私は大学と院でシルクロード文化史が専門で、インドもシルクロードに含まれるわけですが、この年代特定問題があるので極力触れないようにしてましたよ、めんどくさいから。

 年代不明といっても、一応は『パンチャタントラ』が3世紀以前、『ブリハット・カター』が6世紀以前だとされています。『パンチャタントラ』は西北インドのカシミールで成立したとされ、サンスクリット語で書かれました。「パンチャ」が「5」、「タントラ」はいろんな意味がありますが、この場合は「章」で、本来は5章から成ります。賢者が王子の教育のために語った、という体裁を取っています。枠物語の内枠の物語として収められている寓話は、古くからの説話でしょう。
 その後、時間の経過とともにどんどん寓話が付け加えられ、翻訳の際にもさらに増量され、『カリーラとディムナ』は序章+本編14章+終章になっています。

「ブリハット・カター」はサンスクリット語で「大いなる(ブリハット)」「物語(カター)」の意。原典はすでに散逸しており、現存しているのは改作の多い翻訳版だけだそうです。
 原典はパイシャーチー語というインド・アーリア語派の一種で書かれていますが、この言語は現存する文献がほとんどなく(しかもその一部は『ブリハット・カター』原典からの引用らしい)、同書成立推定年代の下限である6世紀からそれほど経っていない8世紀の時点でも、すでに相当なマイナー言語だったようです。パイシャーチー語原典のタイトルは『バッダ・カター』で、同じく「大いなる物語」の意だそうです。

『ブリハット・カター』原典は散逸してしまって、内容については推測するしかないので、先に『カター・サリット・サーガラ』を解説していきます。
「カター・サリット・サーガラ」は、本作では「物語の川々は大海に注ぐ」の意だとしています。これは、このタイトルのサンスクリット語物語集の部分訳『屍鬼二十五話 インド伝奇集』(上村勝彦・訳 平凡社東洋文庫)の訳者による「物語の諸川は大海に流れ込む」を参考にしたものです。あ、「川々」あるいは「河々」は私の造語ではなく、ちゃんと用例がありますよ。現代語というよりは古語ですが。
 実際のところは、「物語の諸川は大海に流れ込む」はだいぶ意訳のようです。英語訳だとthe ocean of streams of storiesが最も一般的らしい(ヴァリエーションとしてはstreamsがriversだったり、storiesがstoryだったりします)。この系統以外の訳だと、the ocean of story(物語の大海)になります。

 サンスクリット語を含めインド・アーリア諸語は全然勉強してないんですが、日本語および英語による解説を参照した限りでは、名詞は性別あり(男性・女性・中性)、数と格が変化する、数は単数・双数・複数があり、格変化は8種類て……うげっ、全部盛りかいな。
 見たとこ、「カター(物語)」も「サリット(川)」も「サーガラ(海/大海)」も、すべて単数形・主格のようですね。ただしこの場合の「サリット」は文学的メタファーとして「(物語の)川(複数)」の意らしいです。どのみち「流れ込む」「注ぐ」に当たる語はどこにもない。英語のspeechのように名詞と動詞が同形の語を有する言語もありますが、「サリット(川)」は動詞を兼ねてはいないようです。
 あと、格変化のある他の言語は複数の種類の格で同形の場合が多いので(英語ならyou your you、she her herとか)、「カター・サリット・サーガラ」は「物語の川々は大海に」の意である可能性もありますが、私が格変化を調べても間違うのがオチなので、これ以上はやめておきます。

「物語の川」というメタファーは、川の女神にして学問・芸術をも司るサラスヴァティと関連があるようです。で、現存する『カター・サリット・サーガラ』は多数ある『ブリハット・カター』の抄訳・改作の一つで、11世紀成立とされています。
 つまり8世紀半ばの『カリーラとディムナ』の作者イブン・ムカッファがこれを知ってるはずがないんですが、『カター・サリット・サーガラ』は原典『ブリハット・カター』を直接抄訳・改作したものではなく、間に別の(現存しない)翻訳・改作が入っているのはほぼ確実、しかも複数の翻訳・改作を経ている可能性がある。
 で、上記のように「物語の川々」および「その川々が流れ込む大海」というメタファーは古くからあるようなので、「カター・サリット・サーガラ」という成語も、このタイトルの書物が書かれた時に考え出されたものではなく、もっと古くからある表現だったかもしれない。『ブリハット・カター』の現存しない翻訳・改作の中にも、「カター・サリット・サーガラ」のタイトルを持つものがあったかもしれない。
 とまあ、いくらでもこじつけは可能ですが、要は「物語の川々」と「物語の大海」という概念を出したかったがための敢えてのアナクロニズムです。
この辺りについては後日改めて解説する予定です。

『ブリハット・カター』原典は、『カター・サリット・サーガラ』をはじめとする抄訳群からすると、当時知られていたありったけの説話を枠物語のかたちで総集したものだったようです。現存する『カター・サリット・サーガラ』には『カリーラとディムナ』原典の『パンチャタントラ』も収録されています。『ブリハット・カター』原典にも収録されていたのであれば、少なくとも『パンチャタントラ』よりは後に書かれたことになりますね。
 本作では『ブリハット・カター』を「すべての物語の原典」に位置付けていますが、これは『ブリハット・カター』の抄訳・改作群のうちカシミールに伝わる2点『カター・サリット・サーガラ』と『ブリハット・カター・マンジャリー』の冒頭に置かれている「カターピータ・ラムバカ」と名付けられた物語に基づいています。「カターピータ」とは「物語の土台」を意味し、つまりは枠物語の一番外枠に当たる物語のことです。
 この「カターピータ・ラムバカ」は結構ややこしいので、すごく要約すると以下のようになります。
『ブリハット・カター』は元はシヴァ神が妃パールヴァティに語り聞かせた物語で、シヴァ神の怒りを買って人間界に落とされた1匹の悪鬼(ピシャーチャ)が、恩赦を得る条件として、この物語を世に広めなければならなくなる。グナーディヤという名の人間として転生した悪鬼は、パイシャーチー語で『ブリハット・カター』を書き記して王に献呈するが、受け取ってもらえなかったのでこれを火にくべる。なんだかんだあって7分の1だけが焼き捨てられずに残り、これが物語集『ブリハット・カター』である。

 この物語を無駄にややこしくしている原因の一つが、原典の言語「パイシャーチー語」の「パイシャーチー」と、音が似ている「ピシャーチャ(悪鬼)」とのこじつけです。この「カターピータ・ラムバカ」を収録している『カター・サリット・サーガラ』と『ブリハット・カター・マンジャリー』は、ほかにもさまざまな共通点があることから、現存しない『ブリハット・カター』抄訳・改作版のうち同じものを原典としているようですが、この「原典」の時点で、パイシャーチー語は完全に忘れ去られた言語となっていて、「ピシャーチャ(悪鬼)の言語」と見做されていたようです。
 しかし「パイシャーチー語=悪鬼の言語」というこじつけを除いた、「『ブリハット・カター』は最高神シヴァが語った物語の一部」という「カターピター(物語の土台)」は、原典『ブリハット・カター』まで遡る可能性はあります。

 以上を踏まえて、「カター・サリット・サーガラ(物語の川々は大海に注ぐ)」の「サーガラ(大海)」の名は「ブリハット・カター(大いなる物語)」だということにしたのでした。

『ブリハット・カター』および『カター・サリット・サーガラ』について、一番参考にしたのは『大説話 ブリハットカター』(土田龍太郎 中公選書)ですが、まあその、あんまり解りやすい内容ではないです。それ以前に、著者は1947年生まれなのになぜか全文旧かな使いで、しかし旧字体ではなく新字体で、内容的にも旧かなにこだわる理由がまったく読み取れず、まあその、なんか怖い。

其の一 と其の十二

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「物語の川々は大海に注ぐ」解説と余談 其の十

其の一其の九
掲載誌:『SFマガジン』2024年6月号

 全体的にネタバレ注意。今回はシェヘラザードとドニヤザード姉妹の名前について解説したいと思います。紀年は特記がない限りはADです。

 其の二で述べたとおり、ロバート・F・ヤングの中篇「真鍮の都」がきっかけで『千夜一夜』というかシェヘラザードの妹ドニヤザードに興味を持ったことから、巡り巡って本作に至ったのでした。
 その過程で、高校時代のいつか(1988~1990年)に読んだ『千夜一夜』についての軽めの概説書にあった、「シェヘラザードという名前は〝都市の〇〇〟(〇〇の部分は忘れました)、ドニヤザードは〝世界の〇〇〟という意味で、姉妹でこれは不可解」というような記述に、たいへん興味を惹かれたんですね。
 この「謎」をどうやって解き明かしていいかすらわからなくて、とりあえず『千夜一夜』自体について調べ始めたのが2003年後半から。しかし日本語で読める『千夜一夜』の概説書・研究書の類がそもそも少なくて、中世イスラム・中東文化全般へとリサーチの範囲を広げていきました

 そうして知ったことの幾つかを挙げると、「シェヘラザード」は西洋における転訛で、アラビア語原音に近い表記だと「シャフラザード」「シャフラーザード」「シャフルザード」等になること。「シャフル」は現代ペルシア語だと「都市」だけど、かつては「国」を意味していたこと。ゾロアスター教の川の女神アナーヒターの異名の一つが「シャフルバーヌー」で、「シャフル」は「国」すなわちペルシア、「バーヌー」は直訳するなら「女」だけど、この場合は高貴な女性の称号(「lady」的な)。
 だから「シェヘラザード(シャフラザード)」と「シャフルバーヌー」こと女神アナーヒターは、何か関係があるのかな、とか楽しく
推測したりしてました。

 しかし「ドニヤザード」はアラビア語原音に近い表記だと「ドゥンヤーザード」で「ドゥンヤー」は「世界」という意味もあるけど、より厳密には「この世」「地上」(最後の審判後の「あの世」や、神と天使がおわす「天上」に対して)であると知り、ええ……「世界」と「この世」じゃニュアンス違わない?とか、そもそもペルシア語とアラビア語じゃん、とか……
「ドゥンヤー」は「近い(ダナー)」からの派生語なので、「世界(あの世や天上を含む)」だったのが「この世(あの世や天上を含まない)」に意味が縮小したとかではなく、元からこの意味ですね。
 さらにその上、初期(9-10世紀)の史料での表記は「ディーナーザード」とか「ディーナールザード」とかで、しかも彼女は本来、妹ではなく侍女だったらしい。

 つまりシェヘラザードとドニヤザードの名前は、本来は対じゃなかったってこと?
 ……と気づいて挫けかけたのが、いつだったかなあ。ドニヤザードの初期形態について知ったのは西尾哲夫氏の『世界史の中のアラビアンナイト』(NHKブックス)で、これを読んだのは2011年の刊行から何年か後だったなあ。まあどうでもいいけど。

「ディーナーザード/ディーナールザード」が「ドゥンヤーザード」へと変化した経緯を私なりに推測すると、まず『千夜一夜』の原型はペルシア語の物語集『千物語』です(本作でも言及しています)。そのアラビア語版の最も古い写本(断片)が、余白にADで879年に当たる日付が書き込まれているものなので、翻訳は遅くとも9世紀半ばでしょう。そこに後からどんどん話が付け加えられていったものが『アリフ・ライラ・ワ・ライラ(千夜と一夜)』となります。
『千夜一夜』は、しばしば「説話集」だと定義されますが、これは正確ではありません。説話とは口伝された物語のことですが、上記のように『千夜一夜』はペルシア語物語集の翻訳で、つまり最初から書籍でした。

 其の四で述べましたが、イスラム世界でも8世紀半ばの『カリーラとディムナ』のお蔭で、しばらくは教養人たちもフィクションを蔑視せず、異国の物語を翻訳したり、民間説話を収集したり、新たな作品を書いたりしていました。『千夜一夜』に関する史料で上記の9世紀の写本断片に次いで古いのが、マスウーディーの歴史書『黄金牧場』(942年完成)です。異国の物語集の翻訳についての一節で、『千夜一夜』については一言触れているだけですが、フィクション全般に対するネガティブな評価はありません。
 しかしそれより何十年か後のイブン・アンナディーム(995年頃没。イブン・ムカッファについての詳しい情報も残す)は、書籍目録『フィフリスト』で『千夜一夜』について「読んだけどしょうもなかった」という評価を与えています。
 その後、アラビア語フィクションは教養人から見下されるようになりましたが、『千夜一夜』をはじめとする、軽めのフィクションを書き留めた書物は、市場などで芸人によって庶民相手に朗読されるようになりました。時代が下ると、コーヒー店でも読まれたそうです。教養人たちに読まれていた時代でも音読が主流だったはずですし、聴き手がいた場合も多かったでしょうけれど、彼らに見捨てられた結果、ある種の大衆芸能用のテキストになったわけです。講談とその読み物のようなものですね。

 最古の写本では「ディーナーザード」、イブン・アンナディームによって「侍女のディーナールザード」と記された女性が「妹のドゥンヤーザード」へと変化したのは、『千夜一夜』が大衆芸能用テキストとして書き写され、物語を付け加えられていった中でのことです。読み上げたり書き写したりしたのは、身分が低く、アラビア語の読み書きはできるけど、学者や文人として成り上がれるほどの教養を身に着けられなかった人々。
 彼らの一人で、「シャフル」が「都市」という意味だと知っているが、それがペルシア語だと解っているかは怪しい人物が、おそらくその頃には侍女から妹設定に変わっていた「ディーナーザード」を、「シャフラーザード」とセットの名前に変えた、といったところですかね。

 どうもシェヘラザードとドニヤザードの物語は書けそうもないと落胆しつつ、『千夜一夜』そのものや中世イスラム・中東文化への関心も残っていたので、ぼちぼち資料を読み続けていました。
 そして2019年か20年だったと思いますが、そういやこれはまだだったな、と
西尾哲夫氏の『アラビアンナイト 文明のはざまに生まれた物語』(2007年)を手に取りました。新書で(岩波だけど)しかも結構薄かったんで、後回しにしていたのでした。
 確かに内容は同氏の『世界史の中のアラビアンナイト』に比べても薄かったんですが……あったんですよ、「シェヘラザード」という名の原型についての言及が。上記の『フィフリスト』に「この書(『千夜一夜』)はペルシアの王妃フマーイーのために書かれた」という主旨の記述があり、同じく上記の『黄金の牧場』には「フマーイーの別名はシェヘラザード」という記述があり、さらにフェルドウスィーのペルシア語歴史叙事詩『王書(シャー・ナーメ)』(1000年頃)には、フマーイーの別名として「チフルザード」という名が記されているんだそうです。で、チフルザードはペルシア語で「高貴な生まれの」という意味らしい、と。
 これで記述はすべてですが、つまり「チフルザード」という名が「シェヘラザード」の原型らしいと。
 ちなみに『王書』は平凡社と岩波から抄訳が出てますが、「フマーイー/チフルザード」が登場する箇所は未訳です。

 その後、辿り着いたEncyclopedia Iranicaの「千夜一夜」の項によれば(リンク 英語ですが、アラビア語のラテン文字表記はペルシア語風発音に準じているので、少々解りにくいかもしれません)、「シェヘラザード」が伝説の古代ペルシア王バフマーンの娘にして妃(ゾロアスター教は近親婚を推奨しているので)フマーイーの別名「チェフラーザード」に由来するのは、ほぼ確定だそうです。
 アラビア語にはch音もe音もないので、「チェフラーザード」は「シャフラーザード」か「シフラーザード」になります。上記の最古の『千夜一夜』写本でも『黄金の牧場』でもシェヘラザードは「シーラーザード」という表記になっているそうですが、これは「シフラーザード」からの転訛でしょうね(子音hは欠落しやすい)。
「チェフラーザード」は「チェフル」と「アーザード」に分解できますが、それぞれの意味については時代と共に変遷しているので、本作では物語の展開に合致させた解釈をしています。
 いずれにしろ「チェフル」は「シャフル(都市/国)」とは関係なくて、つまりは女神アナーヒター「シャフルバーヌー」とはなんの関係もない、と。

「ドゥンヤーザード(ドニヤザード)」の原型「デーナーザード」は、「デーン」+「アーザード」で、「デーン」は「神性」というような意味で、女神の名前でもあるそうです。やっぱり「チェフラーザード」とは対でもなんでもない。

 そういうわけで、ドニヤザードを「物語の創造者」の象徴、シェヘラザードを「物語の語り手」の象徴とする「物語の物語」を書きたい、という私の願いは完全に潰えたのでした。きっかけとなる概説書を読んだのが高校の時(1988~1990年のいつか)だったから、30年……30年か……
 いや、積極的に『千夜一夜』や中世イスラム世界について調べ始めたのが2003年以降だから、せいぜい16、7年……16、7年か……

『千夜一夜』関連の文献は1990年以前刊行のものも結構読みましたが、あまり専門性がなさそうなのはスルーしてきたので、きっかけになった件の概説書には再会していないままです。たぶん著者は専門知識もなくて、ペルシア語もアラビア語も知らなくて、二次資料を解りやすくまとめただけなんだろうなあ……誰だよ、その「元ネタ(典拠)」の人……
 2021年頃だったか、その「元ネタ」かもしれない文献に
出会えました。前嶋信次氏の『千夜一夜物語と中東文化』(平凡社東洋文庫)所収の「アラビアンナイトの誕生」です。前嶋氏は1983年に亡くなられていて、同書は著作選の第1巻で2000年刊。なぜか既読だと長年思い込んでいたのですが、未読だったかもしれないと気が付いたのでした。
 件のテキストの初出は1961年刊の筑摩書房『世界の歴史』7巻所収で、高校時代の私が読んでいる可能性は低いし、何より内容が記憶にあるものよりずっと詳細なので、やはり私が読んだのは、もっとお手軽な概説書だと思われます。

 シェヘラザードとドニヤザードの名前について、確かにだいぶ詳細なんですけどね。シャフラーザード(シェヘラザード)を「都市の解放者」、ドゥンヤーザード(ドニヤザード)を「世界を解放する者」としている。「解放者/解放する者」というのは何も説明がないけど、現代ペルシア語の「アーザード(自由)」と関係しているんですかね。まあとにかくアラビア語ではないっぽいし、それ以前に前嶋氏はペルシア語とアラビア語を区別してない。
『王書』の「チェフラザード」に言及していないのは、ペルシア語は専門じゃないから仕方ないのかもしれないけれど、『フィフリスト』と『黄金の牧場』の『千夜一夜』に関する記述は取り上げているのに、この両者が示唆するシェヘラザードの名とペルシアの王妃フマーイーとの関係は無視しているし……前嶋氏ほどの人がどうして……

 とはいえ、姉が「都市」で妹が「世界」であることに妙な仄めかしはしてないし、古い史料ではシャフラーザードは「シーラーザード」で「獅子の心をもったひと」の意、ドゥンヤーザードは「ディーナーザード」で「立派な教えにしたがった」「信仰にけがれなき」の意だとしていて、つまり元来は「都市」「世界」とは関係ないことを示唆しています。
 ちなみに「獅子」はおそらくペルシア語の「獅子(シール)」から、「立派な教え/信仰」はアラビア語の「ディーン(信仰)」から。「ディーン」がペルシア語「デーン」と音も意味もなんとなく似ているのは、ただの偶然っぽいです。「~の心をもったひと」「~にしたがった/~にけがれなき」がいったいどこから引っ張って来た解釈なのかは、私には見当もつきません。

 というわけで、たとえこの前嶋氏のテキストが元ネタだったとしても、「姉が都市で妹が世界」だけ抜き出して勝手な憶測を付け加えた、例の概説書の著者が悪い。
 いや、いいんですけどね、今さら。
30年もしくは16、7年振り回されはしたけど、得たものも大きかったですし。ええ、今さら恨み言なんて言いませんよ。言いませんとも。

其の一其の十一

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「物語の川々は大海に注ぐ」解説と余談 其の九

其の一其の八
掲載誌:『SFマガジン』2024年6月号

 全体的にネタバレ注意。本作では中世イスラムの固有名詞や術語の多くを、独自の用語に置き換えています。以下、日本における一般的な表記に、本作独自の用語を()で付記するかたちで記述していきます。紀年は特記がない限りはADです。

 本作のテーマは「物語」ですが、「声の文化と文字の文化」の対立というか対比にも重点を置いています。当然ながらオングの『声の文化と文字の文化』(Amazonリンク)に大きく依拠していますが、彼の理論を絶対的真理か何かのように奉じるものではありません。
 批判は結構多いみたいですしね。とはいえ
反証になり得る、少なくとも私がそう納得できるような調査・研究は行われていないようです。もちろんオングも批判者たちもどこまで正しいのか私には測りようがありませんが、オングの理論は彼が根拠としている「声の文化」の事例以外の、私が知っている「声の文化」の事例にも充分適用できますし。
 まあオングが言うほど劇的ではないだろうけど、やっぱり識字は認知能力の変化をもたらすんじゃないですか?くらいの認識ですね、私は。

『声の文化と文字の文化』に依拠したSFは、テッド・チャン「偽りのない事実、偽りのない気持ち」(『息吹』所収 Amazonリンク)がありますね。オングの理論が参照されているだけでなく、『声の文化と文字の文化』第三章にあるナイジェリアのティヴ人のエピソードが、そのまま使われている。もちろん、そのままと言っても、集団に対する調査報告か何かが典拠だと思われるオングの記述を、個人の物語に落とし込んでいるわけですが。
『声の文化と文字の文化』がとても好きなので、それをSFに昇華させているこの短篇もとても好きですし、本作を書けて嬉しい。

 本作における一般的な識字能力については、同時代史料が残っていないため、もう少し後の時代の史料や、さらに時代が下った、サドリディン・アイニー(1878‐1954)の『ブハラ ある革命芸術家の回想』(米内武雄・訳 未来社)を参考に設定しています。

 アラビア語圏に限らず、前近代イスラム(誠の教え/イーマーン)の伝統的な学習は、テキストの音読が基本でした。師がテキストを一文ずつ音読して、生徒もテキストを見ながら一文ずつ音読する。それを何回も繰り返して、生徒がすらすら音読できるようになったら、ようやく内容の講釈が始まる。講釈が全部終わったら、また別のテキストで同じことを最初から行う。
 この学習法は、クルアーン(聖典/アル・キターブ)読誦の学習が基盤となっています。読誦、すなわち音読・朗読ですね。
イスラム世界の最初期の教育機関は、このようにしてクルアーンの読誦を教えるだけの寺子屋のようなもので、クッターブと呼ばれました。
 イスラムの聖典は、日本では「コーラン」の名前で知られていますが、アラビア(タージク)語原音に近い表記では「クルアーン」。「読む(カラー)」の派生語で「読まれるもの」という意味です。この場合の「読む」は、黙読ではなく音読のことです。クルアーンの別名が「アル・キターブ」。「定冠詞+本」で、英語で聖書のことをthe bookというのと同じですね。
 で、「本」すなわち「キターブ」は「書かれたもの」の意。上記のクルアーン読み方教室「クッターブ」はキターブと同じく「書く(カタバ)」の派生語です。
 694~714年にイラク(イラーク)総督(太守)だったハッジャージュは、本作の主人公イブン・ムカッファの父の腕を拷問で潰した人物ですが、若い頃はこのクッターブの教師だったと伝えられています。この伝承が史実なのかどうかはともかく、この頃までにクッターブは都市部ではかなり広まっていたようです。
 貴族をはじめ裕福な階層の子弟は、家庭教師に学んでいました。

 初期のクッターブは、上記のようなクルアーン読誦法を教えるだけの施設でしたが、時代が下ると初等教育機関として、もっと一般化した識字教育や、算数の基礎教育も行われるようになりました。ただ、クルアーン読誦法しか教えないクッターブも残り、要するに教師次第でした。クルアーン読誦以外の識字教育にしても、クルアーンから抜き出した文章を書き写すのが基本だったそうです。
 初期のクッターブ教師(ハッジャージュもその1人になりますね)は尊敬されていましたが、高等教育が充実するにつれて社会的地位は下がっていきました。『千夜一夜』には、クッターブ教師の無教養と愚かさを嘲笑う話が幾つか収録されています(バートン版では第402夜から)。

 で、本作の時代より何百年か後の学問が発達した時代でも、上記の学習法が根幹とされてきました。10世紀頃からは、学習に使われた書籍には、その書籍の持ち主である生徒が学び終えたことを教師が保証する「証明」と呼ばれる書き込みが為されるようになりました。つまりそのテキストを、すらすら音読できて内容を他人に講釈することができるようになった、という一種の免状です。

 このような学習法が衰退し形骸化するとどうなるかは、上記のアイニーの回想録を読むとよく解ります。彼の故郷である現タジキスタンのブハラは、かつてはペルシア(ファールス)語圏における学問の中心地として遠方からも留学生が多数訪れていたのですが、国と共に学問も衰退していきました。
 すなわち
上記の方法で音読できるようになった時点で終了して講釈が行われなくなっており、しかもそれ以外のことを学ぶシステムが存在しないという有様です。それ以外のこと、ごく初歩的な読み書き計算でも、偶々それができる人に伝手があって教えてもらえる幸運に恵まれない限り、1冊の本を流暢に音読できるようになっても内容はまったく理解できず、初見の文章も読めない、自分の頭で文章を考え出して書くこともできない「知識人」たちが量産されていたのでした。

 アイニーは具体的に説明していませんが、これはつまり、文章を読むどころか文字の識別(アラビア語もペルシア語もアラビア文字を使い、英語の筆記体のように繋げて書く)もできないまま丸暗記して、自分が所持する写本の文字の配列とか挿絵とかを想起の手掛かりにして暗誦するだけ、ということでしょう。だからそうやって丸暗記していないテキストは「読む」ことができないし、同じ書物でも文字の配列が異なる写本も読めない可能性は高い。
 まあその、個人の体験で非常に申し訳ないのですが、3歳の時の私がそうでした。お気に入りの絵本は、繰り返し読み聞かせをしてもらううちに暗記して、絵を想起の手掛かりにして暗誦していました。読み聞かせしてもらうのは好きだけど自分でも読めるようになりたかったので、自分から母親に「これはなんて読むの?」と一文字ずつ指さして尋ねるようになったので、あいうえおから教えてもらうことになりましたが、アラビア文字は繋げて書くから、その分めんどうだろうなあ。

 アイニーは後にソ連の「御用作家」になるので、回想録に描かれる伝統的知識人たちの愚劣さは割り引いて読むべきでしょう。それでもこの学問の都ブハラの惨状は、イスラムの伝統的教育の「成れの果て」として十二分に説得力があります。
 なお、アイニー自身が高い識字能力を身に着けられたのは、幼い頃から詩が好きで、詩集を手に入れては独力で読破し、自ら詩作もしていたお蔭のようです。

其の一其の十

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「物語の川々は大海に注ぐ」解説と余談 其の八

其の一其の七
掲載誌:『SFマガジン』2024年6月号

 全体的にネタバレ注意。本作では中世イスラムの固有名詞や術語の多くを、独自の用語に置き換えています。以下、日本における一般的な表記に、本作独自の用語を()で付記するかたちで記述していきます。紀年は特記がない限りはADです。

『カリーラとディムナ』(菊池俊子・訳 平凡社東洋文庫)を最初に読んだのは、もう10年以上前のことです。その時、菊池俊子氏の巻末解説から興味を惹かれた情報を幾つかメモしておいたのですが、そのうち2つが今回の記事に関係あります。
 1つは『カリーラとディムナ』のサンスクリット(シンド)語原典およびそのペルシア
(ファールス)語訳ではなんの報いも受けていないディムナが、アラビア(タージク)語訳では相応の報いを受ける結末が加筆されている件。
 この加筆が後世の誰かではなくイブン・ムカッファ本人によって行われていることは、文体からしてほぼ確定だそうです。加筆の理由は道徳的な見地からだろう、というのも定説だそうですが、それに加えて菊池氏は、読者からディムナと同一視されることをイブン・ムカッファが恐れたから、という推測を提示しています。

 ちなみにアラビア語版『カリーラとディムナ』はサンスクリット語原典からペルシア語訳を経た重訳となるわけですが、このペルシア語訳は現存していません。しかしサンスクリット語原典からではなくペルシア語版から訳したシリア(シャーム)語版は現存していまして、こちらもディムナが悪行の報いを受ける部分がありません。
 だからアラビア語版のみの加筆だと、ほぼ断定できるわけですね。

 もう1つは、イブン・ムカッファの処刑が「最も残酷な方法」によるものだったと伝えられている、という件です。どんな方法だったかは諸説あるそうです。
 イブン・ムカッファが彼の才能や功績をまったく理解していない男の個人的な復讐によって、こんな最期を遂げさせられたというのは実に気が滅入ることで、彼を主人公にするのに躊躇いがあったほどです。
 しかし『カリーラとディムナ』を再読したところ、山犬ディムナもまた「最も残酷な方法」によって処刑されていたことに気づきました。
 つまりイブン・ムカッファの「最も残酷な方法」による最期は、山犬ディムナの最期から生まれた伝説だということであり、彼
自身が実際に山犬ディムナと同一視されることを恐れたか否かにかかわらず、少なくとも後世の読者からは同一視されていたということです。

「イブン・ムカッファが山犬ディムナと同じ死に方をした」とする史料は複数あるようですが、どれが一番古いのか菊池氏の解説には述べられていません。私も自分で調べてみたんですが、判りませんでした。イブン・ムカッファの現存する最古の伝記(彼の死から170年以上後のもの。其の三参照)が最も詳しい伝記でもあるそうなので、それだろうとは思いますが。
 まあこの件に関しては、どの史料かというのはあまり関係ない。其の三で述べましたが、
史料批判の概念が確立されていなかった中世イスラム(誠の教え/イーマーン)世界における史書・伝記の類は、中傷を目的としたものや思想的に偏ったものは別として、情報が「人々に広く信じられてきたか」「古くから言い伝えられてきたか」を信憑性の判断基準としてきました。
 だからたとえば、「イブン・ムカッファが山犬ディムナと同じ死に方をした」という伝説が最初に記されたのが最古の伝記だったとしたら、この伝説が生まれた、すなわち彼がディムナと同一視されるようになったのは、
それより数十年以上前だということですね。遅く見積もっても、イブン・ムカッファの死後100年くらいってとこですか。死後すぐだった可能性もある。

 よかった、“最も残酷な方法”なんてなかったんだ……でも史実のスフヤーンがディムナの最期を知っていて、それをイブン・ムカッファに適用した可能性もゼロではないですね。それも万に一つとかじゃなくて、1%くらいはありそう。どのみち楽には死なせてもらえなかったんだろうなあ。
 本作でイブン・ムカッファが提案した「最も残酷な方法」は、彼の伝記に記されている諸説、および中世イスラム世界で実際に行われていた処刑法を参考にしています。「生きたまま手足を切り落とす」を、勝手に凌遅刑に変えてすみません。大学での専門はシルクロード文化史だったんですが、周りが中国史ばっかりだったんで、自然とそういう知識が身に着いてしまいました。
 マーニー(「マニ」よりこっちの表記が一般化しつつありますね)教開祖の死は274年または277年ですが、その処刑法についての記録はすべて後世の非マニ教徒によるものです。彼の死後、中央アジアに逃げ延びた信徒たちが、それほど離れていない時代に残した記録には、処刑について明記されていない上に、投獄後も
信徒と面会が許されていたとあることから、それほど苛烈な死ではなかった(獄中で病死とか、普通?の処刑法とか)、という説が近年では有力なようです。

其の一其の九

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「物語の川々は大海に注ぐ」解説と余談 其の七

其の一其の六
掲載誌:『SFマガジン』2024年6月号

 全体的にネタバレ注意。
 本作の骨子が出来上がるまでの過程は後日解説の予定ですが、とにかく出来上がってから割とすぐに気が付いたのが、プイグの『蜘蛛女のキス』との相似でした。どちらも「獄中の『千夜一夜』」ですからね。
 あ、『蜘蛛女のキス』ネタバレですよ。

『蜘蛛女のキス』も本作も「物語」の物語であり、フィクションを巡る対立から始まるところも共通しています。まあ『蜘蛛女のキス』の舞台である南米某国では別にフィクションそのものが否定されているわけではないので、敢えてハイカルチャーからは見下されているB級映画を「フィクションの代表」に位置付けていますね。
 また革命家のバレンティンは、「おかま」のモリーナ(「彼女」のセクシャリティについては後述します)が語るB級映画のストーリーを文句言いつつも楽しんでいるので、彼らの対立自体はそれほど深刻なものではありません。しかし「革命家」という立場自体が、モリーナが耽溺するB級映画(その1つは、選りにも選ってナチのプロパガンダ映画)との間に深い断絶を設けている。

 以前の記事でも言及しましたが、本作でも「フィクション否定派と肯定派の対立」は、4日間のうちの2日目までです。3日目は「フィクションの創造」の話になる。
 一方『蜘蛛女のキス』では、「フィクションの創造」には触れていません。モリーナは自分のお気に入りのB級映画(既存のフィクション)のストーリーを語るだけす。『千夜一夜』のシェヘラザードが、本で読んで記憶した物語を語るのと同じです。

 本作の3日目で「フィクションの創造」を、「神が創造する、無数の〝影の世界〟を垣間視て、それを言語化する」というメタファーで理解した主人公イブン・ムカッファは、4日目の朝には「〝影の世界〟であるフィクションを、現実の世界に反映することができるかもしれない」と考えます。具体的には3日目に彼が「視た」、「すべての宗教は繋がっている」というシンクレティズムの「物語」を現実世界に反映した、気宇壮大な神学を打ち立てようという野心ですね。
 しかしその数時間後、イブン・ムカッファに恨みを抱き、かつイブン・ムカッファが「創造」した「山犬と雄牛と獅子王の物語」を自らを含む現実に重ねることで恨みをさらに増大させた人物が現れるのです。

『蜘蛛女のキス』のモリーナは、お気に入りのB級映画ヒロインたちのようになりたいたいと願っています。彼女たちは単に若く美しく称讃されているだけでなく、愛に生きている。最終的にモリーナは、「愛のために死ぬヒロイン」というフィクションに呑み込まれ、周囲をも巻き込んで死にます。バレンティンが抱く「革命の理想」には、最後の最後まで一切共感しません。
 一方のバレンティンにとって「革命の理想」は、モリーナが耽溺するフィクションより遙かに高邁で価値あることです。それはもう、まったく比べ物にならない。
 しかし言うまでもなく、彼の理想もまた「物語」です。

「解説と余談」其の一で述べていますが、フィクションを楽しめないこと、必要としないことは、フィクションを楽しむこと、必要とすることと、まったく等価です。加えて私自身は、フィクションを「現実じゃないから」という理由で見下す人でもフィクションを楽しむことに干渉してこない限り、どうでもいいと思っています。
 ただ、そういう理由でフィクションを軽んじる人のうちどれだけが、あなたがフィクションより価値があると信じている「実話」「ノンフィクション」も、語り手/書き手によって組み立てられたプロットに沿った「物語」だということを承知しているんですか、とは思います。
 それよりも何よりも、人間は知覚した情報にパターンを見出す方向に進化してきた以上、知覚した「現実」を理解しようとすればするほど、パターンとして認識することになる。それを承知しているんですか、と。
 しかもオングの『声の文化と文字の文化』によれば、結末ありきで組み立てられた一貫性のあるプロットというものは、「文字の文化」が発達して初めて出現したものだそうなので、現実を一貫性のあるものと認識している人ほど、フィクションにどっぷり浸かっていることになる。

 もちろん私は、「現実は物語に過ぎない」とかしょうもないことを言っているのではないですよ。ヒトが現実をどう認識するか、という話です。
 そもそも「物語に過ぎない」とか言われたら、今なんつった、物語舐めてんのか?となりますよ。
 ヒトは現実を「物語」として解釈しがちです。そうした「現実」として認識される「物語」は、個人だけのものではありません。集団が共有する「大きな物語」も数多く存在してきたし、存在している。解りやすい例としては思想や宗教がありますが、社会通念の類も、そこまで作り込まれてはいないものの、集団によって共有される「物語」です。
 そうした「物語」はその集団を、国を、世界をも駆動します。それが「物語の力」です。

 当然ながらそれら「現実と認識される物語」は、ヒトの知覚を介していない物理世界としての現実や、その物語を共有していない他者にとっての現実(他者の物語)とは齟齬があります。齟齬が大きければ大きいほど、さまざまな支障を来し、かつ物語の規模が大きければ大きいほど、制御も効かなくなります。場合によっては災厄を引き起こしかねない、というか引き起こしてきました。
 だからフィクションをフィクションとして楽しむことなど無害であり、健全ですらあります。

 本作ではイブン・ムカッファに「実話」の潤色について突っ込ませましたが、物語論が碌に発達していない社会なので、まともな議論は成立しませんでした。この問題については、『現代思想』2021年5月号掲載「文字が構築する壮大なプロット(筋書き/陰謀)」(Amazonリンク)と同2022年9月号掲載「パリに行きたい:あるいは〝ここ〟からは出られません」(Amazonリンク)で考察しています。

 そういえば『現代思想』2021年5月号の頃は、「フィクション蔑視が通念となっている社会」としての中世イスラムを舞台にした「物語」の物語を書きたいなあ、と思いつつも、まだ何も構想とかは始めていなかったなあ。そうだった、そうだった。
 で、2022年9月号の頃は、知識を補完するための下調べと並行して、すでに執筆に入ってたんだけど、全篇一人称で書くという無謀を試みたせいでで行き詰まってましたねえ。いや、あれは苦しかった。

 それから「女」の立ち位置という点でも、本作は『蜘蛛女のキス』と似ていますね。
 現代における、先天的な肉体の性別とは別物の、やたら細かくて複雑なセクシュアリティの区分に、どれだけ意味があるのかは私が知り得るところではありませんが、モリーナは肉体的には先天的な男性で、その性別からすると男性同性愛者で、その上で女性になりたがっている。ただしそれは若く美しく、かつ愛に生きる、フィクションの中にしか存在しない女性であって、現実の女性ではない。
 同様に本作のイブン・ムカッファにとって、シェヘラザードや女神たちは美しい乙女の姿をとった「象徴」であり、現実の女性たちとは無関係な存在です。彼女たちは「書かれた物語」であり、「書く」主体は(物語の源泉を「神」としているものの)あくまでイブン・ムカッファ自身なのです。
 ちなみにエンサイクロペディア・イラニカのイブン・ムカッファの項(リンク)によると、本作でも言及している彼の著書『アダブの書』には、女について侮蔑的な言及があるそうです。史実のイブン・ムカッファが本当に近代的な思考ができたのだとしても、近代的価値観を持っていたことにはならないので(況や現代的な価値観をや)、まあそんなものでしょうね。
 というわけで本作でも、妻について心配していないわけではないが息子に比べると全然軽い、ということにしました(史実では、息子についてはわずかながら情報が残っていますが、妻についてはまったく不明です)。

 モリーナは「フィクションを語る女」という自らに与えた役を途中で放棄して「愛のために死ぬヒロイン」という役に乗り換え、それを全うします。「物語に呑み込まれた」と言っていいでしょう。
 そしてあの結末は、バレンティンも「物語に呑み込まれた」と解釈することが可能です。
 本作の結末もまた、イブン・ムカッファは「物語に吞み込まれた」との解釈が可能です。
 もちろんどちらの結末も、そういう解釈が可能、というだけです。どちらも、「幻覚を見ただけ」という解釈も可能ですね。

 以上が本作と『蜘蛛女のキス』の、意図したわけではない相似(および相違)です。これらに気づいた後で、意図して寄せた要素もあります。
『蜘蛛女のキス』は基本的に一つの監房の中だけで物語が進みます。モリーナとヴァレンタインの会話と、彼女(「女」になりたがっているので、この三人称
でいいでしょう)が語るB級映画のストーリーとによってです。監房の外の出来事は「報告書」のかたちで語られます。
 まあ少なくとも、オリジナルの小説版ではそうです。映画版だと、モリーナとヴァレンタインの遣り取りの場面も、モリーナが語るB級映画も、「報告書」の内容も、普通に映像になっていましたね。戯曲版は読んでいないし、舞台版も観たことがないので、そちらではどう処理してるのかは知りません。

 そういうわけで本作は、独房にいるイブン・ムカッファの「意識の流れ」をひたすら追っていくかたちにしたのでした。独房の外の出来事は、すべて彼の回想として語られています。
 イブン・ムカッファが土壁に刻む語句は、曲線が少ない角張った書体であることをタイポグラフィ的にブロック体で表現していますが、これのお蔭でイブン・ムカッファが現在軸では独房内にいることが解りやすい。まあ実は「独房内で壁に文字を刻んでいるイブン・ムカッファ」のさらに外側に「枠」があるんですけど(終盤の行書体の部分です。後日解説の予定)。

其の一其の八

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「物語の川々は大海に注ぐ」解説と余談 其の六

其の一其の五
掲載誌:『SFマガジン』2024年6月号

 全体的にネタバレ注意。本作では中世イスラムの固有名詞や術語の多くを、独自の用語に置き換えています。以下、日本における一般的な表記に、本作独自の用語を()で付記するかたちで記述していきます。紀年は特記がない限りはADです。

「ムハッラブ家のスフヤーン」は実在の人物です。作中で提示したプロフィールは、そのまんま史実。解りやすい悪者です。
 作中の時代、つまりイブン・ムカッファの生前にはどうだったかは不明ですが、後世の読者は彼と山犬ディムナを同一視していました(後日解説の予定です)。そこから、スフヤーンが「元からイブン・ムカッファに恨みを持っていたが、『カリーラとディムナ』の大ファンになって、自分を高潔な雄牛シャンザバ、イブン・ムカッファを狡猾な山犬ディムナと同一視してしまい、ますます恨みを募らせた」という設定が生まれました。
 誰よりも『カリーラとディムナ』ファンだけど、誰よりも作者アンチ。誰よりも『カリーラとディムナ』ファンだけど、解りやすい悪者。解りやすい悪者だけど、誰よりも『カリーラとディムナ』ファン。

 キャラクターの言動が、作中で全肯定されているならともかく、そうではないのに「作者の思想!」とか非難する人は、昔からよくいたようです。
 たとえばロシア近代文学の割と初期に位置するレールモントフ(1814‐1841)は『現代の英雄』(1840)の序文で、「不道徳な人物を主人公にしたからといって、私自身が不道徳を肯定しているわけではない」というようなことを述べています。ゴーゴリ(1809‐1852)も作品のどれかの中で、同じような弁明をしていた覚えがある。
 もちろんスフヤーンを「そういう人」に設定したからと言って、「そういう人=悪」ではないですよ。「フィクションを否定する=悪」「フィクションを愛する=正義」という単純な図式にしたくないだけで。
「そういう人」に対しては、「もっとたくさんの作品に触れて見る目を養えば、自分も周りも幸せになれるよね」とは思いますが。

 イブン・ムカッファが現イラン(ファールス)のファールス州(南ファールス)でウマイヤ朝(ウマイヤ家)の現地総督(太守)の書記を務めていた時(743頃‐747)、総督の地位を狙うスフヤーンを策略で排除したのは史料どおりです。ただし、どんな策略だったかは不明です。創作するにしてもスフヤーンについての情報が少なすぎるんで、ちょっと困ってました。
 Encyclopedia Iranicaのイブン・ムカッファの項(リンク)でも、この件に関しては「イブン・ムカッファは同好の士の間では機智に富んで愉快な仲間だったが、無関心な相手には攻撃的で傲慢になり得たし、不快と見做した相手は見くびって笑いものにしがちだった。彼の敵意と嘲笑の犠牲者の一人が、スフヤーンである」というようなことしか述べられていません。まあそういう性格だったでしょうね。
 ちなみにEncyclopedia Iranicaは英語ですが、アラビア語の固有名詞等のラテン文字表記が、ペルシア語風発音に準じたスペリングになっているので、ちょっと解りにくいかと思います。

 ところがスフヤーン個人ではなく彼の家系について調べたら、情報がいっぱい出てきたんで助かりました。ほとんどが英語だったんで大変でしたが。
 スフヤーンの祖父ヤズィードが720年に叛乱を起こして半年で鎮圧されるまでの経緯は、本作で示したとおりです。ムハッラブ一族は大勢いましたが、大多数が捕らえられ処刑されました。子供も9歳以上の男子であれば容赦されなかったそうです。
 後述するようにスフヤーンが無能だったのは間違いありませんが、祖父の代に一族が叛逆者となったことにはなんの責任もありません。それがファールス州総督の地位を狙えるところまで這い上がってくるには、アズド族の支援があったでしょうし汚い手も使ったでしょうが、並大抵の苦労ではなかったはずです。
 ぶち壊したイブン・ムカッファは恨まれて当然でしょうね。

 アッバース朝(アッバース家)初代カリフ(名代/ハリーファ)サッファーフが現イラク(イラーク)のクーファで即位するのは、749年11月末です。スフヤーンが未だウマイヤ朝(ウマイヤ家)の支配下にあるバスラの奪取を命じられ、その際、名ばかりのバスラ総督の肩書を与えられたのは、サッファーフの即位前後です(正確な時期は不明)。
 ウマイヤ朝側のバスラ総督はサルムという名前で、後にアッバース朝に2代目カリフ、マンスールに重用されるくらい有能な人物であり、スフヤーンは惨敗して息子まで亡くし、バスラ奪取の意欲を失います。

 スフヤーンは名前のみのバスラ総督の肩書を取り上げられ、一族の生き残りと共にサッファーフの兄(後のマンスール)の許に行きます。カリフ兄弟の叔父で、イブン・ムカッファの主人イーサーの兄であるスライマンが、いつバスラ総督になったのか、いまいちはっきりしないんですが、まあこの時にスフヤーンと交替したのでしょう。
 本作ではスフヤーンの被害妄想を強調するため、イブン・ムカッファの策略によってバスラ奪取に失敗したのだと思い込んだことにしています。
 その後、スフヤーンは未来のカリフ、マンスールによる当時のイラク最重要都市ワースィトの包囲に加わります。この時、一緒に参加したムハッラブ家の面々は、彼らの父親の名前からすると、スフヤーンとは従兄弟よりも遠い関係のようです。

 次にスフヤーンの名前が史料に現れるのは、数年後のバスラ総督就任とイブン・ムカッファ処刑です。
  史料によれば、マンスールはイブン・ムカッファの処刑を明確に命じることはなく、ただ「取り除け」とだけ言ったそうです。復讐心に燃えるスフヤーンが独断で処刑に踏み切ったのは、侍従の一人に唆されたからだとされていますが、この人物が史料に現れるのはここだけで、名前はおろか、どんな背景を持っていて、どんな理由でそんなことをしたのか一切不明です。
 本作に登場させても煩雑になるだけなので、スフヤーンよりも地位が高くマンスールに気に入られている人物にイブン・ムカッファを庇わせ、スフヤーンがさらに被害妄想をこじらせる展開にしました。
 その役割に最も相応しい人物として選んだハーリド・イブン・バルマクは、本作で言及しているとおり、地位、マンスールとの関係、出自・前歴が最適なだけでなく、史料によれば息子と孫が『カリーラとディムナ』の大ファンなんですね。だから本人も愛読者だった可能性はあるな、と。彼については後日、解説できたらします。

 その後のスフヤーンに関する記録は、2つだけです。1つは間接的な言及で、スフヤーンがヒジュラ暦139または140年(AD756~758年)にバスラ総督となったしばらく後のヒジュラ暦141年のものです。スフヤーンの親戚の一人で、彼と供に即位前からマンスールの取り巻きだった人物が、アゼルバイジャン総督に任命されます。この親戚はスフヤーンの手駒であるバスラの南アラブ(南タージク)を、ごっそり引き抜いてアゼルバイジャンに定住させます。
 ムハッラブ家当主にして南アラブ最大の氏族アズドの指導者、つまり南アラブの全氏族に対しても強い権限を持つはずの
スフヤーンがこれを止められなかったということに、いろいろと察せられるものがありますね。

 2つ目の、そしてスフヤーンに関する最後の記録は、763年のものです。預言者ムハンマド(最終預言者)の従弟で娘婿のアリー(661年没)の子孫の1人、イブラーヒムがアッバース朝からカリフの座を奪うべく、バスラで蜂起しました。ちなみに彼は、『ナイトランド・クォータリー』vol.18掲載「ガーヤト・アルハキーム」のメインキャラ、イスマイールの親戚です。
 バスラ市民の支持を得て総督のスフヤーンを捕らえ、1万もの大軍を率いて蜂起しました。そこまではよかったんですが、宗教指導者としてのカリスマはあっても、指揮官としてはまったくの無能で、カリフ、マンスールの甥が率いる大軍に一列横隊で突撃させて惨敗したそうです。
 つまり、そんな無能なイブラーヒムに捕らえられたスフヤーンは、ものすごく無能だったということですね。

 その後のスフヤーンの消息は一切不明ですが、叛乱鎮圧後、新たなバスラ総督に任じられたのは、かつてウマイヤ朝のバスラ総督としてスフヤーンを打ち破り、その息子を戦死させたサルムでした。生きてても、失脚して二度と返り咲けなかったのは確実です。
 ムハッラブ家およびアズド族指導者の権限は、上記のアゼルバイジャン総督の手に移り、彼はその後、エジプト総督を経て北アフリカ(イフリキーヤ)の総督に任じられます。以後10世紀頃まで、この総督の血筋のムハッラブ家は北アフリカの地で栄えることになるのでした。

其の一其の七

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